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絶望を生きる~未だ善悪を付けることができない人間の狭間に生きる私~


  アイツは死んだ。それは自殺だった。自殺という括り方に違和感を抱くこともあるが、絶望し生きたいなどと思えなくなり死にたくなり自らを殺した。よく死にたいは生きたいの裏返しだというヒトがいるのだが、私には到底そうは思えない。死にたいは死にたいでしかない。助けてほしいとも思わない。ただもしも誰かが何も押し付けることなく側にいて大変重たい話であっても聞いてくれるのであれば、手を握ってくれるのであれば、抱きしめてくれるのであれば、「この人を悲しませたくはないかもしれないな」という想いから生き延びることは結果としてできるかもしれないと思う。
 アイツにはそういう人がいなかったのだろう。何もいらないからただ側にいて先ほどの行為をしてもらえるだけで人というのは割と生きることができるものだろうと思う。
 「今までありがとう。ボス。」
 「え?どうした?」
 「家族のこともいろいろと大変で、もう死にます。」
 「え、嫌だ。いまどこにいるの?すぐ行くから待ってて。」
 「大丈夫です。私は。」
 「ちょっと待てよ。行くから。待てって。」
 「もう遅いんです。」
 「何を言ってるんだよ。どこにいるんだよ。」
 「もう、毒を飲んでます。もうすぐ死にます。今まで本当にありがとうございました。ボスはとても優しくて」
 「え?いや、待って、なんて。」
 「ボスはとても優しくて、一緒に働けて幸せでした。」
 電話は切れた。慌ててアイツの家から一番近いスタッフにすぐに家に行くように依頼し、私も向かった。家に彼はおらず、あまり良好な関係ではないと聞いていた家族がいた。母親に聞いた。
 「どこにいるんですか。」
 「知らないよ」
 「知らないんですか。さっきアイツから電話をもらって、アイツ、死のうとしてるんですよ。」
 「え、そうなんですか。」
 気のない返事だった。まるでどうでもいい赤の他人が不倫をしたと噂に聞いた時の一般的なヒトの反応の様な「そうなんですか」だった。この家族は当てにならないと思い、とにかく探し回った。ある知り合いから山の方に行ったと聞いたので行ってみると、そこにはお酒と大量の薬の瓶、それとアイツが確かにいた。
 「おい。大丈夫か。」
 もちろん返事はなかった。既にこと切れた後だった。アイツは彼の運営する社会活動団体のスタッフで私も一度お会いしたことがある。私の極めて弱い記憶の能力でははっきりと誰だったか思い出せないのが悔やまれるが、正常な記憶を持つ彼が、私も会ったことがある方というのだからアイツはアイツだった。アイツは唯一の男性スタッフだったので疑いようもなくアイツでしかなかった。その翌日、すぐに彼はすべてのスタッフを集め、悲報を伝えた。悲しみ、慟哭に包まれる閉鎖的な空間では誰もが頭が割れそうなぐらいの痛みと無力感とを交互に抱いていた。彼は直近二週間はすべての活動を止めて休みにすると伝え、その日は一日中スタッフの側にいた。彼こそ責任を感じ、最後の言葉を聞いたものとして悔やみきれないはち切れそうな命となったはずだが、もし他のスタッフまで同様の選択を取るのであれば。そう思うと彼はそれだけは絶対に嫌で、側にいてひとりひとり抱きしめた。
 

繋がり頼る私
 私が悲報を聞いたのはその翌日だった。都市の中心にあるカフェで仕事をしていたのだが、涙が溢れて止まらず全身の力が抜け、手は止まり焦点が定まらなくなった。ただ、その日は三十分後にオンラインで会議があったので、それだけはと出席をした。その会議は社会活動についてのものだったのだが、公的機関の人間がいかに現場を知らないか呆れ直し、半ば説教をして終わった。その説教に対しての彼女の返答は
「何かありましたか。」
だった。
 内容を理解して少しでも現場の人間のことを考えようとできないものかと呆れた。こうも鈍感で自分が勝手に判断した善いこと思い込める活動を現場から離れたきれいな都市、空間、快適な住まいで活動できるのであればアイツも死ぬことはなかったのだろうかと思った。私は普段決して声を荒げたり説教をしてあげてまで伝える優しさは持ち合わせておらず、ここまでの頭のヒトなんだなと判断するとそれ以上は期待もせず、そのヒトに最適な距離を見つけて接するようにしている。
 会議が終わり、その日の予定を見ると後三つもあったのだが、すべて謝罪の文とともに再度調整させて欲しいという旨を伝えた。自分のせいで他人の予定を変えるのは好きではないのだが、こうも涙が溢れていてはどうにもならないと思い、逃げた。逃げるように涙をそのまま流し続けて家に帰った。家は一人ではなく、妻が仕事をしているため、あまりしっかりと悲嘆にくれることはできないということは承知していたが、ギリギリのところで私が最も私として泣いてもいい空間のように思われて帰った。妻は心配をしてくれたが、当然妻の仕事は仕事としてあり、その大きな笑い声とともに仕事をしていた。全く責めることはできないのだが、その時の私にとっては笑い声という刺激さえも強く胸を穿ち、余計に涙が出てきた。妻にはしっかりと妻の人生があるということ、それは絶対に尊重していたいし私が邪魔をしていいものではないし、私を言い訳にして何かを諦めるなんてことはしてほしくはない。互いに。
 そんなおり、私が事実を伝えることでそうした自体を少しでも無くそうと考えて継続している発信を見た幾人かの友人が連絡をくれた。中には自分を責めないでほしいという不可能なメッセージもいただいたが、内容など関係なく何よりも連絡をいただいたことが本当に嬉しく思えた。頭が割れそうな時間を過ごしている中、誰かから温かいメッセージをもらうということがこんなにも嬉しく安心できるものだとは知りもしなかった。それは当然で、常に強く明るい人としての振る舞いを届けてきたからだ。とにかくただ話を聞く時間を設けてもらえる。その方の人生も当然ながら様々な苦労や壁、もちろん喜びも笑いもある中で、私のこの苦悩をただ聞いていただける。いつもであれば大丈夫だと笑って返すだろう。その方の人生に私という要素が入っていくことが怖いと思うだろう。ただ今はそんな気を遣う気持ちもありつつもそれを上回る苦悩だった。何をするにしてもアイツのことが思い出される。到底抱えきれない苦悩だった。もう既にいない人に対する想いは決して届くことはない。天にもいないし空を見上げたところでアイツの存在なんて全く感じることができない。ギリギリまで人生に私が入ることと壊れそうな自分との葛藤を抱えたが、頼った。大人になって初めてと言ってもいい。人に心の底から頼った。上手く今抱えていることを相手のことを気遣いながら伝えられる自身など皆無だったが、とにかく声を聴き、想いを聞いて欲しいと、ただただ繋がっていたいと想った。その時間はどれだけだったか分からないが、うなずく声を聴き、間をおいて言葉を探しながら話す。質問されてもうまく答えられないが、何か答える。そんな時間があった。こんなに重たい話をしっかりと聞いてくれたことには今後私が影響を与えてしまうかもしれないという怖さとともに確かな愛情の様なものを感じた。

自殺者による私の苦悩と陰
 その後しばらくして一日のうち半分以上の時間はヒトと話していても人と接していても大丈夫だと言える状態になってきた。落ち着いている時にふと思った。
 「ほかの現場にいる社会活動家の友人はどうしているのだろうか」
 社会活動というものは行えば行うほど苦しくつらいものになっていく。それは、現場にいれば順風満帆な生活をしていない人ばかりがおり、知らなかった絶望を体験し、向き合っていく活動であるから当然のことだ。その後すぐに航空券を取り、直接繋がっているインド中の活動家に会う予定を立てた。現場での社会活動というのは悲惨だ。毎日当たり前のように貧困にあえぐヒトとともに生活をし、自身も決して裕福ではない。比較的裕福な共感性と感受性が高く、将来を考える人が活動している。その現場では仕事が無くて食べることもままならない。気が付いたら女の子が売られていなくなっている。酒やドラッグに溺れた男が虐待をしている。何かを変えるために努力しようとなど想う機会もなく美しい女性の写真が載っているトランプで賭け事に興じている。少しでも外部環境が悪化すると餓死者が出る。教育などというものは全く行われておらず、無料の公立学校では先生が来ない、来ても寝ている、チャイを飲んでいる、雑談をしている、質問しても応えてもらえないという状況。親はそれを教育だと捉えるため、教育を受けても意味がない、教育など価値がないという考えが一般的になっている。さらに残酷なのは支援。国内外問わず社会活動家が当地に目を付け、活動をしている。当然のことながら中には貧困を販売して寄付という形で利益をえてよい暮らしをする人間も多くいる。まともな活動をしているように見える中にも、いつ訪問してもいつも同じことを教えているか、先生が来ていないという光景を目にする。教育活動に対しては、そのようなことに子供の時間を使うのであれば物乞いに行かせた方がいいと自然と考える。子供の物乞いの方がはるかに親父の稼ぎよりもいいということは大いにある。だから子供は売られ、物乞い派遣をする組織は当然のように現れる。
 大切な友人たちが活動する現場を回る。一つの村に行き、活動家と現場の人と会う、そしてまた違う村に行き、また違う人に会う。直接会うと想いはより一層強まってくる。
 「お前は死なないでいてくれよ。頼むから。逃げてもいいから。生きて絶対にまた会おう。俺はずっとお前と共に活動するから。見捨てて違うところに行くことはないから。お前が嫉妬を感じるとしても俺は俺の目的を伝えるから。その目的のもとに俺もお前も一緒にいるから。だから俺がお前の活動、この村の絶望を見捨てるなんてことは絶対にありえないから。だからどうか、生きていて。死にたい奴は死ねばいいけどできれば誰一人死なないでおいてくれ。」
 そんなことを文字通り絶望とともにある社会活動家の友人達と抱き合うたびに強く想った。村の人たちを説得しながら反対されながら協力を得ながら、何が変わっているのか全く分からないという絶望も抱きながら同時に、死んだアイツからしたら俺がこんなことを思って活動をしていることも、私がアイツのことを想い、悼んでいることももう関係無くなってしまったんだと思った。現場に来てから食事が全く喉を通らなくなった。一晩だけ頑張ってきれいなお店の美味しいいパスタをいただいたのだが、部屋に戻るとすべて吐いてしまった。食事を目にするたびに、アイツはもう二度とこのような美味しそうなご飯を見て口に入れ、おいしさとともにつかの間の幸せを体感することないのだと思うと、頭が壊れそうな頭痛に襲われて目の前が黒と白の世界になり、とてもではないが口に入れることができなくなってしまう。アイツは文字通りもう二度と食べることも話すことも見ることも抱きしめることも抱きしめられることもできない、存在ですらない何かになってしまった。
 

ヒトではなく人として生きる覚悟
 折しも今月は私の誕生日という、なぜか産まれたその日というだけで祝福の連絡をいただける一日を控えている。嫌でも年齢というものを意識する。次の誕生日を迎えると常識的には私は三十三年間この世の中にいることになる。三十三年間の人生、正直、様々なことに向き合い努力をしていたという感覚がある。だから余計に努力してきたくせにまだこの程度の能力や実績しかなく、私には私の目的をかなえることなど到底できないのではないか、もうすべて捨てて逃げてやろうかとさえ思うことがある。しかし思い返せば私は今まで二度実際に死のうとしたことがある。一度は身を投げようと具体的な場所に行き、二度目は死の方法として一番悲しくなさそうな誰も加害者のいない形での積極的な事故死。その想いを静かに眠らせて生きており、活動をしている。私にとっての救いは、死のうとしたけど生きている自分自身の存在。概念的な表現をすれば、
「死んだ後も生きていける」
 という感覚がある。精神が壊れても、肉体さえあれば意外と時間がいつも落ち着かせてくれるのだという自覚がある。だから精神が壊れることは何も怖くない。ただ、友人やその友人、またその友人とその友人がもしも精神を壊し、命を絶つ選択をするのであればそれははっきりと嫌だと思う。悲しいと思う。悲しい想いを抱かないためにいなくなろうかとも思う。私が先にいなくなればそのあと悲しむ人がいて、私と同じように食事が全く喉を通らない人が、そんなに感傷的になる温かな友人がいたとしても、私がそこにいなければそれは私にとって何もないのだろう。アイツにとって今の私の精神状態の崩壊と肉体の衰退が全く関係ないことであるのと同様になるのだろう。それは時として甘い囁きとなる。所詮産まれた死ぬだけの人間。
 長い人類史の中でいまだかつて一度もヒトがヒトを殺さない世界など実現していない。文明や技術、学問がどれだけ発展しようと、人類の叡智だとか霊長類の頂点だとか言ってみたところで同胞さえも殺し、優れた人類の発明として名高い法をもってしてもそんなものは抑制機能にはなれどそれを愚鈍なヒトが創って運用しているだけのもの。ヒトがその当人自身も含めて、ヒトがヒトを殺さずに、別のヒトが側にいて、毎日愛をもって優しく側におり、手を握り、抱きしめることすらできないで何が人類の叡智なのだろうか。
 死後の世界を私は全く想定していない。わからないものはわからないと処理することも重要で、さらに重要なことは、その事柄について正解を付けないこと、すなわち善悪を付けないことだと思う。善悪などというものは他人や後の世のヒトが勝手に判断すればよい。私には善や悪を判断するような能力など兼ね備えていない。そんなに賢くもなければ優れた人ではないという自覚は強くある。そんなこと私如きに委ねないでほしいとすら思う。
 自らの手で自らの命を絶つ。死とともに訪れる肉体的恐怖を乗り越える瞬間と死にたいという気持ちがたとえ少しでもある瞬間とが重なる時に人はこの行為を、選択を取るのだろうと思う。
 幸せになりたいとヒトは思うのだろうか。私は人の最大かつ最低の幸せはその大小に関わらず
 「何が本当にやりたいことか、人生で成し遂げたいことか分からない状態、つまり目的がない状態で目標を持ち、それに対して日々何かしらをし、また何かしらをできずに近づいたり遠のいたりしながら、家族・恋人・友人・同僚・知人あらゆる人間と感情と体験を共有しあいながら時間を過ごし続けること」
 だと勝手に定義している。この状態で一生を終えらえることこそがヒトが達成しうる人間としての最大かつ最低の幸せであると考えている。だからこそ二度、小さいものも含めれば無数に自らの命を投げ出そうとした私が、私自身が生きるためにこのヒトが渦巻く人間社会の中で見出した唯一の目標は
「外部環境が原因で努力することができない人をゼロにする」
 こと。今までどのような物が産まれ、偉人が産まれそして死んでいった人類史の中で、この大変小さく愚かな私自身が達成することができるのかは全く分からない。というよりも一パーセントの期待すらない。それでも残念ながら、また幸いなことに私は私がそこまで無力な存在だともまだ思えてはいない。というより今は思えていない。まだ私自身に努力の幅も活動の幅も残されていると感じることができるからだ。周囲の外部環境が原因で努力できない状態ではないヒトがどういう生き方を選択しようとしていても私にはほとんどあまり関係がないと思う。感情というものは大変に面倒なもので、この人といたら心地がいい、この人とは距離を置こうと思うことはヒトとして私にも、機能として備わっている。理性で感情を支配することができないヒトとして生きていかなければいけないらしい。
 私は自殺・自死について勉強をした。同時に哲学・思想というものに多く触れてきた。そのような勉強などしない方がいいと伝えたい。俯瞰してみる目など不要で、自身の生活・家蔵・仕事を第一に日々を送り続けることの方がよほどよさそうに思う。しかし私は既に二十歳になる前からそれらに触れている。自殺は私自身の、実体験と何人かの具体的な死を通して最大の関心事となっている。外部環境が原因で努力できない人に努力する機会を提供することはこの自殺を防ぐ活動だと確かに感じている。世界からの無関心・放置がどれほど怖いことが。自らの命を絶つことは決して悪いことではなく、やってはいけないことではない。ただ、どうしても、絶対に、絶対という言葉はその瞬間にほかのあらゆる選択肢を排除するために嫌いなのだがそれでも絶対に、悲しいことである。それを乗り越えることも、きっかけに強くなることも、そう考える自分の卑しさに嫌悪感を抱くほどに悲しいことであり、ほかの何物でもない。ヒトの死をかてに強くなるなんてことは私の倫理観では受け入れられないし、乗り越えることでアイツを忘れることを受け入れることもできない。正義を掲げて誰かを追い込むような活動も受け入れることができない。誰かが間違っているだなんて科学や論理学を盾にして、なぜ言えるのだろうか。絶対的に間違っているとなぜ言えるのだろうか。絶対的神、信仰、なんでもよいがすがることができるものが一つあり、それを持ち続けることは重要なことだとは思う。ただ、だから他が間違っていると排他的になることは他人を追い詰めることにさえつながる。アンチデカルトではないが、私は思考する私の存在すら疑っている。本当に私は現存しているのだろうか。そんな私にとって善悪・正解不正解など判断できようはずもないくだらない遊びのようなもの。自殺は答えでも選択でもまして正解でも決してなく、この人間社会の責任、ただ側にいて手を取り、抱きしめ、愛することすらできないヒトが招いている結果なのだと思う。
 私は人を、それも親しい人を、殺してしまうかもしれないという恐れを常に抱いている。私が呼吸をし、呼吸をするように社会課題と称されるものに取り組む、呼吸をするように文章を書き、呼吸をするように何かしらの影響を与えてしまっているのではないかと考えている。悪いことに私は日本最高学府の東京大学を卒業してしまっている。たかがそれだけのことで影響の力というものはヒトに対して大きくなるもの。私の近しい人が、それも複数人が私に相談してくださったり、一緒にお酒を嗜んでくださったりしている。その中で、どうやら私の思考が、思索が、活動が一般とはどこか異なっており希望のように映ってしまうことがある様子だ。今までしっかりと関わってきた方の中には社会から次第に離れて行って引きこもった方、毎日死にたいと言いながら生きるようになっていった方、考えなくてもいいような暗い未来に不安を抱くようになっていった方がいる。当然、私の影響がすべての責任などとくだらないおごりはなく、むしろ全く影響を与えることなどない小さなヒトだと思っていた。むしろ思い込ませてきた。どうやらそうでも無さそうで、それが苦しめることがあるらしい。たとえ七十億人が私という存在によって救われたなと感じたところで、一人でもその反対の感情を抱いてしまうのであれば、私はどうこの事実かもしれないことと向き合い、生きながらえていけばいいのだろうか。全人類が全くの同じ価値である命を手にして産まれてきて、全く同じ人類として、全く同じこの地球に、全く同じ今この時を共に過ごしている人であるというのに、どうしてその一人を、仕方がないと処理することができようか。本人の、アイツの責任、選択だと思い、口にできるだろうか。怖い。優しい人が近くに来ることが怖くてたまらない。その温かい一人の人生の要素に私が加わってしまうことが怖い。できることなら全人類が私のことを下らないバカなダメ人間でできれば早く死んでくれと、そう思っていてほしいとさえ思うし、まして褒めることや応援すること、共感することはバカな私は嬉しく思うのだが、同時にとても怖くなってしまう。全員が私にとって大切で愛したい人だと感じてしまうから、そんな大切な人たちには、できるだけ私と関わらずに元気に、悩みながら、苦しみながら、笑いながら、打ちひしがれながら、喜びながら、寿命を全うして欲しい。私から逃げることなど容易いことなのだからどうか、冷たい声と目を投げかけて離れて欲しいと思う。少なくとも、生きていて欲しい。

影響を与えることの怖さから逃げるために自らの命を絶つのか
外部環境が原因で努力できない人に機会を提供する活動をし続けるのか

この二択の中で今と名付けられたココを生き続ける
死ぬまでは

こんな文章は辛く重く悩んでいる人やよほど私に関心を抱いてくださっている方以外の誰にも届きませんようにとそう思う

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