「姫小松子日の遊」翻刻 初段

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  常盤御前・熊野御前  姫小松子日の遊

〈序詞〉清都の聚木すべて栄芬ゑいふん、伝へふ孤松最も群を出づと、流膏の仙鼎を助くることを惜しまずんば、願はくは楨幹をて明君に捧げんと、松にうたひしからうたの、ためしをこゝに日の本や、高倉院のしろしめす〈ヲロシ〉雲井の空ぞ静かなる。
〈地〉時の中宮と聞こえさせ給ふは、太政大臣平清盛の娘にて、君の御寵浅からず、比翼の恵み陰茂り、神の御種を寄生木の、累葉一門の喜び、平家の繁昌時を得て、けふ青陽の初子の日、北野において御遊宴を催され、雲林院に中宮の御座をもふけ、右の茵は御父平清盛公、一天の御主を聟に取ったる驕慢の〈フシ〉鼻高々と着座ある。
かたへの茵は清盛の政所時子の方、誇らぬ花の薄薫り、五十ぢ上なき御身にも、下を憐れむ智恵の海、直きに馴るゝ嫁君は、麻に連れたる蓬生の名さへ園生と隠れなき、器量も並び内大臣重盛公の御簾中、そのほか供奉の御所女中、外珍しくほのめける、衣の色香もとりどりに、引くやためしの姫小松、君に捧げん万代や、〈フシ〉千代の御遊ぞ限りなき。
昵近の侍、飛騨左衛門景家進み出で、「〈詞〉今日の御遊宴天気快晴、殊に中宮様御渡り、我が君の御喜び、下臈の我らまで恐悦至極」と相述ぶる。清盛莞爾と打ち笑み、「時子を始め、汝らまで今日の催し、あながちに遊興と思はふがそふでない。代々の帝、民を我が子のごとくに憐れみ、初春の子の日を取っての日とし、松を引いて万民の千歳を祝ふそのためし、清盛も天子を聟に持ったれば万民の親。それ故のこの遊宴、〈地〉めでたいめでたい、喜びめさ」とあくまで募る権威の詞、破らぬ時子の御挨拶、「〈詞〉今の御話聞きまして、帝様を大切に思し召す我がつまの御心底、中宮にもさぞ御喜びであらふ、なふ園生」「母様の仰せの通り、天が下の鑑となる舅君の御心は水晶輪でも、月に叢雲、鏡台の塵、塵が積もって山となり、淵が変はって瀬となる世の中、〈地〉荒々しい御心も、変はれば変はる御慈悲心。〈詞〉いつまでも御変はりなふ、子の日の御遊、おめでたふ存じます」と、〈地〉会釈こぼるゝ園生の方、〈フシ〉利発は色に見えにけり。
中宮御声曇らせ給ひ、「〈詞〉君の情けや父母の恵みいみじき身につみて、痛はしきは小督の方。〈地〉お行方の知れざるも、もと父上の怒り故。いづくに忍びおはすらん、これのみ心がゝりぞ」と聞いて清盛声荒らげ、「〈詞〉小督が身の上いとしいとは何のたはごと。遊宴を醒ます無益の涙、親に似ぬ仏性。兄の小松は知恵が余って親がたまらず、弟の宗盛めはいっかどのたはけ者、一人として気に叶ふやつはない。この清盛は生まれついて哀れと涙が大不得手、その小督土を穿っても引きずり出し、武烈流に責めさいなむ」と、〈地〉逆立つ怒りをなだむる園生、「〈詞〉小督様をいたはり給ふ中宮様の御心も、民を恵む舅君の御心も道理は一つ。〈地〉うちこんじたる大事の御遊に、我が夫や宗盛様の、お出での遅いは気の毒」と仰せに清盛、「〈詞〉あの宗盛のうつけ者、うせたとてごくに立たず。〈地〉小松を引いて祝ふ場へ、小松がこいでは気がゝり」と仰せも終らぬ折こそあれ、「〈詞〉御公達のお出で」と、〈地〉下司が知らせに清盛喜び、「すは重盛来たんなれ」と思ひまふけも案の外、入り来る粧ひ、のっとりは阿呆の唐名、右幕下宗盛しづしづと座に直らるゝ、顔を眺めて女中たち、〈フシ〉目引き袖引き笑はるゝ。
宗盛慇懃に父に向かひ、「〈詞〉清盛公には賢き御代の跡を慕ひ、子の日の催し、仁心の至るところこの上や候べき。古の君子は仁を以て民を撫で、智を以て政に臨む。仁智の二つは国の種、かゝるめでたき折を幸ひ、中宮御産祈りのため、非常の大赦行はれ、国々の流人、別して鬼界が島に候丹波少将成経、平判官康頼、俊寛僧都、これら三人も召し帰し給はゞ、この上もなき御恵み、まった御赦しなきにおいては、〈地〉今日の御遊何の益か候べき」と弁舌滝を流さるゝ。清盛大きに怒らせ給ひ、「〈詞〉黙れ宗盛、おのれが終にそのやうな利口発明、夢にも聞かず、誰に習ふて諫言顔。〈地〉推参至極」と太刀ひねくってきめつけられ、「〈詞〉アヽしばらく、しばらく。まったく宗盛が私の才覚にあらず。皆小松殿の言ひつけ、こんなことも兄に替って言ひ習へと、覚えにくい口上言ひつけてもらふて、とっくりと覚えた通り申した。宗盛が科にはあらず、〈地〉さなあらけなくし給ひそ」と、さも優々たる鼻の下、長袖人品衣紋付、〈フシ〉結構人と見えにけり。
政所はっと感心あり、「君を思ひ家を思ふ重盛の心遣ひ、今に始めぬことなれど、取り分けて大切な中宮の御懐妊、〈詞〉何とぞ安産あれかしと、忠義をこめし小松の計らひ、かばかり大事の大赦の願ひ、その身は越されず、アノ愚かしい宗盛を名代は、父上の御心に逆らはず、謎をかけたる忠孝心、もっともかふこそあるべけれ。〈地〉かくまで深き重盛の、志を立つるといひ、中宮御産祈りのため、どふぞ大赦を行なふて、流罪を赦し給はれ」と思ひ込んだる御詞、清盛も打ちうなづき、「〈詞〉中宮が産の祈りとあれば、こと急に取り行ひ、国々の流罪赦しくれんが、俊寛一人は叶はぬ叶はぬ。清盛を亡さんとせし謀叛の張本、そればかりでない、『知らせたゞ見ぬ唐土の鳥も来じ、桐の葉分けの秋の夜の月』と、歌を以て平家を調伏せし、頬げたのさけた狼坊主、鹿ヶ谷で逆磔にもかけんづやつ、流しやって今の後悔、無念至極」と、〈地〉怒りの声に取ってもつかれぬ島の沙汰、〈フシ〉重ねてとりなす人もなし。
始終を聞きゐる飛騨左衛門、憚りなく進み出で、「〈詞〉重盛の賢慮と申し、政所様のお願ひ、是非俊寛も御赦し、この左衛門が君の御気に背く様には仕らじ。何事も我らに御任せ候べし」と、〈地〉目まぜで知らせば打ちうなづき、「〈詞〉我が気に背かぬ景家が申し条面白し。願ひの通り、俊寛坊主も赦しくれん。〈地〉この趣、重盛に知らせて喜ばせ」と、櫛の歯を引く使ひを待たず、小松内大臣重盛公、丹左衛門基康を扈従にて、つと通って設けの茵、欣然と直らせ給ひ、「〈詞〉非常の大赦早速の御許容、御産平安の基、天下の喜びこの上なし。片時も早く召し帰すその用意、〈地〉いで赦し文重盛調へ申すべし」と、硯取り寄せさらさらとしたため給ひ、丹左衛門を近く召され、「〈詞〉汝鬼界が島の流人帰洛迎ひの役、その旨きっと心得よ。〈地〉何事も重盛が悪しくは計らひ候まじ。〈詞ノリ〉これご覧ぜ、根なき小松はおのが千歳を君に譲る。まっこのごとく、父に捧げし小松が身、〈地〉茂り栄ふるその中は、平家の御代は幾千歳、めでたきためしに候」と、松によそひて粧ひも、恵みも高き重盛に、連なる枝の宗盛が、心も空にのどかなる〈三重〉子の日の庭ぞ「九重の、
都に近き里の名の、伏見の浜に舟粧ひ、流人迎ひの役人を、難波の津まで送り舟、お召しの御座船、お供船、次第々々に飾り立て、張番立番辻固め、〈フシ〉平家の威光ぞ盛んなる。
川風に、揉まれ揉まるゝ柳腰、ほっそりとした風俗は、俊寛が妻東屋に、伴ひつるゝ鶴の前・松の前とて二妹、同じ思ひの島守と成経・康頼二人の妻、年は二十歳を二つ三つ、後や先なる三人連れ、〈フシ〉伏見の浜に出で来れば、
お守役の斎藤次小腰をかゞめ、「〈詞〉もはやこのところが伏見の里、すなはちこの浜辺が御出船の船場と見え、平家の紋の船印。しかし丹左衛門様には未だお越しなきやら、付きづきの下部も見えず、〈地〉幸ひのこの床几、しばらくこゝにて御待合せ然るべし」と、詞に東屋打ちうなづき、「〈詞〉ヲヽそれなれば幸ひ幸ひ。サァ松の前、鶴の前、〈地〉皆も休みや」とかたへなる、床几に安らふ向ふより、のっさのっさと歩み来る、飛騨左衛門景家、欲と悪とを塗りこめし、のけ反り烏帽子に〈ウコハリ〉大紋の、裾小短くまくり上げ、〈フシ〉家来引き連れ出で来れば、
それと見るより東屋が、悪いところへ意地悪面、見つけられてはむつかしと、顔を背けば目早き左衛門、ちらりと見つけかたへに立ち寄り、「〈詞〉コレ東屋殿、手が悪い、隠れまい。ヱヽむごいぞや、むごいぞや。首だけ惚れているこの左衛門、また惚れたも無理か、美しいこの姿、私よりは難波・瀬尾が、アノ松の前・鶴の前にいきついて、〈地〉雨の降るほどやる文を、〈詞〉兄弟ともに言ひ合した様に、戻すといふはつれない心。〈文弥地〉そふしたむごい心根に、何の因果でわしゃ惚れた。〈ナヲス〉こゝで逢ふたは結ぶの神の引合せ、〈詞〉ヱヽこゝな命取りめ」と〈フシ)抱きつけば、
ものにこらへぬ斎藤次、ずっと寄って腕もぎはなし、「〈詞〉コリャ左衛門様、何なさる。主あるお方に尾籠至極、御座興もことによる。ちとお嗜みなされい」と、〈地〉切刃きっぱ廻せばせゝら笑ひ、「〈詞〉イヤ老いぼれめが慮外千万。嗜むまいが何とする。当時出頭第一のこの左衛門、主があらふがあるまいが、言ひ出したからはいやでもおふでも抱いて寝る。コレ東屋殿、この頃はこはいと思ふ清盛公の顔までが、皆そもじの顔に見え、〈サハリ〉しんぞしんぞ忘られぬ。〈詞〉サァいやかおうかのお返事を、〈地〉直に聞きたい、聞きたい」と付きつまとふつしなだるゝ〈フシ〉折こそあれ、
「はいはい」と先を払はせ、丹左衛門尉基康、流人赦免の赦し文、文杖に差し挟み、しづしづと出で来れば、左衛門見るよりさあらぬ体、「〈詞〉これはこれは丹左衛門殿、承れば鬼界が島への御使、今日御出船との義、御大儀千万。それがしも清盛公の仰せを受け、小督局のありかを尋ね捜さんため、毎日々々五里三里。今日はこの辺を尋ね廻る折に、幸ひ御出で、船をお見立て申そふ」「これはこれは御親切忝し。貴殿にもお役目とあればまづは御苦労。見れば見慣れぬ女中方、お連れにて候か」と〈地〉言へば東屋手をつかへ、「〈詞〉なるほどなるほど、御存じないは御もっとも。私は東屋と申して俊寛が妻、またこれなるは松の前・鶴の前とて、康頼・成経二人の妻。丹左衛門様にはこのたび夫々が帰洛のお使、はるばると鬼界が島へお越しあそばす由、御苦労と申そふかお心遣ひと申そふか、〈地〉なにかお礼も申したく、わざわざこゝまで参りし」と、詞に付いて松の前、「姉様のおっしゃる通り、長々の船中、随分おわもじなき様に、御機嫌様にてお帰りを、千里ひとはね、鶴の前も共々に、たゞ何事も丹左衛門様、よろしう頼み上げます」と、余儀なき顔に丹左衛門、「〈詞〉これはこれは、いづれもいづれも御ねんごろにお見立てに預かり、近頃祝着仕る。まづ以てこのたびはお三人とも帰洛のお願ひ相叶ひ、さぞ各々方にも御満足。おっつけめでたく伴ひ帰り、御対面いたさせませふ。必ずお気遣ひなさるゝな」と、〈地〉聞くよりはっと兄弟は、たゞありがたしとばかりにて、〈スヱテ〉嬉し涙ぞ道理なる。
斎藤次は手をつかへ、「〈詞〉主人たちが無事を知らせのこの状、憚りながら島にござる俊寛様へ、〈地〉お届けなされくださらば、この上もないお情」と言はせもあへず飛騨左衛門、「〈詞〉ヤァならぬこと、ならぬこと。赦免とあれどいまだ都へ帰らぬうちは科人。その科人に状の返達叶はぬ叶はぬ。持って帰れ」と、〈地〉当たり眼も恋路の意趣。「〈詞〉それは近頃お情ない。そふおっしゃらずと左衛門様、〈地〉共々にお取りなし」と頼むほどなほつけ上がり、「〈詞〉ヤァならぬならぬ。大方東屋から俊寛への濡れ文、この年月尋ね捜す、俊寛が倅徳寿とやらが身の上も、書いてあるに極まった。〈地〉究竟の詮議の種、清盛公の御前へ持参し、中おっ開いて一吟味」と立ち寄れば、東屋が「南無三宝、それ渡しては」と縋りつく。「ヤァ面倒な」と振り放せば、斎藤次ももろともに、「やらじ」とせり合ふ真中へ、なに思ひけん丹左衛門、ずっと寄って状ひったくり、〈フシ〉川へざんぶと打ち込めば、
これはと驚く人々より、飛騨左衛門声荒らげ、「〈詞〉ヤァ詮議のあるその状、なぜ川へ投げ込んだ。所存あってか但しまた、女ばらをかばふてか」と、〈地〉反り打って詰め寄れば、丹左衛門ちっとも動ぜず、「〈詞〉イヤ騒がれな左衛門殿。アノ状を川へはめたは貴殿のおためを存ずるため」「ヤァ馬鹿尽くすな丹左衛門、川へはめたがなんのおため」「サレバサ、最前遠目から見申せば、なにかは知らず女を捕らへ、『清盛公の顔までが、皆そもじの顔に見ゆる』とやら、ナおっしゃったでないか。もし貴殿が今の状を御前へ持ち行き、詮議あらば、彼らも御前へ召し出され、何か御詮議の上では、主ある者に不義言ひかけしと、やら腹立ちにあからさまに申すを、小松殿がお聞きあらば、こなたは不義者、軽ふて打首。そこを存じて波風のない様にと、流してしまふたをお礼はおっしゃらいで、却って御立腹。但し打首がお望みなら、流した状を取り上げさせ、小松殿の御前へ持って参らふか」「イヤモそれに及ばぬこと」「スリャ御得心参ったか。不得心なら御前へ参り、こはいと思ふ清盛公の顔までが、皆そもじの顔に見え、しんぞしんぞ恋しいと申し上げふか、ハヽヽヽ」と〈ウフシ〉嘲弄せられ、
「これは術ない。〈詞〉丹左殿もはや沙汰なし、沙汰なし」と〈地〉真面目になるぞ心地良き。丹左衛門人々に打ち向ひ、「〈詞〉早出船の時刻も移れば、お暇申す。いづれも方もこゝに長居は御無用々々々。万事は拙者が胸にあり。やがてめでたくおめにかゝらふ。まづそれまではさらばさらば。〈地〉左衛門殿にも御堅固で」と、つどつどに暇乞ひ、しづしづ船に乗り移れば、左衛門は物をも言はず、黙礼するもふくれ面。「お礼は詞に尽くされず、随分御無事でお達者で」と、兄弟ともに伸び上がり、見送る渚、船長は艪を押し立てゝ浪花潟、〈フシ〉元船さして急ぎ行く。
跡に左衛門したり顔、「〈詞〉サァこれからはこっちのもの。コレ君、なぜにうきうきし給はぬ。〈地〉これからすぐに館へ伴ひ、この左衛門が御台様、いざいざお出で」と手を取れば振り放し、「〈詞〉コレこゝな道知らずの人でなし、畜生侍に詞はない。〈地〉サァ皆おぢゃ」と立ち出づれば引きとゞめ、「〈詞〉ヤァ畜生とは舌長し。かう言ひ出すからは邪でも非でも身が女房、意地張ればどこもかも、引っ括って抱いて寝る」と〈フシ〉いがみかゝれば、
物に馴れたる斎藤次押しとゞめて詞をやはらげ、「〈詞〉マァマァ左衛門様お待ちくだされ。なるほどこの親父めが取り持って、お心に従はせましょ」「なんぢゃ心に従はそふ。それは誠か」「なんの偽り申すもの。したが恋はその様に、木折りに言ふては叶はぬもの。アレアレアレ、あれ御覧じませ。柳に燕が巣をくふにも、土くれや藁切れをくはへて来てはほいと立つ。ナほいと立つ、〈地〉ナ早ふはやふ」とめまぜと仕方で知らすれば、それと心得東屋が、皆々伴ひ足早に、〈フシ〉この場を逃れ立ち帰る。
かくとも知らず左衛門が、うろうろ眼に辺りを眺め、「〈詞〉南無三宝、老いぼれめが口車に乗せられて、東屋を取り逃した、無念々々。おのれ親父め覚悟せよ」と〈地〉すでにかふよと見えたるところへ、宙を駆けって亀王丸、かくと見るより飛びかゝり、左衛門が利き腕取ってもんどり打たせ、仁王立ちに突っ立って、「〈詞〉ヤァ親人、怪我はなかったか。只今お迎ひに参る道で、東屋様のお目にかゝり、様子は残らず承った。コリャ左衛門の泥坊め、その面で色事とは、閻魔王に六法振らす様で、似合はぬ似合はぬ。〈ノリ〉是非色事がしたくば、この亀王が仲人して、〈地〉三途さうづ川のお姥女郎へ聟入させん、覚悟々々」と呼ばゝれば、「〈詞〉ヤァ扶持離れの素丁稚め、この左衛門に向かって慮外の振る舞ひ。ソレ家来ども、息の根止めよ」「〈地〉承る」と下部ども、抜き連れ抜き連れ打ってかゝれば、「心得たり」と抜き放し、斬り立て斬り立て斬り立つれば、「叶はぬ許せ」と大勢が、逃ぐるをやらじと〈フシ〉追ふてゆく。
跡に残りし斎藤次、「〈詞〉ヤレ倅、長追ひ無用」と焦るところへ、〈地〉飛騨左衛門取って返し、「親父めやらぬ」と斬りつくれば、〈詞ノリ〉飛びしさって抜き合せ、二打ち三打ち打つよと見えしが、老いの身の、〈地〉石につまづく隙間をつけ入り、はったと蹴倒し足下に踏まへ、「〈詞〉おのれにはまだ詮議がある」と、〈地〉早縄たぐって高手小手、「ばりめが来てはたまらぬ、こっちへうせい」と道を変へ、〈フシ〉我が家をさして逃げ帰る。
かくと遠目に見つくるより、「南無三宝」と亀王が、立ち帰って歯噛みをなし「親どもを奪ひ取られしか、口惜しや。遠くは行かじ」と駆け出せば、支へ留むるあまたの家来、「ヤァ面倒な、邪魔ひろぐな」と踏み飛ばし踏み飛ばし、投げ退け張り退け叩き退け、当たるを幸ひ人礫、ばらりばらりと打ちつけられ、一度に逃げ散れば、「おのれ左衛門いづくまでもぼっかけて、取り戻さいでおくべきか」と〈三重〉跡を慕ふて「
〈ヲンド〉千代の松坂越えたゑ、〈地〉やっさやさしき三味線の、いとも賢き御大将、小松の内府重盛公、日本の賢人も、賢は拳なり拳酒や、御所はたちまち揚屋町、昼夜をわかぬ灯籠の、光り手のなき太鼓の音、天下にはびこる御ほたへ、うつゝたはいも内大臣、粋と申すも恐れあり。遊君あまた召さるゝ中、池田の宿より揚げられし、熊野ゆやとは濡れにより糸の、引き手も多き襖押し開け宗盛卿、「〈詞〉ヤァ君そこにか。兄重盛の身持ちの放埒、諫言せいと親父の使、堅い顔してやってゐても、そもじの顔がちらついて、尻がひょこひょこ踊るも目に付かず、この間から付けつ廻すに、なぜ抱かれては寝てくれぬ。男ぶりが気に入らぬか、少しぬかってはあれども、良い男ぢゃとの評判故、もふ誰ぞ惚れるかと待ってゐるうちに年が寄る。サァちゃっと良い返事。ムヽうまくさい梅花のかざ、〈地〉たまらぬたまらぬ」と抱きつき給へば振り放し、「〈詞〉良いかげんなうそばっかり、兄御の色狂ひを御意見にお出でなされたおまへが惚れたとは、わたしが心を引いて御らふじるのかへ」「ハテそんなむつかしいことなんのせう、惚れたは誓文」「ムヽ御真実なら心中に、指なりと爪なりと切らしゃんせ」「なんぢゃ指切り。そればっかりはどふもならぬ」「なぜならぬゑ」「痛い。ヱヽこんなことなら今朝取った爪、のけておいたらよかったに」「そんならわたしはおいやぢゃな」「もったいない、なんのいや」「いやでなくばその小指」と、〈地〉小刀出せば「のふ悲しや人殺し、出合へであへ」と〈フシ〉手を合せ、逃げゆく先へ、
御母政所、園生の方を伴ひて、するすると立ち出で給ひ、「〈詞〉最前より様々に諌めても、承引の気色なく、いよいよ募る酒機嫌。とかく遊君・禿ども、踊れをどれと正体なさ。清盛公を諌むべき小松殿があの身持ち、この枝をため直すは、園生ならでほかになし。なぜ意見は召されぬぞ」「アヽ政所のおっしゃること。人の善悪を分かち給ふ名将、女の諌めを御用ゐあらふか。〈地〉なにもかも悟った上の放埒には、なんと意見のしやうもない。日の本の人の鑑、曇らせ給ふ是非なや」と、言ふ顔もまた花曇り。宗盛俄に堅い顔、「〈詞〉兄重盛はいまだ心を直さるゝ気色はないか。アヽうとましや、どふでも惣領はおろかしい。弟ながら油断なきそれがし、今日の大手柄。それについて珍説は、サァ親人も性悪。母人悋気なされな。義朝が後家の常盤に惚れてゐらるゝ。そこでそれがし、これ第一の孝行と、兜の緒とふんどしを締め、越中・上総もいらばこそ、たゞ一人かの常盤が、隠れ家さして〈ウフシ〉押し寄する。敵の方には今若・牛若、兄は八歳、弟は六つ。一騎当千の若者、鬼神も取りひしぐべき勢ひにて、〈詞ノリ〉斬り合ひしてゐるところを、それがしことともせず、二人が中へ割って入り、〈地〉蜘蛛手かくなは十文字、受けつ流しつ斬りまくり、〈詞ノリ〉ついに二人を生け捕って、兄貴の意見の種にもと、最前奥の大木に搦めおきしが、常盤は手ごはき女故、小勢にては叶はじと、手ざしをせず帰ったり。かほど武芸剣術抜け切ったるそれがしなれば、抜けたと申すも無理ならず」と、〈地〉鼻高々と高名話。「〈詞〉ヱヽなにを利根そふに。兄の諫言するすべさへ知らぬ宗盛、長居は益なし、〈地〉いざ帰らん」とのたまへば、「〈詞〉イヤイヤいなれぬ。宗盛がゐいでは一大事がさばけぬ」「そりゃなんで」「踊りの太鼓の打ち手がない。太鼓に限らずどら打つことは我が得物。〈地〉したが親父が鳴り出したら、とちりてんてん舞はすであろ」と、熊野を尻目にねめつけて、打ち連れ〈フシ〉館に帰らるゝ。
小松の嫡子三位維盛、まだ十六の高眉に、顔赤らめて走り出で、「〈詞〉申し母上、ひょんなことができました。只今政所の詞について、父上に御諫言申し上げしに、以てのほか御機嫌損じ、『若輩者の分として、親に向かって推参千万。我が子でない、七生までの勘当』と、仰せ出しては再び返らぬ御気質。〈地〉とりなしてたべ母上」と、おろおろ涙、園生の雨。「〈詞〉それ見やの。『諫言申すは折があらふ、まぁ控へてゐや』と言ふに、気の毒や、この詫び言は母が言ふてはなほ聞き入れぬ日頃のお気。〈地〉ハテどふしたがよからふ」と、しばし当惑、打ちうなづき、「〈詞〉それよ、それに良い詫び言のしてがある。色にうつり給ふ折から、あまたの傾城の中にも、わけて御寵愛のあの熊野。あの人を頼んで詫びさせたら、御了簡ありそなもの。またお傾城殿もこの頼みは、まんざら聞きとむなふもありそむない。頼まれたり頼んだり、そこでゆるりと談合しめて、ノ、しめてしっぽりと話しゃいの」と、〈地〉色の道にも名将の、〈フシ〉御台は奥に入り給ふ。
維盛は一筋に、我が身の上の心ならず、熊野が前に手をついて、「〈詞〉只今お聞きある通り、父の不興を蒙りし維盛、母の詫びで叶はぬ時宜。この詫びを頼まん人、貴公ならではほかになし。なにとぞ取りなし頼み入る。〈地〉天倫の道をまったふするは、ひらに貴公の御情。傾城遊君とは存ぜず、仏神の御加護にも、この上のあるべきか」と、〈スヱテ〉低頭平身なし給ふ。
「〈詞〉ヲヽかた。粋な母御様を持ちながら、なんぢゃやらちんぷんかん。その様な頼みやうでは、をなごの耳へは入らぬはいな。そして人にものを頼むに、その様に脇へ退いて言ふやうな、無遠慮なことがあるものか。その三つ指も取り置いて、こゝへ来てわたしが体に、ひったりと抱きついて言はしゃんせ」「それはあまりなれなれし。女中と膝を並ぶるは武家の法度」「コレ申し。そんなら母様は女中ぢゃないかへ。おまへもお小さいときは、母御様に抱かれてござんせうがな。武家の法度は知らねども、をなご嫌ふは廓の法度。御勘当はなにからぞ、あんまりおまへがお堅い故。傾城狂ひのてゝ御様と、馬の合はぬは知れたこと。この詫び言のわたしが趣向、よふお聞きあそばせへ。とんとおまへには内儀様を持たせまし、色の道を覚えさせ、傾城買ひに仕立てると、さては心が直ったと、御勘当も何もかも、ずるずるべったり。そのお内儀様には、小分ながらまぁわたし。とうから惚れてゐるはいな」と、〈地〉手を取れば維盛は、まいらせそろの手習に、顔は上気の色檀紙、あのあつくろしいことばかりと、わぢわぢ震ふておはします。「〈詞〉コレなぁ、おまへの頼みを聞くからは、わたしが頼みもひかしはせぬ。女房に持つとたった一言、おっしゃってくださんせ。拝みます、拝みます」「サァそのことは一応では」「ヲヽならずばわたしも詫び言ならぬ。重盛様の御前へいて、勘当の錠おろしてこふ」「アヽこれこれ、それはどうよく」「おまへもどうよく、そんなら夫婦、めうとぢゃぞへ」と、〈地〉しめ絡みたる蔦葛、小松の三位維盛を、なんなく生け捕る女武者、〈フシ〉それしゃの恋は格別なり。
奥には人目重盛公、ひょろひょろ足に御顔の赤木は平家の色に長じ、朱に交はれば紅の、園生の肩に手をかけて、めれんの御声高々と、「〈詞〉酔はぬゑはぬ。禿ども酒が足らぬ、酌せい酌せい。傾城どもはどこにゐる、なんぼ粋でも園生太夫にもたれては、堅詰まって酒がしまぬ」と、〈地〉とろとろ目元も子の身には、怒りの眼と恐ろしく、熊野が振袖取りついて、おづおづ御前に出で給ふ。「〈詞〉申し殿様、維盛様の若気の誤り、わたしがとっくりと御合点させまし、今から堅いことを言ふまいと、きついお悔やみ。もふ御堪忍あそばしませ」「ムヽ、余人の詫び言なれば聞かねども、熊野が言ふことなら了簡して勘当許す。以来をきっとたしなめ、といふは世上の法式。コリャ維盛、熊野が首たけ惚れてゐれども、あの堅さでは大抵ではいくまいと、重盛に頼んだ故、幸ひきゃつにもみ込まして、堅みを正させふため。七生までの勘当とは、園生と我とが言ひ合せ」「ソレソレ、とんと忘れた。維盛は大儀ながら、清盛公へ御機嫌伺ひ、熊野と一緒に合点か、〈地〉早ふ」と母の通り者、あっとは言へど立ち兼ぬる。「〈詞〉ハテなに斟酌。また勘当が受けたいか」と、〈地〉父の命にはいやおふも、熊野が手を引く初夫婦、内祝言の謡にあらで、禿踊りの〈ヲンド〉松竹千代とさ、「〈ナヲス〉サァ面白の酒宴や」と〈ヲクリ〉再び「興に入り給ふ。
時に表騒がしく、門番の侍罷り出で、「〈詞〉角前髪の浪人者、仔細も申さず理不尽に暴れ込み候故、縄打って只今これへ」と〈地〉言ふ間ほどなく引き出だす大前髪、恐れも白洲にのっさのっさ、平砂に鶴の遊ぶがごとく、〈フシ〉臆する色なくむずと座す。
重盛御覧じ、「〈詞〉骨組み肉合ひ究竟の若者、よくしたりな。縄かけたやつは誰なるぞ」「イヤすなはちこの貫兵衛め。口ほどにもなき非力者、なんの苦もなく縄打ってかくの通り」「たはけ者め。きゃつが面魂、おのれらが手に合はふか。察するところ重盛に逢ひたさの空縄、願ひがあらば聞いてやらん」と〈地〉見透かす詞に、「〈詞〉ハヽァさすがは重盛公、御推量に違はず」と、〈地〉縄ずんずんに引き切り捨て、「狼藉御赦免くださるべし。我ら俊寛僧都が家来、亀王と申す者。親斎藤次が儀について御願ひの筋、仁心深き重盛公、御決断に預からんため、委細これに候」と、〈地〉差し出だす願ひごと、御手に取ってさらさらと読み下し、「〈詞〉ヲヽ飛騨左衛門が搦め取りし、斎藤次が出牢の願ひ。アヽ堅いかたい。この酒の場へ訴状とは、花畠で居合抜き。無粋な根性、重盛が直してやらふ」と、〈地〉しづしづと立ち上がり、釣り並べたる灯籠の、左右の房を引き外し、何かは知らず手早くも、継ぎ合せたる紙と紙、手に携へて下り立ち給ひ、「〈詞〉ヤイ亀王、願ひは格別、酒宴の場所へ狼藉の科、重盛が改めて縄かくる」と、〈地〉つっと寄って腕ねぢわげ、ひらりとかくる紙の縄。「〈詞〉コリャやい、親が命助けずば、重盛に敵たはんずる性根、大事を抱へて死にゝ来るうつけ者、この紙を引っ張るとり危ふい蟷螂が斧。薄紙一重の胸中、神は見通し。こゝを思ふて重盛がかけたるこの紙の縄、〈地〉切るゝならば切ってみよ」と、身動きならぬ詞の縄。「〈詞〉コレ亀王とやら、身の明かりの立つ様に灯籠のいましめ、御酒の興を醒ましたが不調法。どの様な御酒でも、良し悪しはよふお聞きなさるゝ。こゝを汲んで呑み込むが、酒の好きな亀王、〈地〉合点かや」と弁舌の流るゝ水に亀王も、口を閉ぢたる表使、「〈詞〉只今御門前へ、美しき女の狂人、横笛を吹き、様々に戯れ候。御慰みに御覧もや」と伺へば、「ヲヽそれよからふ。美女とあれば酒宴の肴。見苦しき縄付きあっちへやれ、〈地〉早く早く」と大将の、詞に仔細荒気も出されず、〈フシ〉次の小庭へ入る後へ、
笛の音色も乱れ髪、〈タヽキ〉柳の燕子を慕ひ、〈ナヲス〉思はずこゝに浮かれ来て、「〈詞〉アレアレアレ、ソレソレソレ。我が子かと思ふたりゃ松ぢゃ、小松ぢゃ、〈地〉顔に落つるは小松のちゝり、雨か涙かはらはらり、はらはらり、払へどいとゞ恩愛の、愛に逢ひなば緑子の、花も桜も雪も波も見ながらに、すくひ集め持ったれども、これは木々の花、まことは我が尋ぬる〈謡〉小桜ぞ恋しき、〈地〉恋し恋し」と広庭に狂ひ伏したる有様を、とっくと見届け何気なく、「コレコレ常盤」と声かけられ、思はずあっと顔振り上げ、「〈詞〉ハヽヽヽヽ。今のはなんぢゃ、常盤の国は東の果て、〈舞〉我は都の物狂ひ」〈ナヲスフシ〉詞狂ひて紛らかす。
「〈詞〉ヲヽ源氏の大将、左馬頭義朝の妻、今若・牛若を奪ひ返さんと、敵の館へ女の身で、気違ひにならずば来られまい」と、〈地〉言はれてはっと膝立て直し、「〈詞〉目水晶の重盛殿に悟られし上は、陳ずるに及ばず。御身が清盛殿なれば、食ひついてなりとも死ぬれども、情ある大将に刃向かひはせぬ、サァいかやうともあそばせ」と、〈地〉ちっともおくれぬおくれの髪、かき撫でかき撫で覚悟の体。「〈詞〉ヲヽ生死は重盛が心にあり。気遣ひせずとも膝元近くつっとつっと」と〈地〉情ある、詞について園生の方、敵味方でも女同士、「マァマァこちへ」と愛くろしさ、小松のそばに押し直る、常盤が手をじっと取り、「なふもったいない。この美しい首筋へ、なんと刃が当てられふ。誰にも指もさゝせふか。〈地〉このまゝ重盛が抱いて寝る。このごろ諸方の色里より、傾城どもを取り寄せたれども、そもじの様なはいかないかな。幸ひ常盤の松の位、小松には深い縁。器量よければ音色まで優しいこの笛、君が歌口食ひしめし、次手に本の歌口を」と、とんと抱きつきしなだるゝ、名将変じて悪性者。常盤は呆れてものをも言はず、園生も見兼ね「これ申し、〈詞〉ほかの遊女はかまはねど、義朝の北の方、源氏の思はくは思さぬか」「思はぬおもはぬ。恥も穢れも〈地〉この艶やかさにかへられふか」と、抱きつき吸ひつき持て余したる折こそあれ、「〈詞〉清盛公の御入り」と、〈地〉呼ばゝる声に「南無三宝、〈詞〉伽羅の邪魔する抹香親父、〈地〉吹き散らさん」と横笛の、横になってぞ〈フシ〉伴ひ入る。
小松の放埒教訓せんと、御父平相国清盛公、衣冠正しく入り給へば、飛騨左衛門景家、難波次郎経遠、瀬尾太郎兼康なんど、威儀をつくろひ座しゐたる。重盛立ち出で、「ヤァ親人。〈詞〉御苦労にお出でなふても大事ないに、窮屈な烏帽子直垂。そふ堅ふては付き合はれぬ、当世は羽織々々。ヤァもふ気が詰まってどふもならぬ、傾城ども禿ども、銚子、盃々」と、〈地〉色と酒とに傾きし、大盃の続け呑み。清盛公も呆れ果て、「〈詞〉このごろ噂には聞いたれども、かほどにはと思ひしに、興の覚めたる大馬鹿め。もっとも酒宴遊興も武士の一端なれども、おのが館に廓を移し、遊君残らず召し集め、昼夜を分かたず灯籠に灯を点じ、昼を夜にし、春を秋にしたる踊りの戯れ、内大臣の行跡といふべきか。〈地〉向後身持ちを改めずんば、官を剥いで民間に下さんず、いかにいかに」と席を打ってのたまへば、「〈詞〉イヤこれは忝い。内大臣に飽き果てた重盛、わっさりと町人になって、廓の大臣面白からふ」「まだまだ馬鹿を尽くすか」と、〈地〉のゝしる清盛、飛騨左衛門しばしと押し留め、「〈詞〉凝り固まったる重盛公、荒気にては御得心あるまじ。それがし譬へをもって申し聞けん。君しろしめさずや、賢を賢として色にかへよとは聖人の教へ、君はまさしく日本の賢人と、いはれ給ひし御身にて、いかなる天魔が入れかはり、酒に溺れ色に長じ、〈地〉なにとてかゝる御身持ち」と半分言はせず、「〈詞〉アヽおけおけ。賢人は酒飲まぬものか、七賢人は皆酒くらひ。けんけん言ふな、禿ども〈地〉踊り踊り」とたはひやくたい。難波次郎進み出で、「〈詞〉その上只今承れば、義朝が妻常盤を寵愛し給ふ由。これらはなほもって不行跡。女ながらも源氏の余類、この方へお渡しあって然るべし。なふ瀬尾」「なるほどなるほど、御身持ちを改め給はゞ、我々が本望これに過ぎず。もし用ゐ給はずんば、是非に及ばず官位を剥ぎ候はん。〈地〉有無の間の御返答、承らん」と詰めかけたり。「〈詞〉アヽやかましや、せはしなや。返答が聞きたくば、さっぱりと用ゐぬ用ゐぬ。天の川をかへほすほど、弁舌を流しても、言ひ出したこと変ぜぬ重盛。汝らも侍、諫言しかけて聞かぬとて言ひじらけにはなるまい。武士の役ぢゃ、我が目通りでさっぱりと腹切って死ね。ソレソレ」と、〈地〉仰せに従ひ禿ども、三方に腹切刀、三人が前に押し直せば、大きにけでんし「これは御無体。〈詞〉腹切らふとて諫言はいたさぬ。なに科あっての御成敗」と〈地〉言はせも立てず、「〈詞〉ヲヽ科の仔細が知りたくば、その刀に巻いたる紙に、逐一に書き付けたり。めいめいに読んでみよ」「〈地〉あっ」と左衛門取り上げて、「これなんぢゃ。〈詞〉一筆しめしまいらせそろ」〈地〉そろそろ見れば見るほど我が手跡、東屋につけたる文。難波も同じく松の前、兼康は鶴の前、めいめい恋人まいらせ参る、身より出でたる錆刀。清盛も心ならず、「仔細はいかに」とのたまふほど、始めの意見引きかへて、しょげになったる有様は、念仏講の講頭、〈フシ〉地獄へ落ちたるごとくなり。
「〈詞〉ナント見たか。主ある女に恋慕するのみならず、科なき斎藤次とやらんを召し捕りし由、倅亀王、最前その艶書をもって注進せり。察するに恋の妨げと、斎藤次は早手にかけ殺したであらふがな。畜生侍の心をもって、重盛に諫言とな。我が放埒は父のため。まこと常盤御前に恋慕あるは父清盛公、敵の妻を娶り給へば〈地〉弓矢の道に外れ給はんもったいなさ。〈詞〉妨ぐるは孝の道、おのれらが忠臣顔は諫言にことよせ、重盛を追ひ失ひ、常盤を父に奉り、念なふ悪道に誘引せん結構、汝らごときが腹中は、我が眼に明白たり。〈地〉これこの館を廓にして、遊君諸人を入り込まするは、平家の善悪風聞を尋ねんため。〈詞〉その禿どもゝ女と思ふか。我が家人のうち才ある子供千人を選んで、小路々々を徘徊さするは、汝らが隠し目付。この上にも言ひ訳あらば言へ聞かん」と、〈地〉動かずして佞臣を掴みひしぐ小松の明智、禿も口々「御上意ぢゃ、サァ腹々」と詰めかけられ、「拝む拝む、子供衆取りなし頼みます」と謝り入ったるその風情、さしもの清盛我が子の手前、五体を頭にせき上し、〈フシ〉大息ついでおはします。
重盛重ねて、以前の横笛取り出だし、「〈詞〉これ御覧ぜ、常盤が艶色に心を引かれ給ふとも、この笛を持ったる彼は狩人。妻鹿と思ひこがれ寄るを待ち受けて、ふゑのくさりを刺し通さんと、たくむ心は顕れたり。〈地〉この笛に心をつけ、ふっつと思し切り給へ。諫むれば父に違ひ、諫めねば不孝に似たり。是非の二つを分け兼ねて、出仕をやめて引き籠り、酒宴乱舞は心の遁世。平家の行く末おぼつかなく、熊野権現に誓ひをかけ、四十八の灯籠は、一門二十四人、夫婦の身の上安堵の祈り。昼夜を分たず灯を点ずるは、後白河の法皇、鳥羽の離宮に押し込められおはしませば、常闇の夜のなったる証拠、昼を夜、春を秋、時節の逆しまなるは御眼にかゝれども、君臣礼儀の逆しまには、御心つかざる浅ましや」と忠孝の涙はらはらはら、〈フシ〉腸を断つ思ひなり。
黙然たる清盛公、横笛取って打ち眺め、「〈詞〉鹿の譬へ面白いが、いっかな常盤は思ひ切らぬ。我を夫の敵と狙ふ貞心を聞いて、いよいよ恋が十倍した。今宵より我が妻。天子にさへ息の根上げさせぬ清盛、土民めらがそしるとて、そしらしておくべきか。汝が胸中も聞いて安堵。これからはなほなほ我儘、気にくはぬやつばら皆殺し。重盛さらば、飛騨左衛門、難波・瀬尾、みな供せよ」と、〈地〉寛々として帰らるれば、底気味悪く三人は〈中フシ〉こそこそとしてついてゆく。
夫の敵討ち漏らし、いつの常盤が身繕ひ、駆け出す懐剣しっかと取って重盛公、「〈詞〉おのれ正しく父清盛を敵と狙ふ下心、叶はぬかなはぬ。とても諌めを用ゐぬ父、今より我も善悪ともに親に任せ付き随ひ、この重盛が守護するうちは、磐石に等しく刃物は立たぬ。打ち殺すやつなれども、父の心をかけられし女、命は助くる。敵の妻なれば見逃しにならねども、重盛が慰みの踊り子、もはや暇やる、みなこれへ」と、〈地〉仰せに従ひ北の方、皆々打ち連れ出で給ふ。「〈詞〉踊り子の中には一人二人、近づきもあるはづ、さりながら、今わかとも言はれぬ、連れていんで牛にも馬にも踏まれぬ様に〈地〉育てゝやれ」と、寛仁大度の御詞、〈フシ〉帳台深く入り給へば、
園生の方ももろともに、「〈詞〉踊り子のお袋殿、〈地〉鬼の来ぬ間に年越しの、まめな顔見て連れていにや」と、詞残して炒り豆に、花の子供を拾ふもまた、かはらぬ松の御影を、伏し拝み伏し拝み、立ち出でんとするところへ、飛騨左衛門、難波・瀬尾立ち帰り、「〈詞〉清盛公の御迎ひ」と、引っ立てゆく先亀王丸、二人三人引っ掴み、投げ散らす間に常盤御前、〈フシ〉落ちて行方はなかりけり。
「〈詞〉ヤァ推参な亀王のうっそりめ、おのれに見せて落ち着かせふと、ぶち殺した親めが首、コレ今持ってきた」と投げ出せば、〈地〉くゎっとせき上げ「さてこそさてこそ、〈詞ノリ〉詮議済むまで荒気をさせじと小松殿の情の縄、許しの出た敵討ち、助太刀はいくたりなりとも、相国に随ふちゃぼ侍、尋常に勝負々々」と詰めかくれば、〈地〉抜かぬ先から「御両人よろしう頼む」と逃げてゆく。「〈詞〉ヤァ卑怯者」と駆け出すを、「どっこいやらぬ」と難波・瀬尾、〈地〉双方より組みつくを、「ちょこざいすな」と七、八間、難波次郎は骨違ひ、兼康は口いがみ、かんばったる大音上げ、「〈詞ノリ〉ヤァヤァ御門を固めて曲者を取り逃すな。塀を越さば総掛かりに組んで取れ」〈地〉「承る」と家来ども、四方八方取り回し、〈三重〉駆り立て駆り立て「追ひ回せば、
門は打ったりせん方なく、顔は火炎の檜皮葺き、天の与への天水桶、打ちつけ打ちつけ刀の石火、火水になって〈ウコハリ〉もみ合ふたり。水には得手の亀王丸、はぜに等しき池侍、鼈料理の〈フシ〉血は滝つ瀬、落ちて行方は裏門口、逃さぬやらぬ家来ども、胴切り立ち割り車切り、相手梨割りこれまでなり、肝心敵の左衛門を、取り逃したる無念の涙、残るやつばら小松原、ばらばら鳥や入相の、御恩を忘れ鐘の声、孝行忠義の巷にて、六つを隠せし亀王丸、行き方知らずなりにけり。





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