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連休も残すところあと少し。今年は遠出せず、中学生の娘とその友達を読売ランドへ引率したり、自宅の断捨離をしながら、のんびり過ごしています。

そしてちょっとした我が家の楽しみの一つだったのが、玄関のプランターの花の入れ替えと、夏野菜の植え付け。どれを植えようか、育てようか、と数ヶ月先を想像しながら、様々な想いを巡らせながら、選ぶプロセスは楽しいものです。

夏野菜を育て始めたのはコロナ禍がきっかけですが、私が今のように花を愛でるようになったのは、ある人との出会いがあってのことでした。

それは、今もお隣に住むシャイな60歳前後の男性です。

⏬今では我が家は常に季節の花と共にあります😊

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その男性との出会いは、今の家に引っ越してきた数年前。こちらからは家族含めて「おはようございます」「こんにちはー」と声をかけるものの、頭をくっと下げるだけで言葉が返ってこない、そんな言葉の交わし合いのない関係性がずっと続いています。

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引っ越してきたばかりの時は、「無愛想だよね〜」なんて言って、どちらかと言うと避けがちになっていたのですが、その男性は(奥様は音楽家で家をあけることが多い様子)道ゆく人々の心を奪うほど美しく、自宅の玄関先を花で彩る方で、隣に住む我々も、季節の移り変わりと共にガラッと変わる美しき玄関先の花から、沢山の幸せを享受するようになりました。

「バラが本当に綺麗だよね。」

「百合が素敵だねー。」

全く玄関先をノーケアだった私は、知らず知らずに影響を受け、街を歩いていても、花が意図せず目に飛び込んでくるようになりました。

まるで、私の中に眠っていた願いが呼び起こされたかのように。

次第に「この花がうちにあったら素敵だなあ」なんて言う自己対話が日常の一部になりはじめ、コロナ禍のstay homeの環境にも後押しされる形で、我が家は家の中も、外も、そして裏庭も、花や野菜で囲まれるようになりました。

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裏庭で庭作業していると、お隣の男性と良く顔を合わせるんですよね。普通の私なら「お天気いいですねー。」とか「いつもお花が素敵で、幸せをいただいています。ありがとうございます。」なんて言う気の利いた言葉をかけたくなるのですが、最近ではこの男性とは花を通じて会話ができているのかも、と思えるようになり、軽い会釈でなんとなく十分通じ合っている感覚を得られるようになりました。あくまでも私の一方的な感覚ですがね(笑)。敢えて言葉にしない、非言語のコミュニケーションを楽しんでいます。

私の中には何となく、相手の懐にスッと入れるタイミングを見ながら、最終的には言葉を交わし合える関係性が理想という思い込みがありましたが、もしかして、お隣さん同士と言う、距離感を図るのが微妙な関係性においては、これが良き関係性なのかもしれません。

今ではそう思えるようになり、更にはその男性の中にある愛に気付けるようになりました。

面白いものですね!!

「何であんなに無愛想なんだろう。話もしにくいし。」と思っていたのが、今では花に目覚めさせていただいた感謝と共に愛まで受け取れるようになっている。

結局のところ、自分の内側次第だと言うことを、その男性から改めて教えていただきました。

これからは自分の好きな花や野菜を育てるには絶好の季節。こうして季節の移り変わりと共に自然の変化を味わえる日本に生まれたことは幸せだなあ😊。

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