『教育勅語そのものを再評価すべきとは考えていないが、評価してもよい部分があったという事実を知ることは大切だ』 松井一実広島市長 『教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる』 参議院 1948.06.19 日本 20231211

 広島市の新規採用職員研修で、松井一実市長が戦前の教育勅語の一部を研修資料に使用しています。
 市長就任翌年の2012年から毎年使用しています。
 教育勅語は軍国主義教育の柱だった文書で、専門家は『現行憲法の理念に反し、不適切だ』としています。
 松井一実市長は、『教育勅語そのものを再評価すべきとは考えていないが、評価してもよい部分があったという事実を知ることは大切だ』としています。
 また、『全体を画一的に捉えて判断するのではなく、中身をよく見て多面的に捉えることが重要』としており、今後も使用を続けるとしています。

https://twitter.com/kyodo_official/status/1734131217237414240
共同通信公式
@kyodo_official
広島市の職員研修に教育勅語 - 現行憲法に反すると批判
5:41PM 2023.12.11

https://nordot.app/1106863713279885799
広島市の職員研修に教育勅語 現行憲法に反すると批判 | 共同通信

https://twitter.com/kyodonohate/status/1734180510325489960
共同通信ヘイト問題取材班
@kyodonohate
【配信全文】市職員研修に教育勅語 広島市長が引用 専門家「不適切」 | 毎日新聞
8:57PM 2023.12.11

https://mainichi.jp/articles/20231211/k00/00m/040/183000c
市職員研修に教育勅語 広島市長が引用 専門家「不適切」 | 毎日新聞

 『教育勅語(教育ニ關スル勅語)』(文部省 1890.10.30)は、当時の国民の教育の基本方針を示したものです。
 戦前の軍国主義教育の礎となっています。
 1948年に衆議院、参議院の両院が排除・失効を決議しています。 
 1948.06.19参議院は、『教育勅語等の失効確認に関する決議』において、『教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる』としています。

https://www.sangiin.go.jp/japanese/san60/s60_shiryou/ketsugi/002-51.html教育勅語等の失効確認に関する決議(第2回国会):資料集:参議院第2回国会昭和23年6月19日 参議院本会議 教育勅語等の失効確認に関する決議
 われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。
 しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。
 われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。
 右決議する。

 1890.10.30文部省は、『教育勅語(教育ニ關スル勅語)』を制定しています。
 『一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』 としています。

https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317936.htm
教育ニ關スル勅語(明治二十三年十月三十日):文部科学省教育ニ關スル勅語(明治二十三年十月三十日)
 朕惟フニ我力皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我力臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我力國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨り朕力忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
 斯ノ道ハ實ニ我力皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317610.htm
二 明治憲法と教育勅語:文部科学省

https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/modean_state/contents/education/index.html
近代国家 日本の登場 - 15.教育勅語 : 国立公文書館

https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/meiji/contents3_10/
教育勅語|教育勅語|明治の学び|国立公文書館
明治23年(1890)10月30日、明治天皇は宮中に山縣有朋(やまがたありとも)内閣総理大臣と芳川顕正(よしかわあきまさ)文部大臣を召し、「教育勅語」を文部大臣に下賜(かし)しました。この際、これまでの法令等とは異なり、国務大臣の副署が省かれ御名(ぎょめい、天皇の名前)の親署と御璽(ぎょじ、天皇の印章)のみが記された「勅語」の形式がとられました。
「教育勅語」の成立に当たっては、同年9月26日に芳川文部大臣が閣議に提出し、山縣、芳川、元田永孚(もとだながさね)枢密顧問官、井上毅(いのうえこわし)法制局長官との間で草案の修正がなされました。最終案が示されたのは10月20日のことであり、同月24日に天皇の裁可を得て、「教育勅語」が発布されました。芳川文相は、勅語の謄本を全国の学校に頒布し、各学校の式日などで勅語を奉読するように訓示しました。
大正12年(1923)9月1日の関東大震災で、文部省に保管されていた「教育勅語」は被災し、焼失は逃れたものの変色してしまいました。
「教育勅語」は平成26年(2014)に文部科学省から当館へ移管され、今回が初めての展示となります。

https://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m23_1890_02.html
明治23年(1890)10月|教育に関する勅語が発せられる:日本のあゆみ明治23年(1890)10月30日、国民教育の根本理念を示すため、「教育ニ関スル勅語」が下されました。一般には、「教育勅語」と称されます。勅語の原案は井上毅、元田永孚などによって起草され、「徳教ニ関スル勅語」という名称で上奏されました。勅語は、教育の淵源が「国体ノ精華」にあるとし、「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ」など具体的徳目をあげ、「一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と国民に求めました。掲載資料は、勅語の裁可書です。

#日本 #20231211 #教育勅語 #教育ニ關スル勅語 #義勇 #皇運 #扶翼 #文部省 #18901030 #19480619 #参議院 #文部科学省 #憲法 #民主主義
#fictitiousness #2023

記事を読んでいただきありがとうございます。 様々な現象を取り上げ、その現象がどのように連鎖反応を誘発し、その影響がいかに波及するかを検証、分析していきます。 皆様のお役に立てればと考えております。 応援のほど、よろしくお願いいたします。