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イキ告問題と人間関係の明暗の考察

先日、とある界隈の中でイキ告(いきなり告白)事案が発生したというツイートを観測しました。告白した人はそのイベントを出禁になったと聞いていますが、昨日(6月の第一日曜日)はプロポーズの日だそうです。おそらくそれに便乗したのではないかと思います。

このイキ告について、僕の中で引っかかっていたものがありましたが、その謎が解けたのでそれについて書こうと思います。

イキ告に成功する人が一定数いる謎

この世にはどういうわけか、まかり間違ってイキ告に成功してしまう人がいます。その一方で失敗する人もよく見かけます。しかし、イキ告からの「ごめんなさい」や「お友達から」のような円満な断られ方をまったく見たことがありません。失敗例はほぼ確実に事案化しているのです。
僕自身もイキ告をやらかしたことがありますが、結果は誹謗中傷されて濡れ衣を着せられ警察沙汰。この件は近いうちに法的手段を取りますが、それはともかく、イキ告の結果が結婚と事案化の二極化していることに、長い間疑問を持っていたのです。

僕のフォロワーでイキ告に成功して結婚した人の例です。よりによって、趣味の領域で最底辺である鉄道趣味ガチ勢から既婚者が発生した現実を受け入れられなかったことをよく覚えています。
冷静に考えて、やっていることは完全にアウトのように思えます。しかし現実として結婚している…失敗した人と成功した人で何が違うのでしょうか。

鍵を握っているのは「愛着」

イキ告問題のヒントとしてピンと来たのがこのツイート。

確かに、イキ告に成功した側が不安定な愛着を持っている話は聞いたことがありません。また愛着不安の人がイキ告する場合に相手が愛着の安定している人だったという話も聞きません。
どうやらイキ告の成功条件は告白する側の愛着が安定していることのようです。

これでいくと、イキ告に必ず失敗する条件は「自分と相手、双方共に愛着が不安定である」と言えます。
親密な関係を保ちながら解決するのが難しい理由は、おそらく認知の歪みではないでしょうか。愛着が安定してない、すなわち親子関係に問題のある人は親の洗脳下で育ってきたので、人間関係を築く際にも歪んだ考えが根底にあることが多いのです。

イキ告失敗のケースでは「出会ってまだ関係が浅い」が告白された側(だいたい女性)の常套句となっています。現実にイキ告で結婚した人は少なくないことを考えると、関係が浅いというのは表面上の理由でしょう。そこには確実に認知の歪みがありそうです。
浅い関係で一緒になるのが怖いのはむしろ当然で、それを意思表示するのは悪いことじゃないと思います。ただし愛着に著しく問題がある場合、もっと根底に認知の歪みがありそう。「男女はお互いに憎み合うもの」(=異性を信じれば必ず裏切られる)といったところでしょうか。おそらくそれが洗脳レベルで染みついていて、無意識に自分を守るための告白の断り文句になっていると思われます。

津島隆太さんの「セックス依存症になりました」にはこうあります。

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異性に対する認知の歪みは、異性との交際経験がなくても結婚してパートナーがいても、その根本は同じとのことです。異性間の人間関係の場合には、認知の歪みが積み重なって性行動に問題が出てきてしまうようです。現に僕がセックス依存症となったその根本は、小学1年生の時に女性不信になったことがその発端なので、異性に対する不信感は性行動に著しく影響を及ぼすことを身をもって感じています。

また、イキ告とは別件で、最近(というかずっと)パートナーとうまくいってないという人を見ました。どうもお互いに感情にズレというか、別に誰が悪いという話でもないもので衝突しているようです。僕はこれに、異性への不信感を発端にした人間関係と似たようなものを感じました。

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振り返ってみれば、僕の人間関係は愛着の不安定な人ばかりで、親密になればなろうとするほど関係が壊れていくことが多かったように思います。無意識に認知の歪みの倍々ゲームを繰り返してしまい、最後には関係が破綻してしまうのです。この経験は、信じれば裏切られるという認知の歪みを強化することに繋がってしまいます。

これを繰り返さないためには、愛着の安定している人との人間関係が必須になります。岡田尊司著「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」によれば、人間関係の一時的なベースキャンプが必要で、そういった人間関係を「安全基地」と呼んでいます。本来は親が育むはずだった愛着を育てるべく、愛着の安定している人に身を寄せることが大切です。

愛着の不安定な人の健全な人間関係

愛着の不安定な人が健全な人間関係を築く方法としては、愛着の安定した人と出会うことと、愛着の不安定な人と折り合いをつけることの2種類が考えられますが、このうち前者の代表的な例として挙げられるのが、発達界隈みんな大嫌いな「支えてくれる彼くん」案件です。

しかしこれに関しては、reiさんの記事 何故、発達障害男性(ASD)の人生には「そんな私にも恋人」が発生しないのか? に示されていますが、そもそも性別次第でスタートラインが違う現実があり、愛着の安定した相手を見つける方法論にはまったく繋がらないようです。

では何故発達障害男性は非モテになるのか?また発達障害女性は非モテにならないのか?という話をすると、まず大前提として「先進国において男女それ自体に著しいモテ格差がある」という身も蓋もない事実がある。
https://twitter.com/rei10830349/status/1156824567869927424

愛着の不安定な女性は同様の男性との比較ではパートナーが見つかりやすいようですが、健全に関係を築けるかどうかは認知の歪みの如何、というところは男性と変わらないと思います。

ただ、愛着の不安定な男性にも愛着の安定した相手との関係を築くことは可能です。それが恋愛関係でないだけの違いです。
そして男性にとっての「支えてくれる彼くん」に近い関係性で記憶に新しいのが、ラジオでの問題発言でネット上で論争になったナインティナインの岡村さんと相方の矢部さんの関係です。

矢部「公開説教」の本気、30年前の「ダメ出し」岡村にぶつけ返す

矢部さんは結婚してからさらに女性をリスペクトするようになったといいますが、元々結婚前から女性をリスペクトできるほど確固たる愛着を持っているからこそ、岡村さんの女性不信の根っこの部分に切り込めたのです。その安定した愛着があるからこそ岡村さんへの感謝を忘れず、リスペクトしてきた30年間の積み重ねがあるのです。
まさに安定した愛着を持っているほうが適切な言動を取れる好例です。

愛着の不安定な男性にも「支えてくれる彼くん」(という表現には語弊がありますが)は確かにいるのです。その人間関係が恋愛か友情かの違いだけなのです。

愛着の不安定な人同士の人間関係を築く方法

では、愛着の不安定な人同士で人間関係を築くことは不可能かといったら、そうでもありません。そういう集まりとして世界中にあるのが、実は依存症の自助グループなのです。

AA(アルコホーリクス・アノニマス)を発端とした様々な依存症から回復することを目的に世界中で発生した自助グループは、長年の成功や失敗から伝統を築きあげていますが、自助グループのルールの1つに「言いっぱなし・聞きっぱなし」というのがあります。自助グループ内での議論や批判は排除されているのです。これには、思想が違えど依存から回復したい強い意志のある人を、伝統に反する等の理由から排除してしまった失敗から生かされているようです。
自助グループのような愛着不安の人の集まる場での批判や議論は、認知の歪みの倍々ゲームを生み出す危険性が高いと言えます。また同時に、口を出すことは傷の舐め合いにも繋がります。依存症からの回復という共通の目的を果たすためには、そういったものを排除することが必要だということを、自助グループの伝統が物語っているのです。

ただし、ここで愛着の不安定な人同士が関係を続けられるのは、自助グループの長年の伝統に守られているからです。自助グループを離れてしまえば、依存症者はいずれまた依存して元に戻ってしまいます。そうなると人間関係も壊れます。
自助グループに参加する目的が依存症からの回復であることは、必然的に愛着を安定させることが副次的な目的になります。よって、愛着の安定している人と別のところで人間関係を築いていく必要があるのです。
依存症の人にとってのそれは、スポンサーシップ(依存症からの回復が継続している人:「セックス依存症になりました」の作中ではブラザーシップと呼ばれてるもの)などです。

話はイキ告に戻りますが、イキ告にせよ人間関係そのものにせよ、愛着が育まれていなければどうにもなりません。そもそもイキ告の場合、愛着の不安定な人(告白する側)には「自分を救ってほしい」あるいは「相手を救ってあげたい」という認知の歪みが居座っていると思われます。これで奇跡的に成功したとしても、その人間関係はよしんば共依存でしょう。最終的に行き着くところは認知の歪みの倍々ゲームによる他者への攻撃です。

自分を救えるのは自分しかいないといいますが、要は自分に備わった愛着が自分を救うということになります。ならば、幸せになるには愛着を育むしかないのです。
他者に頼ることは必要ですが、その目的は自分の愛着を育むこと、そして自分の中に自分を超えた力があると信じることです(自助グループの「回復の12のステップ」の中にあります)。こう言うとスピリチュアル的な要素が入ってしまいますが、自分ではどうしようもないのが「生きづらさ」なので、理屈としては自分を超えた力に頼らなければならないのが現実です。

今回の記事を書いてて、やはり愛着から回復が必要だという確信を強めました。僕にできることとしてはまず親を捨てることです。これについては持続化給付金により資金が準備できる見込みです。
愛着を回復するスタートラインに立つ日はすぐそこに来ています。なんとしてもこのチャンスをモノにしたいと思います。


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