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仕事で帰りが遅くなり、夕飯を作るどころの余裕がない時に、子供たちを連れて良く通っていた、家の近くのあるお寿司のチェーン店がこの9月30日に閉店した。コロナの影響を受けたのかなぁ。詳細は分からないが、ドアに「閉店」の張り紙を見た時に真っ先に心に浮かんだのが、

「えー、もうあのKさんに会えないの??」

想像以上の寂しさが、私たち家族の心を襲った。

何てことない、「普通の」お寿司のチェーン店だったのだが、そこでお寿司を握る、金髪&ピアスホール有り&眉毛が限りなく無いに近いその「Kさん」に会いに、かれこれ、私たちは何回お店に通っただろうか。

あのKさんがカウンターに立っている様子がお店の窓から見えると、きっと我が家だけではなかったと思う。子連れ家族、カップル、お年寄り、・・・次々とお店に吸い込まれるように入っていき、彼がお店にいるときは大概カウンターもテーブルも人でいっぱいだった。

一体、彼の「何が」あんなに人を魅了するのだろう。白い板前帽子からはみ出す金髪の後れ毛。本来、板前に「金髪」は許されるはずがないのだろうが、同じ店で働くスタッフ曰く、Kさんが行く先々の店は、売り上げが桁違いだったようだったから、本社も特例で彼の金髪を容認していたとか。

人を見抜く力が著しく強い子供たちこそが、Kさんの魅力を一番知っているだろう、言語化できるだろう、と二人にふと聞いたことがある。すると


「とにかくどんなに忙しくてもニコニコ楽しそうに働いている。」「偉ぶっていなくて、お友達見たい。」「あの笑顔が好き。」


二人の言葉を聞いて、「これかな?」と思った彼の魅力は二つ。

一つ目は「働く楽しさが体からダダ漏れている」、ただ「漏れている」ではなく「ダダ漏れていた」ということ。楽しんでいる人には叶わない、どんなに努力しても、楽しんでいる人には叶わないのだと思う。

そしてもう一つ。それは何といっても、どんなお客様であっても偉ぶることなく、かといってかしこまったり、下手に出たりしない、無理のない自然体な在り方。誰もが彼を前にすると、思わずニヤニヤ本音をしゃべっちゃうのは、あの「何言ってもいいよー、みんな何だかんだ言って頑張ってる!大変な中頑張って生きてる!」という自然で温かい包容力があるから。相手を一切構えさせないそのまんまな自然体な在り方。

ご年配の気難しそうなお客様が相手なら「いやー、今日も一日お疲れさまでした。自分ができることは限られていますが、少しゆっくりして行ってもらえたら嬉しいなぁ。」そして、中3息子相手に「おにいちゃん、学校お疲れ様。学校って大変だよね。朝早くから夕方まで。俺、子供の頃、学校嫌いだったなぁ。おにいちゃん、本当に頑張っていると思うよ。今日もほんとお疲れ!」小6娘が相手になると、「ねー、おねえちゃん。今頃の年齢ってさあ、ちょっといっていい?結構笑いのツボとかにハマると、出てこれなくなったりしない?この前さぁ、同じような年の女の子が、俺が言った一言が受けちゃって、ずーっと笑ってたんだよね。あはは。」(「えー、何言ったんですか?」、でその言葉でツボる娘・・・)

人間は「心・感情」で動く生き物だとつくづく思う。そしてその、人の「心・感情」を動かせる人の周りに人は集まる。


迎えた「閉店」の日。「最後に顔を見に行こうよ。」と子供たちに連れられて、夜遅く三人で閉店前のお店に向かった。店には既に「準備中」の札が出ており、お客様はみな帰り支度をしようとしていた。


「最後だね。挨拶して帰る?」


妙に恥ずかしがって、せっかく来たのに「いいわ、帰ろー」という子供たち。ここは40数年生きているおばちゃん根性で、がらっとドアを開けて


「Kさん、今日最後ですね。本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。次はどちらのお店に行かれるのですか?」


すると、満面の笑みで「わぁー、お母さんも、おにいちゃんも、おねえちゃんも、わざわざ来てくれたの?嬉しいなぁ。次は〇〇の店舗だから良かったら来てよ。」


家路に向かう途中、空に浮かんでいた月はまん丸で、とてもきれいだった。何だかまるですがすがしい心を投影していたかのように。


「ママ、また〇〇の店舗に今度行こうよ。」


心の中に残り続ける人。Kさんから、色んなものを貰った気がする。本当にありがとう。お元気で!またいつの日か会いに行きます。




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