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想像力×アート

こんにちは。サラダです。
先日、どうしてサラダって名前にしたんですか?と聞かれ、「サラダが好きで…」となんの面白みもない回答をしてしまった自分に情けなさを感じている2021年1月12日の午後でございます。

生野菜の味が好きで、だからってウサギみたいにそのままかぶりつくなんてことはせずに、複数の種類の野菜を盛り、ドレッシングを適量かけて食べるいわゆる“サラダ”が好きなんです。

特に外国で食べる、サラダ。

私が生野菜ってこんな美味しい?!ってなった記憶は、2014年に遡ります。
ヨーロッパへ初めての旅行でイギリスに行ったとき。大規模なマーケットで食べたタコライス的なものに付いてた生野菜が、美味しくて美味しくて。

何も付けてないのに、メインであるおかずの味の名残りだけでこんな?!!となったんです。(きっと当時はまだイギリスの料理はまずいイメージで、しかも前日にしっかりまずいフィッシュ&チップスを食べていたからかもしれない)

そこから海外で食べるサラダ=美味しいという思考回路が完成しました。

そんなことはさておき、アートをもっと感じる上で大切なことは何か、ふと考えるタイミングがあったので書いてみたいと思います。

想像力が豊かな人は、おそらく芸術や文化に敏感だと思います。

アート、今回は絵画にしますが、絵画はただの絵です。絵画そのものには説明書きや作者の想いは書いてありませんよね。
だからこそ、想像します。私はゴッホとゴーギャン展に行ったとき、ゴッホが精神を病みながら、孤独と戦いながら絵を描いていたんだと初めて知ってから、絵を見るだけでゴッホの制作風景を想像してしまうようになりました。
別に可哀想だな…というわけではありません。その寂しい後ろ姿の奥には、こんなにも愛らしい絵があったんだと、その姿を想像したのです。

作者たちの言葉ではない、言葉にはできない感情、生きた時代を想像する。この時間はとても大切なのではと考えました。

知識を得ることで想像がより膨らむので、展覧会に足を運び徐々に知識が増えてくと、だんだん楽しくなって私みたいに絵が好きになると思います。

そこから一気に現実社会の話になりますが、私は想像力のない人が苦手です。
私がHSPだからということも多分に関係していますが、想像力のない人は知らないうちに他人を傷つけたり困惑させます。

だからもし将来自分に子供ができたら、第一に「想像力のある人間」になってほしいと願います。

そのときに、今ある現代アートや、大好きなゴッホの絵が、多くのことを想像させてくれるひとつのきっかけになってくれたらいいなと、そんな遠い未来のことを想いました。

想像力があれば、ちょっとした喧嘩だってなくなります。どうしてこの人はこういうことを言う?する?ってまずは想像すること。これは誰しもが必要な過程だと最近よく思うことです。

繊細が故に受け取るものが多いので、想像力のある優しい人間が1人でも増えてほしいというただの願望ですが、世界平和を願う気持ちと一緒ですね。サラダ改めジョンレノンです。

エンターテイメントとはまた別の、アートの在り方についてもっと自分なりに考えていきたいなと思った日でした。

天気もあってなのか、気分がどんよりしていたので文章書いてスッキリしてみましたが、正解だったかな。

おわり。

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