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守り続ける

古いものを残して活用する。大事なことではあるのですが、難しい。日本では古い建物は壊すためにあると。解体して更地にして、切り分けて、分譲していくか、ビルを建ててしまう。知る人ぞ知る名建築も壊してしまう。それがどれほどの価値があるのか、知る機会も少ない。学校の勉強さえやっていればいいというような、教育をしてしまいがちで、習ってないからわかりませんなんてよく言っている人がいた。全てにおいてそうで、体で覚えていくか、後になってから知ることが多いように思います。

今やっている現場の近くで吉田五十八氏の自宅が解体されるということが決まったそうです。所有者は大きな家具屋さんですが、一族のゴタゴタで、維持管理ができなくなったのかわかりませんが、その決定が決まった。更地にして売ってしまうのかもしれません。元あった家を結構大規模にリフォームしていると、地元の大工が言っていて、そのリフォームがかなりひどい状態らしい。実際に見たわけではないですが。

つい先日まで解体工事をしていたのですが、今は一旦中止しているようです。

名建築とはいえ、吉田茂の別荘は観光地になっていますが、その設計者の家は日の目を見ることもなく壊されてしまう。自治体でも保存するとか、この家の保存を訴える団体もあったようですが、個人の所有物となっているので、外の人の声など届くことなどない。古いものは維持管理が大変なので、お金がとてもかかります。交通の弁もよくないので、観光する場所ではないですが、近くに吾妻山という観光地もあり合わせて散策できるようにできたかもしれない。
古民家を改修したことのある身からいえば、正直、予算など軽くオーバーしてくるので、費用を捻出してくれるところがないことには保存は難しい。その費用をかけるくらいなら解体してしまった方が、効率的であると言われてしまうだろう。

軽く予算をオーバーしたことを、業者が負担してしまうわけにはいかないので、自治体負担として、それは税金なので、そんなことより食えるようにしてくれというのが、一般的な流れになってくる。多くの人にとってそんなことは知ったことではないと。文化や文明を推し量る尺度位がどれくらいなのかいつも思う。稼いでいないことには何もできない。やりたいなら自分で稼いで土日に勝手に一人で手直ししていろというのが、大多数だろう。気がついた時には、そこら中同じような街になって、最後には結局食えない街になることは分かり切っている。海と山が近くて、静かな街が、駅前にお決まりの店が立ち並び、若者が住みやすい街だとか言われ始めればもうダメで、その場所でしかなかっとものが、本当に何もない、大資本に食い潰された街になるだけだ。

コンビニが近いというのが、生活の魅力の一つになっていて、コンビニまで車で30分となれば、何もない田舎という考えが一般的になってきて。どこにでもあって簡単に同じものが手に入るのが一つの豊かさになっている。そのコンビニがあることが文明の高さと認識している方が多く見受けられる。一度伊豆友人の家に遊びに連れ立って行ったことがあったが、連れは何もない街だと言い出し、コンビニを探していた。本人は文化人を目指していたようだが、文化人には見えなかった。都市と農村と分けて考えているようで、恐らくは、コンパクトにまとまった街で、外周部には農村が広がるような、城塞都市にでも住んでいるような気分なのかもしれにない。リモートワークで地方に拠点を持つ人が増え始めていて、大型スーパーや、コンビニが益々ぽつんと田舎に増えそうな予感はあるが、今一度、そこで買い物をするのか、自分で作るのか、お隣さんに譲ってもらうのか考え直すきっかけになる。

例え完全な住まいとはいかないまでも、建築に携わっていない人が、歴史ある建物を、少しづつ手を加えながら暮らすとなれば巨匠も喜んでくれるはずだ。

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