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結局のところ、本当に「決める」だけ

企業研修講師のゆっここと川島雪子です。4月の新入社員研修、5月以後の管理職研修、中堅リーダー層を対象としち研修続きの4ヶ月がようやく終わり、この8月はnoteを書いたり、研修コンテンツを設計する時間をゆっくりとろうと思っています。8月中に3本くらい記事が書けたらいいなあ(と、呟いてみます^ ^)

さて8月に入ってから1本目の今日は、自身への戒め(特に妻、母としての自分に)でもあり、エールでもあるテーマ。分かりやすい言えば「いい加減にしのごの言わずに「決める」と決めなさい。」と言うこと。今日は特に企業でリーダーに近々なられる方、または既にリーダーをされている方に向けて書いてみます。

その葛藤は本当に必要なのか?

仕事を通じて、企業の未来を先導するリーダー層、いわゆる企業がハイポテンシャルと定める30代以降の方とご一緒する機会にここ一年多く恵まれるのですが、そもそも自身が企業からそう期待されていることを真正面から受け取れない方々に遭遇するケースがあります。これはよく言われる育った時代や世代の違い?とかからくるシンプルなものではないと私は思っていますが、その方々は「リーダーにはなりたくない」「自分はその器ではない」「リーダーなんてできるか不安」「やるメリットがわからない」などの会話を、おそらく自分の内側でしているのではないかな、と。

つまり、リーダーとして期待されている現実に対して、その方たちは無意識・無自覚に内側でこんな判断をしているのではないかと言うのが私の何となくの仮説です。

◉自分ばかり損する(搾取される)かも
◉期待に応えられず周囲から失望されるかも
◉部下メンバーがついてきてくれなくて孤独感に
苛まれるかも

こうして書きながら思ったのは、「自分の生きる世界(社内外を取り巻くあらゆるステイクホルダー)をこう捉えていたら、確かに苦しいだろうなあ。」「自分自身を、そして自分が生きる世界を、社内外を取り巻く仲間をこう捉えているだなんて、自分にも周囲に残念だよなあ。」と言うこと。

「自分」と「相手(自分以外)」を完全に分離したもの、と捉えていると、対峙する対象となり、冒頭のような「リーダーになりたくない」と言う発言になるのも良く分かります。

では果たして、そんな分離の世界から生まれる被害者意識って必要なのかな?そんな葛藤は必要なのかな?まあ、そうした被害者意識を持ち続けて、リーダーになることを直視しないことによる「メリット」や直視しないことで「守っていること」があるからこそ、その選択をするのであろうけど。そうするのは、そうするだけの理由があるのでしょうけれど。

あるリーダーAさんの決意

ある組織の課長職に昇格される方(仮称Aさん)と3ヶ月余りご一緒させていただいた時の話をご紹介しましょう。Aさんは大変優秀で、組織で成果を上げ続けてこられた方で、社長からもその活躍を認められる方でしたが、チームで成果を上げる役割なんて務まらない、面倒だ、と課長職になられることに当初は後ろ向きでした。「自分一人で成果をあげることに集中したい。」と。

そこで、課長職になることの不安を伺ってみると、冒頭で書いたような

◉自分ばかり損する(搾取される)かも
◉期待に応えられず周囲から失望されるかも
◉部下メンバーがついてきてくれないかも

と言う気持ちもさることながら、それ以上に

◆うまくやれない自分に失望するかも

と言う不安が強いことに気付かれました。更には、自分がどんなリーダーになりたいのかがまだ明確になっているわけでもないのに、そのなんとなくフワフワした「漠然としたリーダー像」に自分がなれるのか不安に感じていることに対する違和感にも。

私:「ならもう、勝手に自分でどんなリーダーになる、って『決めて』、ただひたすら言い訳せず、その理想のリーダーに向けて出来ることだけやりません?言い訳せずに。私はただただ、言い訳していないか、だけを見守りながら、ただただ応援しますから。どうですか?貴方を取り巻く世界は温かいですから。」

3ヶ月に渡りご一緒する過程で、どんなリーダーになりたい、でも・・・と、勿論色んな言い訳や被害者意識が出てくるわけですが、その都度「あれ?言い訳出てきてないですか?」「被害妄想になってるように聞こえたけど、何が起きました?」とそっと問う。自分を自分で直視するって結構大変だけど、問われると「おっと!」と引き戻されて、「で、どうするって決めるの?」に戻る。人は誰しも無意識・無自覚でいると、長年の思考パターンにスルスルと引き戻されて行くんですよね。セルフコーチングが難しい、内側でぐるぐる悩む自分と会話出来る客観的な自分を持つことが難しい時は、第三者による支援は効果的に働くと思います。

「決める」と決めるためには

課長職になることに対して、色々な葛藤(言い訳)をしていたAさんは、今では課長として、自分がどうなりたいか(WILL)、自分が出来ることは何なのか(CAN)、会社が自分に期待してくれていることは何なのか(MUST)、だけをシンプルに考え、ただそこに向けてやると『決めて』、淡々と、ブレずにその役割を楽しんでおられます。仲間からも慕われ、自分がいなくても主体的に行動をしてくれる若手も育ち始めているとか。そう、自分を取り巻く世界は自分が決めた通りになるんですよね。

つまり、やると『決める』ことが出来れば、できるようになったも同じ。「決める』と決めるまでのプロセスを、丁寧に踏むことが理想的な成果に向けて、物事をうまく運ぶ最大の秘訣なのかなあ、と。

私は「花に囲まれて生活する」と決めた!
お金がかかるとか、買いに行くのが大変とか、言い訳しないと決めた!


そうは言っても決められない、のが人間の常であり、私自身も様々な『決めきれていない』悩みを持つ人間の一人であるのは確か。例えば、プライベートでは「可愛らしい妻でいると決める」「どんな時も子供たちから話しかけられたら手を止めると決める」などなど。頻度こそ激減したが、前者に置いては、夫の発する言葉や取る態度に反応し、それを言い訳に「可愛くない」自分が現れて悪さすることもあるし、後者に置いても同じ。

でも、自分自身で実験を重ねる中で分かったのは、このプロセスをとにかく振り返りながら繰り返すと必ず『決めたとおり』になる、と言うこと。

  1. どうなりたい、どうなったら嬉しいか、を真剣に決める。(例:メンバーから慕われるリーダーになる、と決める。)

  2. 決めたものの、道の途中で遭遇する出来事から色々な言い訳が出てきたら、その言い訳を直視し、これからも言い訳をし続けるのか、手放すのかを決める。(例:慕われたいと思っているのに、自分に歯向かう部下が現れたとして「相手が悪い」と言い訳するのか、それともその言い訳を手放して「自分が慕われる行動をとることに専念する」と決める。)

  3. 言い訳をし続けるなら、1.のプロセスに戻る。言い訳を手放すなら、言い訳にさよなららして、決めたことを強く決め直す。

実にシンプルなのに出来ない理由もシンプル。自分が決めたこと(自分が自分に期待したこと)をやり切ることへの信頼がないと言うこと。「私なら出来る」と言う自分への信頼、かな。

だから「決めよう」よ。

「えー?自分への信頼がないから決められない、と言う結論なの?」のように聞こえるかもしれないが、「決める」と決めることこそが、自分を信頼する行動だとも言えるのではないかと思うわけです。つまり「決める」ことを小さく沢山積み上げていく先に、自分を信頼できるようになる、と言うこと。自分を信頼できていない、と感じている方は「決める」経験が少ない、だからこそ小さく沢山「決める」を積み上げればいいのだと思う。だから、・・もう言い訳ばかりしないで、どうなりたいか、早く決めようよ、ということ。

向日葵は言い訳せずに全力で向日葵であり続ける。

すべては、自分が「決める」かどうかだけなのだと思う。物事は全てシンプルなのです。決めることから目を背けて、決めると言う最高の自己信頼を築くチャンスを自ら奪わないこと!

世の中はとても温かくて、貴方が思い、望み、願い、決めたとおりになるから。こんなことを、これからも微力ながら研修等でお伝えしていけたらな、と思います 。

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