「姫小松子日の遊」翻刻 五段目

〈地〉年光止まらざることは奔泉下流の水のごとし。さても源牛若は、なにとぞ平家を討ち滅ぼし、父義朝の孝養に備へんものと思ひ立ち、夜毎々々に貴船の宮、祈誓をかける帰り足。鸞鳳はかひこのうちより声諸鳥にすぐるゝと、心も功に〈ウフシ〉不敵なり。
まだ十才の細眉に、烏帽子にあらぬ稚児髷や、絹紋紗けんもんしゃの狩衣も、かりそめならぬ御粧ひ、百万騎の大将と、いはねど姿かんばしき、僧正が谷に立ちやすらひ、「〈詞ノリ〉アヽ嬉しや。今宵ぞ満つる我が願ひ、平家の大将清盛を始めとし、宗盛・通盛・家盛・維盛、一門残らずこの森の立ち木になぞらへ、千本切って根を絶やし、森の木の葉と朽ちさせん。〈地〉この牛若が恨みの刀、受けてみよ」と抜き放し、ひらりと飛んで杉の木の枝をはっしと切り落とし、〈フシ〉にっこと笑ふて立ち給ふ。
〈コハリ〉時に不思議や辻風の、さっさっさっと木の葉を散らし、こゝの木陰かしこの岩間に、〈ナヲス〉異形の天狗顕れ出で、「〈詞ノリ〉ヤァヤァ牛若、おのれあくちも切れぬ分際で、平家を恨むる我慢心、天狗道に落ち入ったり。早く引っ立て来り、三悪道の苦しみを受けさせよと、大天狗の仰せを受け、我々このところに向ふたり。〈地〉早く来れ」と立ち寄って引っ立つれば、牛若丸は少しも騒がず、狩衣の袖まくり手に、ものをも言はず立ち寄って、小太刀抜く間も荒天狗の、片羽をはっしと切り給へば、「〈詞ノリ〉こは先取られし口惜しや。我討ち取らん」と進み寄り、〈道具屋〉我慢の鼻のひっこひこ、彦山の豊前坊、〈詞ノリ〉斧取りのべ、微塵にせんと打ちつくればひらりと外し、〈地〉杉の木の木陰に隠るゝ後の祭り、立ち木に鉞打ち込んで、抜かんともがく後ろより、腰のつがひを車斬り、牛にはあらぬ牛若丸、「もふ許されぬ」と愛宕白山、次郎坊・太郎坊、〈詞ノリ〉両方より斬りつくるを、心得小太刀に丁ど受け、〈地〉開けばつけ入り打てば払ひ、〈詞ノリ〉宙にて結ぶをほどく太刀先、〈地〉不思議の手の内、あなずりかづらに次郎坊、太刀打ち落とされうろうろきょろつく鼻柱、〈詞ノリ〉ずっかと斬られて鼻ぐた天狗、仲間外れと〈フシ〉引き退く。
隙もあらせず太郎坊、手取りにせんと追ひ回れど、〈詞ノリ〉陽炎稲妻水の月影、〈地〉姿はありあり手に回らねば汗たらたら、太郎坊もあぐみ果て、一度にかゝれと大勢が、押っ取り巻いて打ってかゝれば飛び上がり、杉の小枝にひらひらひら、〈ノリ〉比良や横川の荒天狗、翼はあれど飛ぶことは、叶はぬわっぱと呆れ果て、〈フシ〉しばし眺めて立ったるところへ、
いづくに隠れゐたりけん、有王・亀王駆け来り、「〈詞〉ヤァ化け損ひの木の葉天狗、サァ〈地〉化けの皮を顕せ」と決め付けられて面かなぐり、「ヲヽ良い推量。〈詞〉かくいふは平家の侍、難波・瀬尾。飛騨左衛門が下知を受け、偽天狗となって入り込みしも牛若を討たんため。おのれらとても許さぬ」と〈地〉打ってかゝれば有王・亀王打ち笑ひ、「〈詞ノリ〉ヤァいはれぬ天狗の腕立て」と、抜き連れ抜き連れ斬り立つれば、詞には似ぬ難波・瀬尾、「叶はぬ許せ」と逃げ行くを、「どっこいさせぬ」と二人が二人を取り分けて、〈地〉一度にしまへと声をかけ、〈フシ〉あへなく首を打ち落とせば、
「ヲヽ手柄々々」と牛若丸も下り立ち給へば、亀王・有王両手をつき、「〈詞〉改め申すに及ばねども、主人俊寛、若宮を守り奉り、小督のお局もろともに、当山東光坊に忍びある。かく申す我々も、貴船の社人と姿をかへ、見え隠れに守護仕るも、かゝることもあらんかと存じての儀。君子は危きに近づかず、不敵立ては御無用々々々。〈地〉サァサァ寺へお帰り」と二人が諌めに牛若丸、「〈詞〉イヤイヤ二人の詞はもっともぢゃが、〈地〉アレ見よ両人、〈詞〉帰雁つらを乱るゝ時は、伏せ勢ありと軍法の教へ。あの森の木の間木の間、ねぐらの鳥の立ち騒ぐは、我を窺ふ平家のやつばら、隠れてゐるに極まったり。追ひ出だして斬り殺せ、〈地〉牛若こゝで見物する」と舌も回らぬ大将の、凡人ならぬ御詞、げに日本の孔明と、恐れ敬ふ義経の、〈フシ〉実ばへのほどぞ常ならね。
案に違はず平家の赤旗真っ先立て、飛騨左衛門家来引き連れ顕れ出で、「〈詞〉ヤァヤァ牛若、有王・亀王よっく聞け。おのれら平家の恩を忘れ、俊寛もろとも小督局をだまし込み、誕生の若宮を守り立て、よりより謀反を計る由、主人宗盛の上聞に達し、討手として飛騨左衛門向ふたり。〈地〉もはや逃れぬ知死期ちしご時、覚悟々々」と呼ばゝったり。亀王聞くより飛んで出で、「〈詞〉ヤァ片腹痛き討手呼ばゝり。じたいおのれはこの亀王が親の敵、しかし敵討ちは内証ごと、平家の討手とあるからは、こなたも源氏の戦の門出。絶えて久しき源家の白旗、翻すをこれ見よ」と、〈地〉めいめい上着かなぐれば、下に腹巻小手脛当て、てんでに白張引っぽどき、木々の梢に打ち掛け打ち掛け、「〈詞〉アレ見よ左衛門、源氏の旗上げ、軍神への血祭りに、〈地〉おのれが首を」と亀王・有王抜き放せば、「〈詞〉ヤァしゃらくさいうづ虫めら、ものな言はせそ、討ってとれ」と〈地〉下知に従ひあまたの家来、つばなの穂先と抜き連れ抜き連れ討ってかゝる。「心得たり」と有王・亀王、多勢を相手に〈三重〉斬り立て斬りたて「まくり斬り。
荒れに荒れたる二人が勢ひ、さしもの大勢たまりかね、むらむらばっと逃げ行けば、いづくまでもと追ふて行く。引っ違ふて飛騨左衛門、牛若討たんと駆け戻れば、続いて亀王追っかけ来り、「〈詞〉ヤァ卑怯な左衛門、いづくへ逃ぐる。この亀王が親の敵、逃げても逃さぬ、尋常に勝負々々」と詰めかくれば、〈地〉左衛門も逃れん刀抜き放し、二打ち三打ち、ついには刀打ち落とし、足下にふまへ突っ立ち上り、「親の敵思ひ知れ」と首打ち落とし、
〈フシ〉勇みに勇み立ったるところへ、
有王丸も雑兵残らず討ち取って馳せ帰れば、この騒動の聞こえてや、俊寛若宮守り奉り、小督局の御手を引き、息を切って駆け来り、「〈詞〉様子は残らず聞いた聞いた。戦始めの手始め良し、〈地〉この勢ひに有王・亀王、牛若君の御供し、兼ねて手筈を定めおく、秀衡親子を相語らひ、〈詞ノリ〉奥州勢を駆り催し、都をさして攻め登れ。〈地〉この俊寛は若宮を守り奉り、しばらくこの地に姿を隠し、忍び忍びに手立てをなさん。急げや急げ」に亀王・有王、若君伴ひ暇乞ひ、やがてめでたう立ち帰り、奢る平家を討ち滅ぼし、再び源氏の代となさんと、勇み進んでたつか弓、旅立つ道や陸奥に、黄金の花の返り咲き、源氏の栄へ万々歳、治まる国こそ久しけれ。

作者     千前軒門人
         吉田冠子
         近松景鯉
        竹田小出雲
         近松半二
         三好松洛
 宝暦七年 丁巳 二月朔日

(奥書以下略)
  
(了)

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