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母の名は。 第3回・男爵いも

芋研ゼミマガジンの記事が10本を超え、充実してきました。

私や泡野瑤子さんのお知り合いで、じゃがいもについての記事を書きたいという人がいたら、

共同編集もできるのでぜひお声がけくださいね。

じゃがいものことなら(誹謗中傷のようなネガティブ記事は趣旨が違いますが)

短くてもゆるくてもいいのでお気軽に。

母の名は。の第3回は

紅丸かな~インカのめざめかな~まさか農林1号~?

デン!

男爵薯(だんしゃくいも)

やっとこうか。

100年の歴史を持ち、いまだ現役の品種。

でも、案外みんな男爵のこと知らないでしょう?

なんで男爵なの? 伯爵じゃだめなの?

男爵の両親は

不明!

ひえーー

明治時代に日本でも栽培されていた「Early Rose」という品種の変異体じゃないかと言われていたが、

DNAの分析によってその可能性は否定され、何らかの雑種に起源すると考えられている。

今まで紹介してきたキタアカリやスノーマーチと違って日本で育成された品種ではないのだ。

男爵いもは日本だけでの名前であり、

外国では「Irish Cobbler」(アイリッシュコブラー)

アイルランド人の靴直しの意で、発見者の国籍と職業にちなんでいる。

それがなぜ男爵と呼ばれるようになったかの話をしていこう。


氷川丸から芋につなげる話術


横浜に行ったことはあるだろうか?

ザ・ヨコハマな観光をするとき、

港の見える丘公園、異人館、外人墓地を見てから

中華街で食べ、

山下公園を抜け

さらに赤レンガ倉庫でショッピングし

みなとみらいへ

というようなコースで人を案内することがある。

山下公園には

氷川丸

という重要文化財に指定された船が停泊していて

博物館として中が公開されている。

え、ちょっと待て

それのどこがじゃがいもと関係あるんだと思われる方もいると思う。

でも、芋研ゼミ長にかかると

日常の些細なことからすぐ芋の話をしようとするので

氷川丸から芋も……うんいける!つないでみせる!


ラブレターフロム……


Twitter仕様でぎゅっと凝縮した解説だったが、

おわかりいただけただろうか。

私と一緒に横浜に行くとこういう話を聞かされる羽目になるから気をつけろ。


つまりね、

川田男爵が外国から取り寄せたんだけど

当時は原種名がわからなくて

川田男爵から広がったじゃがいもだったから、男爵と呼ばれていると。

川田龍吉については、この本が詳しい。

『サムライに恋した英国娘ー男爵いも、川田龍吉への恋文 』

ドラマ化されるんじゃないかと思うほど、ストーリー性があって読みやすい。

ジニー(本での表記)から龍吉に送られた、彼女の人柄や時代風潮が伝わる恋文がたくさん載っている。

こうして活字となって今でも読めるのは龍吉が金庫に入れて、大切に保管していたからである。

異国での恋愛は、望まぬ結婚をし子供をなした後も、生涯、川田龍吉に影響を与えた。

修道院の建つ丘のふもと、風にそよぐじゃがいもの花畑を眺める老いた龍吉の脳裏に、英国での思い出は切なさを伴って幾度となくよみがえっただろう。

死を目前にしてキリスト教の洗礼を受けた彼は、天国でジニーと再会できたのだろうか。

男爵いも発祥の地となった北海道の七飯町には、男爵ラウンジという施設があり、

使用された農耕具など、当時の龍吉の生活様式を知る展示物を見ることができる。

男爵ラウンジ

この聖地には今年こそ行こうと思ってたんだが、はああああぁああほあああああぁぁあ(長い溜息)

新型コロナウィルスめ……許さない。

北海道では1928年に「男爵薯」の名で「メークイン」とともに優良品種に決定し、いまやじゃがいもの代名詞のようになっている。

「ばれいしょ」って商品名で売られているの、だいたい男爵だったりするし。

新しい品種に比べると、

目が深くて皮が剥きにくく、病害虫抵抗性も劣るのだが、

生育期間が短くて後作ができることや、休眠期間が長くて長期間保管できるなど農家に嬉しい特徴もあって、

日本全国広い地域に適応し、技術も蓄積されている。

アメリカでのラセット・バーバンクやオランダでのビンチェも、

100年以上愛されているので、みんなお家で料理するお芋には案外保守的なのかもね。

今金男しゃく


男爵いもは、全国各地で栽培されているが

特にブランド化に力を入れている地域がある。

その代表は

北海道今金町の「今金男しゃく」(いまかねだんしゃく)である。

この地域では1891年、つまり明治時代からじゃがいもの栽培が行われてきた。

昼夜の寒暖差が大きく、水はけが良い肥沃な火山灰地がじゃがいもに適している。

戦後間もない1953年に、今金町は栽培品種を男爵1本に絞った。

「どこにも負けない日本一おいしい男爵」を作ろうと、厳しい基準を設け、高品質な男爵を育てる決意をしたのである。

2年後「今金男しゃく」の名前でブランドを確立した。

2019年にはGI登録商品(地域団体商標)の申請が通り、地理的表示産品であることをアピールしている。

茎の養分が芋に入りきるぎりぎりまで収穫の時を待ち、

手で堀り起こすので傷がつかず外観が美しい。

デンプン含有率が13.5%以上の安定した品質と

舌の上で崩れるようなホクホクした食味の良さ、

流通量が少ないことから「幻のいも」とも呼ばれる。

(まあ、幻のいもと呼ばれる芋は、あっちこっちにあるのでなんとも)

商品化の例だと

湖池屋がオンライン限定のポテトチップスを販売したり、

とんかつ新宿さぼてんが期間限定の明太コロッケに使用している。

見かけたら、高品質のおいもってどんなもんよと試してみるのもよいかもしれない。

復習SS


男爵いものSSもございますわよ。

 夜は灯りを落とし、一つの麻布に包まった。
「ね、男爵。龍吉の話を聞かせて」
 丸みを帯びた男爵よりも幾分大柄な女王は、その肩を抱き寄せると少女のように甘くせがんだ。
「何度目でしょうか」
「好きなんだもの」
 私がこの国に来たのは川田龍吉様のおかげです。龍吉様の父である小一郎様は土佐の村の生まれでしたが、明治政府に功績を認められて、日銀総裁まで上り詰め男爵の爵位を得ました。岩崎弥太郎とともに三菱の創設に尽力した小一郎様は龍吉様に英語を学ばせた後、スコットランドへの留学を命じました。六年間、造船や蒸気機関の設計を懸命に学んだ龍吉様でしたが、雲に覆われた陰鬱な冬、人間関係に悩む孤独な生活にはかなり参っていたようです。
 そんな折、龍吉様は書店でクリスチャンの女性ジニーと出会い、頻繁に手紙を交わすようになります。重ねた逢瀬の中では、街角で買った焼きじゃがいもを分け合って冷えた体を温めたとか。手紙に沢山の×××(キス)マークが付くようになったのは、風に揺れるじゃがいもの花を二人で見た夏からと言うのが微笑ましいですね。結婚を固く誓って帰国した龍吉様でしたが、小一郎様は異国の花嫁を断固としてお許しになりませんでした。下級武士から身を起こした川田家には由緒正しい家柄が必要だったのです。
 悲しい運命を忘れるように仕事に没頭した龍吉様は横浜に立派な船渠を作り、函館の会社を再建させました。小一郎様の死後に男爵を継がれ、農地を手に入れてからは土いじりに精を出すようになります。ジニーと過ごした農村の風景がよみがえったことでしょう。取り寄せた種芋の中によく育つものがあり、のちに「アイルランドの靴直し」と呼ばれる種だとわかるのですが、その時は不明だったため龍吉様の爵位にちなんで「男爵芋」と名付けられました。それが私であり、あとは女王も知っての通りです。龍吉様は九十二歳のとき丘の上の修道院で洗礼受け、亡くなられるまで先駆的な農業に情熱を傾けられました。
「馬鈴薯の花咲く頃となりにけり君もこの花好きたまふらむ」
 女王が男爵の胸に顔を埋め、囁くように諳んじる。
「石川啄木ですね。さあ明日も早い、やすみましょう」
 身を寄せるぬくもりが闇を優しいものにした。


BOOTH⇒『The Hidden Treasure われは妹思ふゆえに芋あり

母の名は。バックナンバー

第1回・キタアカリ

第2回・スノーマーチ


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