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「自己否定する自分」でも別にいいじゃん

自分のことが好きじゃなかった。

いつも頭の中に「なりたい自分」がいて
でもそうなれない・振る舞えない自分とのギャップにイライラしてた。

頭のなかの自分は
・メンタルが安定してる
・前向き
・性格がよくて慕われる
・自分に厳しい
・がんばりやさん

実際の自分は
・すぐ落ち込む
・不安定
・自分に甘いw
・すぐサボるw

そりゃそんな精神状態じゃ落ち込むだろ。と今なら思うけど、
ほんの最近まで真剣に「なんで私はこうなんだ・・」と悩んでいた。

でもなんでそうやって悩むのか
分解してみたら
なんか前より少し前に進めてちょっと楽になった気がするので
気づきを整理して書き出してみる。

・自己肯定感が低い原因

自分の人生を振り返って、これかなあ感じるのは「父親との関係」
わたしの元の性格を見抜いてたのもあると思うけど(流されやすい)
大学に入るまで門限は19時で、躾に厳しかった。
中学生のとき夏祭りの日ちょっと門限破って遅く帰ったら父親が玄関の前で仁王立ちで待ち構えてたこともあるw
今の時代だと通報されるのではレベルに引っ叩かれていた。

わたしは3兄弟の長女で、5歳差ずつで妹と弟がいる。
わたしの記憶の限りでは、妹と弟に手をあげる場面はそんなに見たことないし
父親が二人に怒ってるところもあんまり見たことなかった。
「なんで私だけ・・」と思ってたけど、思っても無駄だなと思って押し込めてた。

3兄弟の一番上だから高校は絶対公立と言われても(弟は高校から私立)
3兄弟の一番上だから大学は奨学金借りろと言われても(妹弟は奨学金借りずに留学&私立)
そんなもんかあ。と思っていた。

こうやって書くと父親がとんでもない鬼畜みたいやけどw
わたしも相当にこじらせた10代だったので
犯罪者にならず真人間に育てるためには、
その当時致し方ない手段だったと今なら思う。

父親は自営業で、上がり下がりのある業界だったし
わたしが進学するタイミングは
おそらくそういう面でも厳しい状況で、
妹や弟のタイミングではたまたま潤っていたんだと思うし
父親が死ぬほど怖かった分、母親に対してはめちゃくちゃに反抗していた。
(反抗することで少しでも注目してもらいたかった)

躾は厳しくても
勉強しろとか、わたしの人生について指図されることはなかったし
「自分の人生は自分で決めろ」というスタンスで、
そのスタンスは社会に出たいま
すごくありがたかったんだなと感じてる。

それでも、妹と弟が父親を慕うみたいにはどうしても慕えなかった。
妹と将来「両親引き取るならどっちか」で話し合ったときに(冷静に考えるとなかなかパンチ効いた議題)
父親は絶対考えられないと思ったw

いまだに父親と話すときは緊張するし、気をつかう。
どこで機嫌を損ねるのかわからなくて怖かった。

父親も心の距離に気づいてるのか、
以前、
「おまえが小さいときはパパも若かったし、子供は思い通りに育つと思いこんでた。
だから力技で躾してたけど、2人目、3人目と生まれて子供って思い通りにならへん生き物なんやなと学んだ。自分が未熟なばっかりにおまえには申し訳ないことした」
と謝られたことがある。

それを聞いて、「へえ・・」と言いながら
内心「は?それで全部チャラになるかよ♪」とおもったけど
謝られてしまった以上、父親のせいにすることはできなくなった。
(のちに別に許さなくてもいいって学ぶんですけどね)


・掘り下げた先にでてきた「父親に認められたい」気持ち

父親との関係についてこうやって整理して
冷静に書けるようになったのもほんの最近で
きっかけは今年のはじめに会社で受けさせてもらった研修だった。

「自分でも気づいていない潜在意識は必ず行動に現れる」という内容の講義で、
ワークを通して講師から指摘された。

「あなたは何度も間違ってないか見返すね。それはなんで」と。
見返す理由は失敗したくないから。
失敗したくない理由は、失敗したら認めてもらえないと思うから。
認めてもらえないと、「そこにいる価値がない」ことになるから。
認めてもらうための対象は、その組織で決定権を持ってる人。
会社だったら上司。
家庭だったら父親。

掘り返されて気づいた。
ああ、わたし父親に認められたかったんだ。

それまで父親については「いやな存在」と顕在意識で認識して
できる限り深く考えないように蓋をしてたけど
潜在意識では父親に認められない自分は価値がないと思ってる。
ひっくり返すと「パパ、いい子じゃないわたしも認めて」と思ってた。

それを認識したとき、講師の前で号泣してしまった。

わたしの潜在意識は小さい頃で止まってる。
父親が怖くて認めてもらえないと追い出されるんじゃないかとビクビクしている。
その潜在意識が可哀想でまた泣いたw

講師から、「べつに辛かった出来事は乗り越えなくていい」と言われた。
「ただ、その事実を客観的に見てどう思う?」と聞かれて考えた。

わたしはもういい大人で、父親から自立して親に頼らずきちんと生活してる。
何を怖がる必要があるんだろう。
いま父親に認めてもらえなくても生活に支障はない。
別に父親との仲が拗れて縁が切れたっていいじゃん。
育ててくれたことには感謝して、それでいいじゃん。と思えた。

乗り越えるんじゃなくて、
「過去そういうことあったよね、でも今は自分でちゃんと生活できてるから、その頃のわたしのことは自分で抱きしめて慰めよう」と思った。


・こじらせた「認められたい気持ち」

強烈体験をしたからといって、次の日からすぐ生まれ変われない。
これまで長い時間をかけて培った思考の癖がある。

その時、同時進行で仕事が猛烈につらかった(休職の原因)。

何が辛かったかを紐解くと「プレッシャー」だった。

振り返ると数年前
異動してこれまでと全く違う業務についたのに、いきなりPJTを任せられた。
補佐もなくひとりで。
「前部署であれだけの実績があるんだからいちじくちゃんならできる♪」というのが
当時の上司からの説明だった。

システムの仕組みすらわからないのに、できるわけねーだろw

と今なら思うし
いやいや、無理っすwと今なら言うけど
その当時のわたしは
“ここで出来ないなんて言ったら組織から追い出される=追い出されたじぶん無価値”という思考経路なので
「がんばりますっっ」としか言えなかった。

上司からすると楽だったんだよなと思う。
説明せずとも丸投げすれば
ガツガツ自分で情報を取りに行く部下は手がかからなくて楽だ。
そのへんのビジネス本にも書いている。
それが社会人としてあるべき姿であると。

しかし、本来のわたしは意識高くない。
できる限り楽したい人間である。
すぐ心は折れる。
「できない」「怖い」で心が支配された。

隣の席の同僚はできなくても
誰かに教えてもらえて、
さらに誰かが代わりに業務を回してる。
なぜ・・と思うより先を上司から洗脳される。

「●●さんは自走できてないから社会人失格」
「▲▲さんは途中でできないって投げ出して無責任」
「異動願い出したり休職したり退職する人は無責任」
「そんな無責任な人はこの先どこいっても逃げ癖があるからダメ」

(これ全部ほんとに言われたw)

できないって言ったら社会人失格って思われるのか。
この場から抜け出すと逃げって思われるのか。

そのとき「上司から認められること」で自分の価値を測ってたから
居場所を確保するためにどれだけ辛くても
「手がかからない部下」でいた。

気づくと前述の同僚の仕事、わたしが回してるw

頑張るとつぎは組織のリーダーに抜擢される。
つぎはマネージャー試験を受けようと提案される。

人生楽したいがモットーのわたしは
本当は全然やりたくなかった。

でも組織(上司)の期待に応えることが正社員の役目なんだろう・・
そもそも自分は正社員に向いてないんだ・・と
会社に対して煮え切らない態度を取り続けたのち、体調を崩した。


・すべて受け入れてくれる夫の存在

結婚して10年ちょっと経つ夫がいる。
夫は、わたしの全てを丸ごと受け止めてくれる。

わたしが自己嫌悪に陥ってるときも「そんないちじくちゃん可愛い」
わたしが情緒不安定なときも「自分の感情に素直で素敵」
わたしがサボってるときも「ありのままのいちじくちゃんブラボー」

最初「嘘だろ」と思っていた。
だってわたしはこんなダメなやつなのに!

でも付き合ってる時から10年経っても毎日こんな感じで
さすがに「こいつ・・ほんとに心から思ってやがる・・」と思いだした。

わたしはこんな自分が嫌なんだ。と言ったら
「なんで?ありのままのいちじくちゃんが生きてるだけで価値があるし、俺は一緒にいれることが嬉しい」と真顔で返ってくる。

夫は最強の自己肯定感マンだった。

しかし自分の思考はめちゃくちゃ頑なで、
すぐそばで「あなたは価値があるよ」と伝え続けてもらったのに、
わたしは「絶!対!!そんなこと!!!ないっっ!!!」と
受け取ることを全力拒否していた。

ずっとほしかった「承認」を自ら否定してたw

これが父親や、上司からだったら?
「あなたは価値があるよ」と言ってもらったとして、
一瞬は満たされるけど、多分また何か壁にぶち当たるたび
すぐ不安になるだろう。

何より自分で自分に価値があると思えてないから。


・そもそも自己肯定感とは

これまでの経験から、
「どうやら問題は外じゃなくて内にあるっぽいな?」と
薄々勘づいてきた。

そのタイミングで、この本を読んだ。

読んだタイミングが良かったと思う。

この本を読むまで
自己肯定感とは「自分が大好き」と思うことだと思っていた。
でもそれは自尊感情であり、自己肯定感ではないらしい。
この本によると
“自己肯定感は、誰かと比べてという相対的なものではなく、「自分という存在は大切である」という揺るぎない感覚”とのこと

揺るぎない感覚を養うとは・・・?


・自分を認めるワーク①今あるものに目を向ける

ものすごく雑に要約すると、
「人は“ない”ものにばかり目を向ける傾向があるけど、もうすでに十分持っとるやろ。持ってるものにまず目を向けんかい、ほんで感謝せんかい」と書いてあった。
(実際はものすごく丁寧にかかれてます。ごめんなさい)

ふーん。
足るを知るって聞いたことあるけど
まじめに考えたことなかった。

たしかにわたしはいつも
「時間ない」「あれほしい!」
「これほしい!!」「お金もっとほし〜い」と欲望まみれで
裏を返すとないものねだりだった。

紙にいま自分が持ってるものを書き出してみる。

・どんな自分も認めてくれる夫
・甘えてくれるかわいすぎる猫
・健康で自立した家族、義実家
・考えてることを共有できる友達
・お互いの価値観を尊重しあえる友達
・メンタル以外は健康な身体
・お金の心配しなくても最低限くらせる生活
・頑丈で夏は涼しくて冬は暖かい家
・毎日うっとりする心から気に入ってるインテリアたち
・そんなインテリアを買い集めれたわたしたちの計画性と財力
・着てない服すらある満杯のクローゼット
・どれを履くか悩むくらいあるお気に入りの靴たち
・etc…

書き出して思った。

もうすでにこんなに持ってるのに、
どうしてわたしは「もっと〜!」と思ってるんだろう。

このワークは強烈で、この日を境に物欲が消滅したw
大袈裟じゃなく、いままで120%だったのが20%くらいになったw

単純なわたし、ありがとう〜っ


・自分を認めるワーク②判断せずとりあえず受け止めてみる

わたし十分持っとるやんマインドを持ったつぎは、
いよいよ自分の思考の癖にメスをいれてみる。

本によると、
「勝手に物事に対して良い悪いって決めてるんは脳みそやろ、こうあるべき思考とかどうでもいいから目の前に浮かんだことに対して余計なジャッジせず、”あっそ“と受け流してみんかい」
とのこと。
(ほんとに雑すぎてごめんなさい)

十分持ってるマインドを得た瞬間も、
わたしの思考の癖はもちろん安定稼働☆

理想の自分は
「そんなことわざわざ棚卸ししなくても当たり前に理解してる自分」なのに、
現実は
「こうやって時間をかけないと腹落ちしないアンポンタン」
そのギャップにまた「だから自分はダメだ・・」と思う。

(いま書き出して思うけど、癖強すぎじゃないですかwwでも真剣に思ってたんだよなあ)

教えの通り、
ありのままの自分を
とりあえず何も判断せず受け止めてみることにした。
(なんでも“とりあえず”がミソである、ハードルが一気に低くなるw)

・なかなか腹落ちしない自分→あっそ〜
・いつもなりたい自分が頭にいるじぶん→ふ〜ん
・父親との関係性引きずってる自分→ほお
・休職したじぶん→へえ
・「自分が大好き」と思えないじぶん→なるほど〜?

そこで自己肯定感マン(夫)が
これまでシャワーのように浴びせてくれた言葉を思い出して付け加えてみる。

・なかなか腹落ちしない自分→ちゃんと時間かけて納得して進もうとする慎重さイイネ
・いつもなりたい自分が頭にいるじぶん→探究心あるわあ
・父親との関係性引きずってる弱い自分→そもそもそれに気づけてすごくない?
・休職したじぶん→勇気いる選択できたじゃん
・「自分が大好き」と思えないじぶん→こんな色々考えてるし今のままでも十分じゃん

なんかハッとした
これでいいのかw

※無理にポジティブ変換するのではなくて、別の側面を見る感覚です

思考の癖は強烈で、
いろんなところに罠が仕掛けられてるうえに
別の側面見たとて
「いや、やっぱりダメだ!」とぶり返したりもするけど

なんでダメ? 今すぐ変われないしさ、とりあえずはいいじゃん。
いま健康で愛する家族がいて、十分じゃん。と思うようになった。


そして思考の癖に引き寄せられる自分も悪くない。
「あ、また思考のくせにはまっちゃってるな」と観察して
ちょっとずつ矯正していく。
この訓練のおかげで日に日に自分の認知の歪みと向き合えるようになる。
逆にありがたい。


・得たことを休職前の思考に当てはめてみる

ちょっと話を戻して、
休職前の追い詰められた自分に当てはめてみる。

わたしはプレッシャーを
「他者から与えられてる」と思っていたけど、
そうじゃなかった。
「自分から進んでプレッシャーを感じてた」が正しい。

なぜなら、そうすることによって
「自分はここにいていいんだ」と感じることができるから。

上司の無理難題に応えることによって
「わたしは価値があると証明できた」と思ってたし

組織のリーダーに抜擢されることは
「わたしちゃんと必要とされてる」という証明になった。

マネージャー試験を提案されることは
「会社にとって必要な存在」という証明だった。

プレッシャーがつらい。ぴえん。と言ってたのはすべて
自分劇場のパフォーマンスだったw


きつw
認めるんきつ。


でも同時に「そっかああ〜〜」と腑に落ちた。
めっっちゃくちゃ スッキリした。

上司のせい、環境のせいにするより 気持ちがいい。


なんだ、じゃあわたしの捉え方変えればいいだけじゃん。


・気づいた先

捉え方かえようと思ったはいいものの
いままで超絶他人軸でいきていたので
「どうする?」ととつぜん聞かれても
どうしよ?という状態である。

時間はまだまだあるから、そこはいまゆっくり考え中。

この記事をかいても
「他の人はもっとスマートにわかりやすく書いてるのに」
という思考が出てくるw
だから
「ある程度書き出せたことが素晴らしい」と捉え直す。

大丈夫、ちゃんとできてる👌


ちなみに、わたしのこの認知の歪みについて夫に話したら
「え〜〜そんな風にちゃんと整理して認められるいちじくちゃん素敵」
と、返してくれた。

心からありがとう、夫。

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