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母の名は。 第8回・メークイン

男爵いもをやったのだから、

我らが女王についても知っておきましょう。

今回写真とかTwitterからの引用がなくて

文字だらけになってしまった、すまない。

男爵と並んで日本で多く作られ消費されている品種

メークイン

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画像提供:日本いも類研究会

「メイクイン」「メイクイーン」「メークィン」「メークィーン」「メークイーン」など

さまざまに表記されているのを見かけるが、

正しい品種名は「メークイン」

なので、ここでも統一していきたい。


五月女王


名前の由来は、中世ヨーロッパの春の村祭り(メーデー)で、村の娘の中から選ばれる女王【May Queen】にちなんだもの。

村人はメイ・ポールの周りで踊り(メイポールってリンゴの品種じゃないか!?)

メイ・クイーンは頭に花や飾りをつけて街を行進した。

ちなみにこの日の前夜は、魔女たちがサバトを行うヴァルプルギスの夜(好きな人もおるやろ)

春は生育・繁殖の季節を迎える季節

ヨーロッパでは精霊によって農作物が育つと考えられており、

その精霊は、女神、女王や乙女のかたちで表現されていた。

五月女王は祭りの象徴だったのだ。

原産はイギリス

両親は

不明!

ひえーーー

男爵と同じで、古い品種は出生がミステリアスになりがちですな。

イギリスでサドラーという人が栽培していたのを、1900年にサットン商会が世間に紹介したという記録が残っている。

日本には大正初期にアメリカから輸入され、1917年頃(大正6~7年)に渡来し、本州より北海道に移入されたと書かれた資料が多いが、

1914年(大正3年)に北海道で記載が残っていることもあり、

詳細は不明だそう。

品種試験の結果、「男爵薯」と同じ1928年に北海道の渡島、釧路、根室地方の限定奨励品種に決定し、1931年には一般奨励品種となった。

女王と男爵は同期よ!

はい、ここ百合テストに出ます(出ません)

収量も別に多くなく、病害虫に弱いので

本国イギリスではもはや栽培されない品種だそうである。

エリザベス一世が後押しして広めたのに!

日本はこんなにも作っているのに!

とはいっても、日本でも戦前はそんなに注目されず

戦時中は「食用いもは男爵とする」と統制されていたため、

メジャーデビューは食料難が終わった戦後である。

昭和30年代は関西での人気が高く、全国で需要のある今でも「東の男爵、西のメークイン」と言われることがある。

調理法や味付けも西と東じゃ違いますものな。


あついのさぶいの?


男爵の聖地が函館

紅丸の聖地が留寿都

だとすれば

メークインの聖地は「厚沢部(あっさぶ)」「帯広大正」である。

発祥の碑があるのは厚沢部

厚沢部町内でメークインが試作されたのは1925年(大正14年)

以来、指導者がメークインの栽培に全力を注いで、管理・改良を行って銘柄を確立させた。

1976年、その偉業をたたえて、「メークイン発祥の地」の碑が建てられた。

直径2.1メートルもの巨大コロッケを揚げるイベントなんかもしているらしい。楽しそう。

他の品種と交わることがないように、厚沢部ではメークインのみしか栽培されていない。

徹底した管理!

厚沢部のシンボルマークはメークインをモデルにした「おらいも君」。

確かに顔が細長い。ファミリーがしだいに増えているらしい。

帯広大正農協がメークインの栽培に本格的に乗り出したのは1948年(昭和23年)

品種改良を重ねた結果、昭和27年頃から「大正にメークインあり」の評価を得るようになる。

地ビール「おいものおもい」はJA帯広大正青年部が企画しており、メークインが原料だそう。


気丈な女王の弱い一面


メークインの特徴は

煮崩れしにくい

ところだ。

じっくり味をしみこませる料理に向いている。

ホクホク感はなく、しっとりとした食感である。

男爵とメークインが見分けられない人が多いと聞く一方、

学校によっては家庭科で

男爵はポテトサラダに、メークインはカレーに向いているのよと教わるところがあるらしい。

病害には弱い、ジャガイモシストセンチュウだけでなく他の病害にもやたら弱い

じ、女王~(心配)

それと他のじゃがいもに比べて

有毒なポテトグリコアルカロイドを多く含む傾向がある。

ソラニンとかチャコニンとか。

今はどうか知らないが

7月頃は各地の幼稚園や小学校の学校菜園で

収穫したじゃがいもによるグリコアルカロイド中毒がほぼ毎年のように発生していたらしい。

先生、栽培中や収穫後のジャガイモに光を当ててはいけないという

知識をお持ちでしょうか。

それでなくてもグリコアルカロイドが増えやすいメークインはやめておいた方がいいじゃないでしょうか。


主従百合はお好きですか?


男爵がキタアカリなどのお母さんになっているのに

なぜメークインの子供はいないのか?

形が長すぎ、

さっき言ったポテトグリコアルカロイド含みすぎ、

生育中に倒れやすい、

疫病に罹病しやすいなど、

虚弱体質なんですよ(萌えポイント)

ひ弱だから、良い子供を期待できなかったし、

花から花粉を飛ばせなかった、つまりお父さんになれなかった。

男爵とメークインの子供ができたら最強じゃね?と

じゃがいも好きなら一度は考えると思うのですが、

男爵も花粉を飛ばせない!

どちらもまともな花粉をつくらない!

雄性不稔(と言います)同士では子供はできない!

それゆえ、私はずっと

男爵とメークインは百合だと申し上げております。

わりとこういう根拠があってのじゃがいも擬人化小説ですが、

まあ、そこは気にしなくてよろしい。


元祖肉じゃが論争


おふくろの味の代名詞

肉じゃが

発祥の地について

2つの街が名乗りを上げていることをご存知だろうか。

広島県の呉

京都府の舞鶴

そもそも肉じゃがは東郷平八郎が

「イギリス留学の時食べたビーフシチュー食べたーい」

と海軍に無理を言って作らせた料理が始まりだ。

東郷平八郎は日清・日露戦争の勝利に大きく貢献した軍人さんね。

当時は、赤ワインなど手に入らない時代

デミグラスソースなんてできないじゃん。

料理長は代わりに醤油や砂糖を使い、相当試行錯誤したのだろう。

結果、ビーフシチューにはならなかったが、

ビタミンC豊富なじゃがいもは脚気防止になって海軍にもってこいじゃん!と広まった。

……まあ、実際のところ当時からもうシチューのレシピはあったらしいので、

これは都市伝説らしい。

1995年、京都の舞鶴市が「肉じゃがができたのは、東郷平八郎がきっかけ」として肉じゃがの発祥地ということをアピールし始めた。

それを知って広島の呉が「東郷平八郎さんは、舞鶴(明治34年)よりも先に呉に赴任(明治23年)していたんだから、肉じゃがの元祖は呉でしょう!」と呉でも肉じゃがをPRすることになったそう。

でも今は、呉も舞鶴も決着をつけるつもりはなく、

お互いの肉じゃがイベントに出向いていって地域おこしをし、

お客さんは食べ比べができるらしい。

で、なぜこの記事でこの論争を取り上げたのかと言うと

まいづる肉じゃがは男爵いも

くれ肉じゃがはメークイン

を使っているからなんですね~。

そこも対抗するんだと。

う……2年熟成メークインの話も書こうと思ったのに、

もはや語りすぎでは。また別の機会にしよう。

(と言うわけで画像がない)


男爵メークイン百合SS


シャドークイーンからの逃避行中の一幕

「わたくし、あなたとの子が欲しかった」
 近衛兵の付かぬ旅路、女王は素直に思いを口にすることができた。
「でもそれは叶わなくて、かわりにずいぶん酷いことをしたわね」
「強き者を生み出す器となることは名誉なことです」
 男爵は首を振る。
「異国の血だけでなく、自らの子とも交われと命じた」
「貴女が喜ぶことが嬉しかったのです」
「チトセ、農林一号、オオジロ、北海白、北海五十号、キタアカリ。皆よく育ったわ……わたくしたちは歴史のうねりの中で飢饉、革命、隆盛、戦争、様々なドラマを見つめた。
わたくしたちは主食、主菜、副菜、汁物、嗜好品と姿を変え世界中の人のおなかを満たすことが出来る。だから――」
 誇り高き女王は這い寄る気配に身構えた。


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母の名は。バックナンバー

第1回・キタアカリ

第2回・スノーマーチ

第3回・男爵いも

第4回・紅丸

第5回・インカのめざめ

第6回・ノーザンルビーとシャドークイーン




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