noteのおかげで、見つけたあの子
仕事からの帰り道、アメリカドックを食べながら 青い表紙の文庫本を読んでいるスーツでメガネの女の子とすれ違いました。
地下の通路で見かけた彼女
僕は仕事からの帰り道、いわゆる″ハブ″駅で乗り換えます。
その駅では線路をくぐる形で一度地下に降りて、通路を渡ってから階段を登って別のホームへ移動します。
その登りの階段で、冒頭の女の子とすれ違いました。
アメリカンドックと文庫本
帰宅ラッシュの時間帯になると、多くの人々が地下の通路を行き交います。
その人混みの中、彼女は階段の踊り場でアメリカンドックを頬張りながら、青い表紙の文庫本を読んでいました。
片足体重で少し気だるげに立ちながら、家路に向かう人たちの中で、1人だけの世界に入り込んでいる姿が、とてもカッコよく見えました。
アメリカドックとスマホとパーカーとか
お茶と手帳とスーツとかなら
僕は全く気にもかけずに見逃していたと思います。
スーツとアメリカドックと青い文庫本という、一見相容れないものが共存している姿に、僕は心を掴まれました。
彼女はアメリカドックを食べ終わったら、どこに行くのだろうか。
青い文庫本はどんな内容だろうか。
そんなことを思いながら、僕は電車に乗り込みました。
見ようとする意思が、世界を面白くする
すれ違った時間は一瞬でしたが、その何倍もの時間、彼女のことを考えながら文章を書きました。
見落としていただけでこれまでの人生でも、こんな出会いがあったのかもしれません。
noteを書くようになって、世界への解像度が少しだけ上がったのでしょうか。
この世界には見たいものはあまりなくて、見たくないものに溢れていると思っていました。
そんな世界を変えられるのは、″見ようとする意思″なのかもしれない。
そう気づいた帰り道でした。
この記事はとある実験のために書きました。
もしよければこちらも合わせてどうぞ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?