はれのちはれフラグだ
奥ぐきの激痛で朝3時に目が覚め、日の出を拝んで歯医者に駆け込んだ。
ひっそり成長していた上の親知らずが、何も生えていない下の歯ぐきを雨だれのごとく穿ち続け、炎症を起こしたらしい。
バビルサにでもなるのか?
ここ十数年、虫歯もなかったし、歯みがきは念入りにしていた。
なぜなら、10人に1人はいるという「先天性永久歯欠如」だからである。
下あごの前歯から5番目の歯だけが、眠たくっても、嫌われても、年をとっても生え変わらなかった。生まれつき永久歯がないのだという。
もし乳歯が抜けてしまったら、そこはオンリー歯ぐき。
ゆくゆくはブリッジかインプラントを検討せねばならない。
LED並みに驚異の長持ち力を発揮するスーパー乳歯を守るため、1日4回歯を磨いていただけで、悪いことはしていない。
採用活動の手伝いで、朝から晩まで立ちっぱなしで200人の受付応対をした疲労と、同じセリフを200回リピートしたストレスも影響したのだろう。
とにかく波打つように痛い。口が開かない。
痛み止めを飲んでも、歯ぐきが腫れているせいで反対側でもまともに噛めない。小指の先くらいのお粥を、箸で押し込むように食べるしかない。
ふと、高校のお弁当の場面が浮かんだ。
Rちゃんは、おはしで一回についばむごはんの量が極端に少なかった。
歯列矯正をしていたわけでもないし、本人もとくに自覚していなかった。
単純に手先が器用だったのかもしれない。
そんなRちゃんは修学旅行で集合写真を撮ったとき、何かにつまづいて植え込みにセルフバックドロップした。現像した写真には、笑顔でピースしながら空中に浮かぶRちゃんの決定的瞬間が写っている。
足元は不器用だった。
数年後、Rちゃんは立派な産婦人科医になり、宝物のような命を取り上げる存在となった。
あの時感じた予感は本物、やはり手先は器用なのだ。
それはそうと、お腹は空いているのに食べられないというのはとてもつらい。流動食や離乳食のような食事を流し込んでも、すぐにおなかがすいてちからがでない。頬はアンパンマンのように腫れているのに。
牙が顔面を貫通しているバビルサは、どうしているのだろう。
ストイックというか、無鉄砲すぎて見習えない。
激痛の翌日には、工場とのオンライン会議が控えていた。わたしが議事進行して議事録もとるのだが、とても喋り続けられない。
こちらからは報告だけだったので、正直に事情を説明して中止させてもらい、内容をメールで送った。「声が出ない」などと遠回しに言ったら、ご時世的にあらぬ不安を抱かせてしまう。
工場の担当者にやたら同期が多いのが不幸中の幸いだった。
「あいつ歯みがきしてなかったのか」と誤解されるのは覚悟した。
だが、後輩はこんなメールを返してくれた。
なんちゃってバビルサよりも、はるかに大変な思いをしていた。
もともと細身の子だが、まったく食べられなくて1週間で10㎏も痩せたらしい。なんとも貴重な体験談と、ダイアモンドのような気遣い。
幸い、わたしの骨や神経には異常がなかった。
腫れたところに運悪く手前の歯があたり、食いしばる癖もあって化膿範囲が広がってしまったらしい。
抗生物質をきっちり飲んで、ようやく痛みも引いてきた。
この戦争が終わったら…くらいの勢いで、この腫れが引いたら、親知らずを抜くんだ!と息巻いている。
今わたしを動かしてるそんな気持ち、腫れのち腫れフラグだ。
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