「姫小松子日の遊」翻刻 二段目

〈地〉神さへも時世につれて盛衰の、平家信仰の神なればとて、都に移す今熊野、群集もよくる大男、せなに大紋閂差し、刀も一風ある作り、編笠まぶかに茶屋が床几、あたりをきっと窺ひうかがひ、よしよし〈フシ〉葭簀の内に入る。
旅人ながら風俗は、京のきっすい、乳呑み子を親珍しくひけらかす、孫を背中に遅ればせ、「おいおい」茶びん頭に湯気を立て、「〈詞〉さっても歩いた。足はせっかい、若いと思ふて親を追ひ抜くな。俺も足は負けねども、この小弁女郎でどふもならぬ。ことにおいらは道歩くとてもうっかりとは歩かぬ。草鞋の損ねぬ様、腹の減らぬ様、その上なんぞ良いものが落としてはないかと、気をつけて歩く故、たいてい隙の入るこっちゃない。それでまた大きな徳。コレコレこれごらふじ、今の世、世界にもうまいものがあると思へ、たった今そこで銭二百、どいつやら落としておきをったところを、ちょろり拾ふてきた」「これはしたり。落とした人はさぞ尋ねふ。どふぞ返してやりたいな」「そんな阿呆尽くすかい。天の与ふるを取らざればぢゃ。旅したかげで二百延びた」「ホンニおまへは目の早い。そりゃそふとおまへの腰につけてあった二百の銭はへ」「ヤほんに、ハァやっぱり俺がのであった。延びてもなかった、もともとぢゃ」と、〈地〉力落とせば打ち笑ひ、「〈詞〉あんまりいきせきさしゃんす故粗相ばっかり。ドレまぁちっと〈地〉休んでから」と床几の上。「〈詞〉アヽこりゃこりゃ、腰掛けると床几代。京の水は値が高い。つい芝の上に休んでも済むところを、良いところに奉公さすと、気が大きふて迷惑ぢゃ」と、〈地〉頭を掻けば茶屋のかゝ、「〈詞〉ても細かいお人様」「イヤ細かうせにゃならぬ。細かい子供が大分ある」「ホンニお年に似合はぬ良い子持ち様。どこからお出でなさったぞ」「アイわたしらは奈良」「コリャコリャ娘、をなごの口から奈良とは、取り外して粗相言ふな。慮外ながらこちとは昔の京の者、それは結構なところぢゃぞい。いつぞまぁ寄らしゃれ。奈良漬けの香の物であられ酒を振舞はふ。そんだいこの茶は振舞ひにさっしゃれ。娘随分飲め、小弁も昼飯食はぬ様に、茶で腹ふくらして待ってゐたり。もふ見えそふなものぢゃが」と、〈ハルフシ〉見やる向ふへぼっとりと、越の白雪細はぎに、風吹き返す東屋御前、目立たぬ供を目印に、「そりゃこそお出で」と飛び下るゝ、名は言はねども次郎九郎、頭の光に隠れなく、「水茶屋のお内儀様、密かに店が借りましたい。ちとの間そこへ」とおやすが機転、「アイアイ」藍の前垂かく、〈フシ〉呑み込みよきが水茶屋なり。
行く間を待ちかね「なふ母様、逢ひたかった」と取りつく小弁、「ヤレ懐かしの我が子や」と、膝に抱き上げ抱きしめて、「親子のいかゐ世話故に、大きふなったことはいの。それになんでも世が世なら、俊寛の嫡子徳寿丸。〈詞〉仮初の歩きにも、太刀よ馬よといふべきに、平家の人目を憚って、〈地〉男の子を生まれもつかぬ女に仕立て、下々の手業ばかりをし覚えて、さぞ一門の出合ひにも、肩身がすぼふ、かはいや」と、思ひ余って東屋も、涙の雨は宿りなし。次郎九郎も白目をこすり、「〈詞〉アヽお道理様でござりまする。縁といふものはあぢなもので、この娘を平判官康頼様へ、こしもと奉公に出したうち、俊寛様御家来の亀王が甲に似て相応な穴を掘りかけ、つい亀腹になって戻る。すなはち抱いてをるがその固まり、てゝなしに育てゝゐるうち、亀王も御勘当受けて在所へ参る。なにが若い夫婦の子持ち、親の前とも構はずいたしまする」「コレとっさんなに言はしゃんす」「ハテ愛をいたしますといふこと」「サイナ、初めからそふ言はしゃんすりゃ良いことを、どんなものゝ言ひ様」「ホンニ年が寄ると言ふこともあとや先、おまへ様も長々俊寛様にお別れなされ、定めて寝覚めにはなされたかろ、お逢ひなされたかろ。その代りおっつけお帰りなされたら、誰に遠慮なふお快ふなされませう、ナお喜び。またお子様もできましたら、だんだん広ふなりませう。御一家も広ふなりまして、俊寛様も定めて御喜悦でござりませう」と、〈地〉言ふほどおやすが気の毒顔、東屋もおかしさ隠し、「イヤイヤ律儀な親父殿、これまでの心遣ひ詞には尽くされず。〈詞〉亀王が勘当は許されぬ。仔細あってけふもそれ故、わざと無用と言ひつけし。もはや世間晴れた徳寿丸、元の若に仕立てん」と、〈地〉供に持たせし殿小袖、おやすがとりどり繕ひして、在所模様の白上げも、故郷へ帰る唐錦、男姿は鴛鴦の、〈フシ〉女よりなほ美しゝ。
「アヽめでたいめでたい。今まで小弁とつけましたも、物事にわきまへのあるお生まれ故、〈詞〉いとしなげにわやく盛りを、無理やりにをなごにして、ゑいやっとうはさせませず、羽根つかしたり手毬の稽古、落としてもこぬものを、尻もりのする土瓶の様に、悪い身をさせました、日陰者のちんぼ様。これからは天下晴れて、鹿ヶ谷の〈地〉俊寛様の惣領様ぢゃ」と言ふ折から、茶店のかゝが色真っ青、「〈詞〉おまへ方のことではないか、東屋様といふ女中を奪ひ取っていぬるとて、大勢の侍衆が手配りしてゐる最中。〈地〉怪我せぬうちにわたしから、まぁお先へ」と〈フシ〉逃げてゆく。
「〈詞〉南無三宝。東屋を奪はふとは、自らに心をかけた飛騨左衛門が家来どもに極まった。〈地〉子は連れてゐる時も時」ときとき胸も安からず。「〈詞〉おやすよ、あなた方に引っ付いてゐい。腕に覚えのこの親父、なんの侍の五人や十人、昔なれば苦にせねど、今は年寄って埒ゃあかぬ。〈地〉アヽひょんなこと、どふせふ」と、うろつく後ろの葭簀の内、「気遣ひめされな、身がかくまふて進ぜふ」と、悠々と立ち出づるそのもったい、「ハァどなた様かは情あるお侍、かたじけなや」と立ち寄る小がひなぐっと掴んで編笠取れば、六尺豊かの大の男、頬髭青く黒眼、からからと高笑ひ、「〈詞〉動くな女ばら。情ある侍が本名、長井大部と言っておよそ坂東に力をくらぶる者なき勇士。飛騨左衛門我が器量を見込み、たって懇望によって家来やら、師匠やらに頼まれた武士の習ひ、奉公の手始め、東屋を奪ひ取ってやらんと先へ回って、小倅が様子までこの地獄耳へ突き抜いたれば、絶体絶命。女郎めらが詮議に身が来るはおとなげなけれど、俊寛が家来には亀王とやらん素丁稚ある由。乳臭いなりをして、ほでてんがうのしほらしさ、ついでにつまみ殺してとらせんと、楽しみにしてきたが、大方こゝにへちまふておらふ。いづくにをる、亀王め、出をらぬか、うせぬか」と〈地〉四方をねめつけ、「〈詞〉サァ東屋、最前より待ってゐる迎ひの駕籠、あっと言ふて乗れば仕合せ。いやといふ二字を聞くがいなや、餓鬼めはもちろん、どいつもこいつもひねり殺して土産にする。サァどふぢゃ」「サァそれは」「いやか」「アイ」「おうか」「アイ」「親父め動くな」「ハイ」「びくともせば掴みひしぐ、なんとなんと」と〈地〉大手を広げ付け回したる大息は、汐吹き出だすせみ鯨、白魚見つけしごとくにて、逃れがたなく見えたるところへ、「亀王これに」と飛んで出で、大部が首筋なんの苦もなく引っ掴み、大地にどうと打ちつけしは〈フシ〉いかのぼりより安かりけり。
「〈詞〉ヲヽできたできた、こちの人」「イヤできたでない。御勘当の亀王、見え隠れの御供、随分出まいと思ふたが、是非に及ばずこのしだら」「ヲヽ手柄々々。さりながら、これも平家の咎めにはなるまいか」「そこはよろしう仕る。若旦那の大事の御入部、この間にとくとく徳寿様、〈地〉早ふはやふ」と夕日影、〈フシ〉館をさして帰らるゝ。
「〈詞〉ヤイ手の長井大部とやら。最前から聞いてゐれば、亀王をつまみ殺さんなどゝたんを切ったが、サァ殺してもらはふかい。坂東一の大力、起き上がって勝負せい」と〈地〉襟上掴んで引っ立つれば、首ぐんにゃりと色真っ青、手足しゃきばり目を見つめ、大口ほっかり、「こりゃどふぢゃ。ごねはせぬか」と鼻に手を当て「こりゃいかぬ、たちまち体も冷え切り冷や汗、頓死といふものこれなんめり」「〈詞〉なんとした、なんとした。もろいやつ、寂滅しをった」「なんぢゃ死んだ。それでもマァさっきの手強さ、あんまり早いてこねやう。狸死にぢゃないかや。こなたよう捕まへてゐてくだされ」と、〈地〉こはごはそっと左右の脈の〈詞〉心肝腎しんかんじん、「ハイしまふた。往生安楽と見える。この願以此功徳平がんゐしくどくびゃう〈地〉どふなること」とうろたゆれば、女房もおどおど「〈詞〉またおまへも死なぬ様に、そっと投げたが良いはいの。〈地〉マァどふせう」と胴震ひ。「気遣ひない、気遣ひない。俺次第にしてござれ」と声張り上げて「〈詞〉ヤァ飛騨左衛門様の侍衆、〈地〉お出でなされ」と呼ばゝれば、辻に待ちたる若党ども、迎ひの駕籠を舁き担ひ、「〈詞〉大部殿それにござるか」と〈地〉言ひつゝ立ち寄り、「ヤァ大部殿は死んでござる、〈詞〉サァ一大事々々々」と、〈地〉慌てふためく遅ればせ、大部が譜代の奴歴助、かくと聞くより狂気のごとく、「〈詞〉ナニ旦那を殺したとは。ヱヽ今一足遅かった。げんこ取りをかぶらずば、この御最期は見まいもの。さては前髪めが殺したか。主人の敵、この奴めがきかない。サァサァサァ、勝負々々」と、〈地〉涙の髭面真っ黒になって詰めかくれば、「〈詞〉アヽこれこれ聊爾せまい。誰が殺しもせぬ、なかなかまた大抵の人に殺されそふなお人でないが、早けんぺきが起こったか、ふらふらとならしゃったが、そのまゝで臨終。その証拠は体に傷があるか御らうじ」「まことにどこにも手傷は見えぬ。さては頓死か、〈地〉ハァはっ」と腰抜かし、「〈詞〉日頃貧乏で、不養生もせぬお人、よくよく思へばいかもの食ひ、脾胃の損じと思はるゝ。アヽたゞ可愛がらしゃったが、大部黒といふ黒馬一匹。親方が死なれたと聞いたら、鬣剃って法体し、鐘のかはりに太鼓打って、〈地〉弔ひをらふと思へば、イヒンイヒン、悲しい悲しい」と大道いっぱい泣く涙、〈文弥〉畑へやりたき風情なり。「〈ナヲス詞〉ヲヽ道理々々。したが定業ぢゃは、足の裏にも灸してみる、医者殿も本道鍼立て、金の針、銀の針、木綿のまで立てたれどもしるしなし。どふでもたんくゎがきついからの最期ぢゃといはれた。アヽしかし結構な往生、この駕籠に乗せて、すぐに葬礼みなかゝった」「ヲイ」と〈地〉返事も不承々々、「〈詞〉ヱヽつめた、ても臭い体ぢゃ」と、〈地〉しゃきばった手をかゞめても、〈文弥〉土用干し見るごとくにて、こりゃならぬ、〈地〉土砂のかはりに釜の下、灰の髪剃り、抜ける髭、罐子の湯燗頭から、いがみ直してやうやうと、〈林清〉駕籠にうち乗せ次郎九郎和尚高声に、「仰山院大食頓死居士、享年四十一才。汝元来臆病者、地獄へ行くほどの科もなし。極楽へはなほ行かれず。さいたら畑に迷はんこと疑ひなし」と息杖押っ取りてうてうと打ち終り、〈道具屋〉釜の鐃鈸とうぐゎんす、茶碗叩けばかけ念仏、長井大部、長井大部、長井大部がやっこらさ、〈三重〉泣く泣く送り「
〈歌〉雛鶴がその枝々に巣をくひて、君も豊かに我も豊かに、しづ心なく花や散るらん、げに散ればこそ散ればこそ、いとゞ桜はめでたけれ、〈ナヲス〉いともやさしき爪音は、つま恋ひ慕ふ東屋が、けふぞ夫の帰洛の喜び、短き日足心から、長ふ覚えし鶴の前、松の前とて二妹、同じ心も広庭の、松の下枝に注連引きはへ、熊野三所権現を勧請申し奉り、夫々の帰洛の船中、波風恙なき様に、百度参りのいそいそと、行きては帰り、帰りては、庭の木の葉の数取りに、諸願成就の願ひも満ち、「〈フシ〉アヽしんどや」と立ちやすらひ、
「〈詞〉コレ妹嗜みや。同じ道をまんがちな、そなた一人急ぎやっても、お三人のお顔見るのは、三人一所。その様に気が早ふては、この年月のお寝間の睦言、肝心のときくたびれて、こちから降参しやるであろ」「ホヽホヽ、姉さんのいつにない戯れ言。この様にわっさりと笑ふこともけふが始め、三年このかた兄弟三人、目の御不自由な母様に預けられ、御孝行はどこへやら、〈地〉いつが花やら紅葉やら、雁金、燕のおとづれを、島の便りの片便宜と泣き明かしたる悲しさを、思ひ出せば喜び様が少ない」「〈詞〉ヲヽそれそれ。そなたがいやる通り、暑さ忘るりゃ影忘れるとやらで、最前からの琴の音は姉の東屋様、神参りはやめにして、晩のお寝間のお伽の稽古、落ち着き自慢が憎てらしい。長歌やめて鼻歌の稽古なされと二人して、こそぐらふぢゃあるまいか」「〈地〉よかろよかろ」とうなづき合ひ、指し合ひくらぬ兄弟が、遠慮会釈も縁側の、障子ぐゎらりと押し明くれば、思ひもよらぬ母の無量が爪音に、連れて合はする東屋が、取り違へたるおかしさを、じっとこらへる声のあや、「〈半太夫〉首尾もいかゞと心誓文幾千たび、行きて帰りてまた急ぐ、向へばかはる人心、いづれ恋路は果てしなき」〈ナヲス〉琴押しやりて母無量、「〈詞〉ヤレヤレ、久しぶりで琴に向へば指はもつれる。おさへどころは後や先、滅多無性にかき鳴らす、ほんのめくらの垣覗き。イヤ覗くついでに、今障子明けたは誰ぞいの」「〈地〉イヤわたしらでござんす」としとやかに座につけば、「〈詞〉ヲヽ百度参りはもふ仕舞ひか。けさから孫の徳寿が声がせぬ、どこにゐますぞ」「ワァイばゞ様、わしはさっきにからこゝにゐます。けふはとゝ様お帰りと、夕べから嬉しうて、待ってゐますはいの」「ヲヽ嬉しいが道理々々。このばゞも三年以前、聟たちの流罪の時、あまりの悲しさが積もりつもりて、この様に目はしゐたれど、〈地〉そなた衆が嘆く顔を見るならば、まだこの上の悲しさはまさるもの、いっそ見えぬがましぢゃと思ひあきらめゐたりしが、けふの帰洛の嬉しさを思へば、どふぞこの目が明けてほしい」と嬉しいあまりの繰り言も、〈フシ〉欲には限りなかりけり。
東屋はしづしづと、床に直せし三方を、恭しく押し戴き、「〈詞〉ノゥ妹、そなた衆も母様もお聞きあそばせ。コレこの御状は、夫俊寛殿、未だ流罪のなき先、歌の御会の御言ひ合せと、小松様よりくだされし御文体。このたび三人一緒の御帰洛も、みな重盛様のお情、この家の氏の神ぞと、けさからの配膳。徳寿も戴き、そなた衆も戴きや」と〈地〉渡せば母も手に取り上げ、「どれどれ、〈詞〉アヽかたじけない。父御の清盛公は生まれついての我慢心、それに付き添ふ飛騨左衛門、さゝへこさいの大悪人。松も鶴も喜びやゝ」「〈地〉アイさやうでござります」と文取り上げて姉妹、押し戴き押しいたゞき、「南無小松大明神」と〈フシ〉喜びあふぞ道理なる。
折もこそあれ表使のはしためが、しとやかに手をつかへ、「〈詞〉只今勝手へ亀王殿、お上へなにやらお願ひの筋あって参られしが、〈地〉これへ通しませんや」と言ひ入るれば、「〈詞〉亀王が願ひとは、この東屋に勘当赦してくれとのことならん。いつぞやも言ひ聞かせしに、聞き分けない。早々帰せ」と〈地〉いつにかはりし不興顔、「はっ」といらへて立ち上がれば、「コリャ待てまて」と母の無量押し留め、「〈詞〉けふの館のめでたきに、すごすご帰すは気がゝりな。様子は残らず聞いたれば、この母が合点の行く様にとっくりと言ひ聞かさん。コリャ亀王を呼び出だせ。〈地〉サァサァ、徳寿も連れてみな奥へ、早ふはやふ」に是非なくも〈キンヲクリ〉一間に「こそは入りにけれ。
案内に随ひ、勘当の身の亀王が、日頃の荒気引き換へて、ゐ馴染む館も心から、初々しげに手をつかへ、「〈詞〉後室様コレにお入り。まづもって今日はお三人とも御帰洛の由、〈地〉めでたく存じ奉る」と我が身の上は得も言はず、みすぼらしげにうづくまる。「〈詞〉ムヽ亀王か、仔細は東屋に聞いたれば、くどふは言はぬ。飛騨左衛門を親の敵と狙ふその方を、俊寛が譜代なりとて、館におかば大事の前の大事、ひとまづ帰洛も済んだ上、それまではマァ勘当とは、娘ながらもあっぱれな東屋が了簡。現在の我が子でさへ、男を女と言ひくろめ、その方に預けおきしも譜代故、外様の者に預けられうか。それほどに思ふ主なり家来なり、こゝの道理を聞き分けてくれ。眼前親の敵を討ちたいと思ふは孝の道、討ってくれなと止むるは、夫を大事の女の情。そちはまた主への忠。〈地〉忠と孝とを両の手にじっと握って時節を待て。目は見えねども義久が妻、武士の道、情の道、よふ知りながらこの頼み。コリャ手を合はす、待ってくれ」と千万無量の意見のやいと、亀王が身にこたへ、〈スヱ〉歯を食ひ縛りゐたりしが、
「〈詞〉ハァア重く深き御詞。さりながら、〈地〉浪人の身の浮木の亀王、なにとぞ浮木ふぼくの時にあひ、飛騨左衛門にでっくはし、〈詞〉首提げて親斎藤次が墓に手向けんものと、心はやたけにはやれども、今一人の有王丸めは、御主人を見限りしか、いつぞやより行方知れぬ人非人。せめて有王が館にゐればと思ひ暮らすうち、けふの御帰洛。なにとぞ今日一日、勘当を御赦免あり、東屋様の御迎ひの御供に」「イヤこりゃ亀王、無理ならぬ頼みなれども、一日とは内証のこと。世間の人が聞くならば、上をたばかるうはべの勘当といはれては、そちがためにもなるまいぞよ。その上けふの迎ひのことも、あなたからのお指図。帰洛の人々ひとまづ禁庭へも参内するまでは、顔見ることはマァならぬ。そちも馴染んだ部屋に待ってゐよ。ヤレ立て、〈地〉早々行け」と詞のうち、表の方賑はしく、若侍走り出で、「〈詞〉只今お三人とも御帰洛あり、すぐに禁庭へ御上りあそばされ、すなはち御使丹左衛門様、早これへ御入り」と、〈フシ〉言ひ捨てゝこそ走り入る。
奥より出づるおとゝゐが、いそいそ喜ぶ笑ひ顔、「母様聞いてをりました、嬉しいうれしいめでたいこと」「〈詞〉さればいの、俺も虚空に嬉しうなった。丹左衛門様、おっつけそなた衆を迎ひに見えるのであろ。小袖うちかけ改みやゝ」「〈地〉アイアイアイ」と三人が、故郷へ帰る綾錦、こゝを晴れ着の嬉しさは、心うきうき、「〈詞〉コリャ亀王も嬉しかろ。マァ部屋へいて待ってゐよ。〈地〉早ふはやふ」に亀王も、〈フシ〉喜び勇み部屋に入る。
待つ間ほどなく、丹左衛門尉基康、しづしづと打ち通れば、母も娘も出で向ひ、「〈詞〉コレハコレハ、長の船中御苦労千万。聟たちは未だお上にゐられますか。娘ども御挨拶申しやいの」と〈地〉喜び勇めば、「〈詞〉なるほどなるほど、みなお喜びは御もっとも。それがし重盛公のお使ひに参った。ありがたく思はれよ、流罪の人々も無事に着せし上は、その人々の女房たち、早連れ来たって対面させよとの御ことなり」と述べにけり。〈地〉母も娘も飛びしさり、「ハァア重々情の御詞。〈詞〉ヤレ娘ども、留守はこの母。あと構はずとあなたのお供、サァサァ早ふ」に「あいあい」と、〈地〉三人小褄とりどりに、〈フシ〉先に立って勇み行く。
丹左衛門東屋が袖を控へて、「まづしばらく。〈詞〉赦免の人々は丹波少将成経、平判官康頼二人ばかり。俊寛の儀は存じ申さず」と、〈詞〉詞に四人がびっくり仰天、顔見合はせ、しばし詞もなかりしが、東屋側に詰め寄って、「〈詞〉コレ丹左衛門殿。罪も同じ罪、配所も同じ配所なるに、康頼・成経二人は赦免、俊寛一人島に残せとはお使者の不念か、但しはそなたの心あってか、サァそれ聞かふ」「ヲヽそふぢゃ。誰あらふ重盛公、三人一緒に赦免と仰せ出だされしは天下の鑑、政道に私あっては平家の棟梁とはいはれまいぞや」「なるほど一通りは御もっともなれども、それがしも清盛公の御家人、丹左衛門基康。私の計らひになるべきか」「イヤイヤイヤ、その清盛の御家来、油断がならぬ。夫俊寛を島に残せとは清盛殿の言ひつけ、そこをおさへて重盛公、三人一緒と仰せ出されたは、中宮御産の祈りのため。その重盛様が、一人島に残せとはおっしゃるまい」「ムヽいちいち理の前。所詮論は無益、確かな証拠はコレ御覧ぜ」と、〈地〉首にかけたる布袋より赦免状取り出だし、「〈詞〉コレよく聞かれよ。重科は遠流に免ず。早く帰洛の思ひをなすべし。このたび中宮御産の御祈りによって、非常の大赦行はるゝ。さるによって鬼界が島の流人、丹波少将成経、平判官康頼、赦免状件のごとし。コレとっくと見られよ」と差し出せば、〈地〉取る間遅しと赦し文、奥より端、端より奥へ読みけれども、俊寛とも僧都とも、書いたる文字はさらになし。もしや礼紙にあるらんと、巻き返し繰り返し、見れども見れども、たゞ康頼と成経と、書いたるその名ばかりなり。「コレいかに、〈詞〉母様どふせうなんとせう」と、〈地〉狂気のごとく立ったりゐたり、「松の前どうしませう。〈詞〉アこなたは嬉しからふの。鶴の前なんとせう。そなたも嬉しからふの。なんぢゃ二人ともに泣きやるか。それ見や、嬉しい身でさへその様に涙がこぼるゝもの、わしが身になってみや。母様こりゃなんとなること」と、〈地〉うろうろきょろきょろ、奥へ走って以前の文と赦し文、引き合はせ引きあはせ、「〈詞〉ハァ悲しや。これみな見てたも、赦し文とこの状と一つの筆。ヱヽ聞こえぬ重盛殿、つらからばたゞ一筋につらからで、なまなか情ある小松殿と、思ひ過ごしたが腹が立つはいの。といふて今さらどうせう、コレ申し丹左衛門様、どふぞ御取りなし。さっきの様に言ふたのは女の鼻の先知恵。〈地〉コレ手を合せて拝みます。コレコレ二人の衆、〈詞〉良い様に頼んでたもいの。〈地〉さも恐ろしい荒島に、なんと一人ゐられうぞ。〈詞〉鬼界が島と聞くなれば、〈地〉鬼あるところにて今生よりの冥途とや。情なの御身の上、夢ではないか、夢ならば覚めよさめよ」と身悶へし、天にあこがれ地にまろび、足摺りしたるいぢらしさ、母も妹も心根を思ひやったる正体なき、使者に立ったる丹左衛門、島の哀れとこの場の思ひ、二つの眼には保ちかね、胸に迫ってはらはらはら、〈フシ〉渋面乱るゝ涙なり。
書くては果てじと目を押し拭ひ、「〈詞〉島にて康頼・成経申さるゝ通り、帰洛の後は御願ひ申し上げん。後より御迎ひの便りを待てとあるからは、御前よろしく沙汰あるべし。ことには重盛公、深き御賢慮あるやらん。〈地〉まづ両人を召し連れん、いざこなたへ」と勧むれど、妹々は立ちかねて、姉の嘆きのやる方なさ。丹左衛門声荒らげ、「〈詞〉遅なはらば願ひの妨げ、いざこなたへ」と〈地〉両手を取って引っ立つれど、立つかひもなき渚の千鳥。東屋は声を上げ、「コレのふ、〈詞〉モウ迎ひに行きやるか。うらやましや、願ひの筋とあるからは、自らもせめて御門までなりとも連れていて」と、〈地〉妹々に取り付いて、「〈詞〉まっこの様にたゞ一人、〈地〉嘆き給はん悲しや」と、取り付きすがるを母無量、「嘆きは道理、さりながら、〈詞〉お赦しもなきうち、門前までもつき行けば、後の願ひの妨げ」と、引き戻しても駆け出だす、〈地〉二人の妹を引っ立てゝ、出づるも涙、止まるも涙、涙々の鬼界が島、こゝに移すもかくやらん、〈中ヲクリ〉引っ立て「てこそ急ぎ行く。
あとは物音しんしんと、涙干潟の捨小松、頼みも綱も切れ果てゝ、思ふにかひのあらざれば、しほしほ立って東屋は、一間の内より徳寿を伴ひ、「亀王々々」とありければ、「はっ」といらへてしをり戸に打ちしほれたる東屋が、顔を眺めて詞なく、拳を握るも涙なり。「〈詞〉ヲヽそちも悲しかろ。わしが心の悲しさつらさ思ひやってたも。申し母様、お聞きの通り頼みに思ふた小松殿さへむごいお心、なにかにつけて難儀のかゝるはこの子とわたし。徳寿の身の上過ちあっては、別れてゐても夫へ立たず、またもとの通り女の子に仕立て、亀王が在所に預け、〈地〉わたしもあとから行く合点」と涙ながらに窺へば、「〈詞〉ヲヽ良い思案、でかしやった。それならば亀王、徳寿を連れて一刻なりとも早ふはやふ。コリャ徳寿、こゝへこい。さっきにからとゝ様の身の上聞いたであろ。とゝ様に別れし時は、四つか五つ、そちやお顔見覚えてゐるか」「イヽヱ、とゝ様の流されさしゃる時は、疱瘡をしてゐて、とっくりとお顔も覚えませぬ故、けふお帰りなされたら、とゝ様の顔見ようみようと思ふたもの。また見ることもならぬ故、泣いてばかりゐました」「ヲヽ道理々々。この東屋が悲しさもそなた故。それほどわきまへあるならば、さっきにから出てなぜ母が心をいさめてはたもらなんだ」「アイわしもそふ思ふたれど、わしが出たらばおまへがなほ泣かしゃろと思ふて、あの部屋で足摺りばっかりしてゐましたはいのふ」「〈地〉ヲヽかはいや」と親子が中に取り巻いて、また繰り返すくどき泣き、子を持つ親の亀王も、〈中フシ〉前後不覚に見えけるが、
亀王涙押し拭ひ、「道理至極の御了簡。〈詞〉サァ徳寿様、私が在所へまたお出で。この館にござれば、かゝ様に御難儀かゝる、在所へござればかゝ様への孝行。早お暇申しませう」と、〈地〉縁からすぐにせなに負ひ、「表門は人目あり、裏道から」と立ち出づれば、「〈詞〉ヲヽそんなら行くか。怪我さしてたもんなや」「お気遣ひなされますな。亀王めが目の黒いうちは、敵から詮議するとも指も差さすことぢゃござりませぬ。おっつけみなお上よりお帰りあらば、訳おっしゃってお供を連れられ、夜通しに道までお出で、私もすぐさまお迎ひに参ります」「それなら徳寿もふ行きやるか」「アイ、かゝ様早ふ来てくださりませ、〈地〉ばゞ様さらば」とおとなしく、聞き分けあるほどむせかへり、子故に迷ふ親心、目は見えねども母無量、見送り見返り〈フシ〉出でゝ行く。
東屋はとつおいつ、思ひ廻せば廻すほど、我が子の別れと夫の身の上、心一つに観念し、用意の懐剣父の下へ、ぐっと突き立て引き廻し、苦しみ隠す息遣ひ。母ははっと胸騒ぎ、「〈詞〉東屋なんとぞしやったか、〈地〉アヽ心もとない」と探り寄れば起き直り、「〈詞〉イヱイヱ、なんともいたしませぬ。先ほどからのもやもやで、持病の癪が胸先へ、こふ差し込んでは、アヽ苦しいくるしい」と〈地〉言ひつゝ苦しさ押し隠せば、せな撫でさすって「〈詞〉これはきついふるひがきた。折節悪ふ人手はなし、ドレ薬取ってきて〈地〉おまそぞや」と、〈フシ〉慌てゝ一間に入りにけり。
東屋は苦しげに、「かはいの徳寿よ、不憫やなァ。この身になる母とは露知らず、『かゝ様待ってをります』と、言ふて別れしことなれば、さぞや今宵は待ちかねて、もふくるか、今かいまかとうたゝ寝の、夢になりともこの母が、姿形を見るならば、それがこの世のまことの別れ、アヽたゞ懐かしいは俊寛様、名残惜しいは母上様、恨めしいは小松殿」と心一つを三つ四つに、恨み悲しみ身をふるはし、〈ノルフシ〉もだへ嘆くぞ道理なる。
折から装束改めて、立ち帰る康頼・成経、妹々が先に立ち、「〈詞〉東屋様、今帰りました」と立ち寄って、「〈地〉ヤァなに故の御自害」と、言ふに驚く康頼・成経、「これはこれは」と駆け寄って、「〈詞〉ハァア早まったるこの生害。母人はいづくにぞ」「ほんに母様が見えぬ。無量様、母様」と、〈地〉障子明くればこれもまた、喉に懐剣突っ込んだり。二度びっくりの夫婦と夫婦が立ち寄って、「〈詞〉コレ、康頼・成経にて候ぞや。東屋殿には俊寛のこと思ひ詰めての上なれば、さこそとも思ふべきが、後室には何故の御自害。〈地〉人に述懐あってのことか、但し狂気ばしし給ふか」と、娘々も尋ぬれば、苦しき息をつきあへずにっこと笑ひ、「〈詞〉源氏の余類、淡路先生せんじゃう義久といふ武士の妻、狂気もせぬ。まして人に恨みもない。コレ東屋、よふ聞いてたも。そなたは義久殿の先の連合ひのお子、この妹と腹かはれど種は一つ。なさぬ中の姉の夫は鬼界が島、我が娘の夫々は帰洛の喜び。〈地〉そなたを先立て、嬉しそふに生きながらへてゐられうか。手に手をとって未来の夫、未来の母御へ手渡しせねば、なさぬ中の義理立たずと、思ひ詰めてのことなるぞや。〈詞〉ヤァ松の前、鶴の前、千年も万年も長生きして、〈地〉夫を大事に、東屋が操を鑑と添ふてくれ」と、苦しき中にも子を思ふ、母の貞女に東屋が、縋り付いて手を合せ、「もったいない母様。なさぬ中と知ったらば、この自害はいたしませぬ。〈地〉夫恋しと思ひ詰め、たった一人の幼な子まで、後に振り捨て行く心、妹頼む、母様申し、苦しいはいの」と身悶へに、康頼夫婦、成経も、〈中フシ〉たゞ伏し沈むばかりなり。
誰かかくと告げたりけん、小松内府重盛公、門前に馬乗り放しずっと通り、「〈詞〉なに東屋・老母は自害とな。〈地〉ヱヽ是非もなき次第や」としばし涙にくれ給ふ。成経夫婦、康頼も、「コハ思ひ寄らぬ御入り」と頭を下ぐれば真ん中に押し直り、「〈詞〉重盛が胸中、口外へ出すべきことにあらねども、〈地〉あまり切なる親子が生害、未来までも恨みんことの不憫さに言ひ聞かさん。苦痛をこたへてよっく聞け。〈詞〉このたび三人の者帰洛のこと、重盛たって願ひしところに、『イヤイヤ二人の者はともかくも、俊寛一人は清盛が、厚く寺領を宛て行ひしところに、洛陽鹿ヶ谷にて会合をなし、源氏の余類を語らひ平家を疎んじ、滅亡させんとの企て、みな俊寛が計らひなれば、是非島に残さん』と、言ひ出だしたる詞変ぜぬ気質、アヽ是非もなしと思ふ折から、手の裏を返すがごとく、飛騨左衛門を使として、俊寛ともに帰洛との御こと、左衛門も様々御願ひ申せしとの口上。あら心得ずとは思へども、早速に喜びのお請け申し窺ふところに、重盛が眼力に違はず、飛騨左衛門が勧めによって、三人ともこと故なく帰洛させ、俊寛一人を罪に落とし、大路を引き渡し逆磔さかばっつけに上ぐべしと、一徹短慮の父の詞、そばに付き添ふ飛騨左衛門、東屋に心をかくる大悪不道。さてこそと思ひし故、三人帰洛とあるを幸ひ、喜び顔にてそれがしが自筆をもって下し文、二人は助け、俊寛一人島に残しおいたるは、せめて命は助けんと、重盛が心一つの〈フシ〉計らひぞや。かく聞くならば女のこと、とても助くる命ならば、ひとまづ帰洛の思ひを晴らし、その上にて命助けてこそと思はんが、〈詞〉さすれば父の悪名を触れ流し、重盛は仁心深きと、世上の人にうたはせては、父への不孝。仮にもせよ三人ともに帰洛させよとある、父の詞を背き俊寛を残せしは、重盛こそ父にまさりし大悪人といふならば、すなはち父への孝の道と、思ひ詰めたる我が所存。必ず疑ふことなかれ。〈地〉たとへ七珍万宝の、宝を得たる人ありとも、命にかゆる宝はなし。これを未来の引導とも、回向とも思ふて臨終するならば、未来成仏疑ひなし。〈詞〉アヽはかなきは世の有様。もしも天の〈地〉冥慮に叶ひ、一たび父の御心を、翻さるゝことあらば、かく不憫なることどもを、見聞くこともあるまじ」と、身を恨み世を恨み、情も厚き御涙、日本の聖人と、〈フシ〉呼ばれ給ふも理なり。
二人の手負は手を合せ、「母様お聞きあそばしたか。〈詞〉仁心深き重盛様を、女の浅はか恨んだがわしゃもったいない」「ヲヽそなたばかりか、この母も恨んだ罰でこの死にざま。さりながら死ぬるとばし思やんな。俊寛殿生きながらへてござるからは、鬼界が島へ二度の嫁入り。母は介添へ、心を確かに往生しや、〈地〉南無阿弥陀仏」と抜く刀、しばしと成経・康頼も、上の装束脱ぎ捨つれば、鬼界が島のその姿。「コレコレ東屋殿、〈詞〉この姿にて葬らば、鬼界が島への道案内に迷ふことはない。〈地〉母人おさらば」「聟たちさらば、娘よ」「妹」「姉様さらば。南無阿弥陀仏」と唱ふる声をもろともに、刀を抜けばあへなくも、〈フシ〉この世の縁は切れ果てたり。
わっと泣き出す姉妹、制しかねたる康頼・成経、重盛公も合掌あり、「〈詞〉あっぱれなる貞心貞女、良きに計らひ弔はれよ」と、〈地〉御直垂の両袖取って死骸に打ちかけ、「未来の土産、経帷子、重盛も野辺の送りの手向けぞ」と、立ち出で給へば夫婦四人はありがた涙、御袖取って押し頂き、冥加に余る御賜物、賜る袖は九品のうてな、九条袈裟、九重の地は離るゝとも、こんはたちまちかの岸へ、向へや向へ弘誓ぐぜいの舟、帰洛の舟の順風に、波のうねうね生ひ茂る、重盛公の御情、恨みも仇も根なし草、涙しほるゝ潮風に、君が情の涙の雨、濡るゝ袂の村時雨、小松のかげの雨宿りと、袖を絞りて別れけり。


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