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浄瑠璃翻刻

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主に宝暦(1751〜74)前後の浄瑠璃の翻刻です。順次増やす予定です
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2024年3月の記事一覧

「姫小松子日の遊」跋

「姫小松子日の遊」は、宝暦7(1757)年2月に、竹田小出雲・近松半二その他によって作られた五…

堀越 仁
6か月前
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「姫小松子日の遊」梗概

以下、段名は仮につけたものです。 初段 (大序・北野の段) 時は高倉帝のころ、中宮は懐妊の…

堀越 仁
6か月前

「姫小松子日の遊」翻刻 五段目

〈地〉年光止まらざることは奔泉下流の水のごとし。さても源牛若は、なにとぞ平家を討ち滅ぼし…

堀越 仁
6か月前

「姫小松子日の遊」翻刻 三段目

「〈二上り歌〉夢に戸叩き現に開けて、水のたる様な前髪様と、朝日さすまで寝てござる、ション…

堀越 仁
6か月前
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「姫小松子日の遊」翻刻 二段目

〈地〉神さへも時世につれて盛衰の、平家信仰の神なればとて、都に移す今熊野、群集もよくる大…

堀越 仁
7か月前
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「姫小松子日の遊」翻刻 初段

要領は先に準じるものとしました。http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=anc

堀越 仁
7か月前

「平惟茂凱陣紅葉」梗概

初段 (大序・大内の段)※以下、段名は仮につけたものです 時は村上天皇の治世、上総介平惟茂(以下表記ママ)と太宰大弐阿曇諸任は勅を受けて信州戸隠山の鬼神を退治し、凱旋して参内する。このとき諸任は恩賞として、預かっていた平国の御剣か、もしくは帝の姉宮たる女三の宮を妻として申し受けたいという。これに関白忠平が難色を示すと、諸任は腹を立てて「宮を賜るまでは預かりおく」と言い御剣を持ち去ってしまう。この態度に野心を見てとった惟茂は、関白に糾明を約する。 (序中・柏木館裏門の段) 代々