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海外生活始まりのキッカケは? (2)

西暦2000年は、シドニーオリンピックの年。女子マラソンで、高橋尚子選手が金メダルを取ったのは今でも記憶に残っていますよね。

今シドニー在住の私ですが、オリンピックで盛り上がっている2000年は、クイーンズランド州の学校で日本語教師アシスタントをやっていました。

(そう、実はオリンピックを生で見てないです😥)

派遣されたのは、クイーンズランド州のブリスベンから内陸へ車で1時間ほどの田舎町。私立学校はそこにある。

今の町並みは知らないが、当時はホント「ここどこ?」っていう田舎町だった。

今だから言えるが、当時空港に迎えに来てもらって町までの移動で、あまりにも辺鄙なので「ひょっとして騙されたのかな?」と不安がよぎったのは懐かしい思い出 (笑)。

オーストラリアの私立学校は一般的に、日本でいう幼稚園から中学・高校まで一貫している場合が多い。その学校も幼稚園から、Year 1 (小学一年生)から Year 12 (高校3年生)まであった。

田舎町の学校なので敷地が広大!
集会所

その学校では第二外国語として、日本語・ドイツ語・中国語のクラスがあった。もちろん私は、その日本語クラスでアシスタントとして関わることになる。

日本語を教えるアシスタントだから簡単?

とんでもない!

ほとんどの生徒は、日本語を習い始めか数年は経験しているが、私が日本語で説明する機会はほとんどない。

むしろ日本語を、英語で生徒に説明するのが難しい。。。

日本文化の授業(折り紙とか)でも、それを英語で説明するは一苦労だった。。 折り鶴の折り方を英語で説明するのが難儀だったのを今でも覚えている。

黙って折り方を見せるだけでは、自分の英会話の上達に繋がらない!

ここでの1年間の生活は、いろんな意味で大きかった。

オーストラリアの学校生活を知る貴重な経験(日本の学校しか知らない)ができたし、

英語力もアップしたと思う。

そして何よりも、将来海外に住みたい!という願望が確信にかわり、
海外でやっていける自信に繋がった。

この間に海外に住むための準備期間にもなり、翌年シドニーへ移り住む。

続く。


今日のシドニー気温12度!🥶

シドニーは春夏秋冬の四季があるというより、夏冬って感じです。
あまり紅葉もしないのかな。

近所で、ほんの少しだけ紅葉してます(笑)

少し黄色くなってる!
木は許可がないと切れないので、電線をよけて枝を切ってます!(笑)

今日は風も強く寒かったので、散歩に行く気がありませんでした。。。

今日の歩数、1745歩🤣

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