「姫小松子日の遊」跋

「姫小松子日の遊」は、宝暦7(1757)年2月に、竹田小出雲・近松半二その他によって作られた五段続きの時代浄瑠璃で、顔ぶれは中邑閏助が入っていないことを除くと、先の「平惟茂凱陣紅葉」とほぼ同様です。平家打倒を図って流罪となった俊寛の事跡に、源氏再興の機会を狙う常盤御前のこと、平宗盛に囲われている熊野御前のことなどを絡めたものです。大筋は大近松の「平家女護島」に負うところが多いようですが、三段目のドンデン返しや、全体のまとまり具合などの洗練の度合いを見ると、「藍より出でて藍より青し」の感があります。
ことに本作では、「平家物語」に始まり、謡曲・幸若等で描かれている俊寛の悲劇を、「女護島」同様、先行作に近づけた作品とする安易さから離れて、さらにひとひねり加えたところに狙いがあると思われます。つまり赦免状を読むときの文言は先行作に似通わせながら、読むのが俊寛その人でなく、都にいる妻東屋であるというところ、またその次の段で、俊寛がひそかに島から戻っていたことが明かされるという、観客を飽きさせない趣向が凝らされているということです。そしてその中で、東屋・無量母娘の悲惨な最期、おやすの活躍と、女性の描写が際立っていますが、題で「姫小松」としたのは、そういった内容をも暗示しているのでしょう。女性に関しては、ほかに常盤御前の気丈さ、旧主義朝の仇である長田庄司を父に持った熊野御前の微妙な立場なども印象的です。いっぽう男性では、ほぼ大部分を支配していると言って良い小松内大臣重盛(題はこれも利かせています)を忘れてはならないでしょう。こちらは、二段目あたりまで理知的で冷徹な人物と見せて、四段目でその境遇悲劇を強調し、より情の人らしく描かれます。さらに俊寛、亀王、その舅の次郎九郎などの性格描写が傑出しています。
佳作ゆえに、この時期の作品の中では人気も高かったらしく、幕末期までしばしば再演され、「立春姫小松」という増補版もできました。のち「女護島」に押されて上演は減りましたが、近年素浄瑠璃として復活されたようです。また曲亭馬琴の「俊寛僧都島物語」も、本作の影響が少なからず見出されます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?