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毒母と毒子の時効


「なんでお兄ちゃんには甘くてハルカにはしょっぱいの?」

私が小さい頃、よく母親に言っていた言葉。

しょっぱいって何よ〜って笑いながら
「そんなことないよ!お兄ちゃんもハルちゃんもおんなじく大切」

…。


幼少期、
兄と母は知育教室に行き、
私はこどもちゃれんじのテキストに取り組んでいたんですが、やりたくなさ過ぎて庭の土を掘って埋めた記憶が…
なかなかのクレイジー幼児でした。

母「しまじろうのどこやったの?」

……。

兄は自閉症なので必然と手がかかったんですね。
兄の宿題の中身も
ただ丸の記号◯を書くというシンプルなものがあり
それが出来ると
「すごいね〜!」

私がテストで90点でも
「あと10点どうしてとれなかったかな」

………。

とはいえ
母親は兄に障害がある分、
私への期待があったのかもしれません
が、早めに諦めて下さった模様。

そして私自身も私を諦めていました。



そしてとある夜、
母は幼い私に言いました。

「もう死んでいいかな。お兄ちゃんとハルカも連れて」

目も虚で、結構本気だったと思います。

限界だったんだ。
疲れてたんだね。

育児、
義母の通院に看病、
義父の嫁いびり、
旦那は非協力的。


いつもは口数の少ない私でしたが
その夜は幼いながらに泣きながら

当時のじぶんの言葉で
生きることに1票をひたすら説いた記憶があります。

母を、この家族を、そして自分自身を
救わなくちゃ。
と、それが義務となり、
工夫することも苦痛になっていきました。

どうして私ばかりこんなに大変なんだ…
と、母も私も被害者面していたんだと思います。


それでも、ここまで来たじゃないか。

家族も私も、
えらいえらい。



正直、毒親の定義も
よくわかってないですが

私の場合、
目をかけて欲しかった時に寂しい状態がスタンダードで、

大人の年齢になってから
母は過干渉になっていきました。

離婚を決断したのは両親で、
子が自立に向かえば寂しいだなんて
エゴが過ぎる、いい加減にしてよ。

結局のところ
子離れも親離れも出来ず
互いに依存していたんだ。

私のやることなすこと否定ばかり

基本的に母は愚痴が多かった。
その影にはいつも
自分も周りも守りたい繊細で優しく無駄に強い正義感からか
いつだってウサギが吠えてたんだと思います。

他人の愚痴を聞かされるのもさすがに煩くて
何度もそこで《もうええわ》作動。

口喧嘩になることもしばしば。


私は人生の中の思うようにいかないことの大半は親のせいだと考えるクセがありました。

今だといろんな見方、捉え方が出来るようになり、
私の中の親へのネガティブなパーツの破片が
時効を迎えた気がします。

親という仕事をしたただの人間。

そりゃイヤになる時だって
間違いだってあるし、
うまくいかない日だってある。

その反対に
楽しい日、笑ってた日も沢山あったなぁ〜と。

思考の歪みさえも愛せたなら
なかなか優秀な家族だと思う。

「そんな時もあったね」


P.S.
母方のお墓参りに、お線香セットを忘れ
墓前でヘラヘラしながらお花だけ供えて来た
サザエさん状態の愉快な私。

他にも新幹線の席間違えたり
ADHD炸裂で相変わらずのポンコツに落ち込みましたが

この話しを『さすが!』と
笑ってくれた母は意外と偉大でした。

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