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わぁ!陰謀論って大好き!

 

 冷戦以降の世界の歴史はすべて謎の人物「P」によって形作られている。

 「P」はもともとハンバーガーの間に挟まっているピクルスの生産加工業者で、男か女かもわからない。ただ神秘的に、生涯独身だった。ピクルスの生産に生涯を捧げたからだ。

 世界中がアメリカのハンバーガーを食卓に招き入れたのを皮切りにして、その人物「P」の意志が波及した。彼はピクルスにある暗号を仕込んだのだ。ピクルスの流通が世界的に増えたことで、誰もが知らぬうちに「P」の意志を口にし、ある者は暗号を解き、ある者は美味に感謝した。


 「P」が死んだ後も、影響は闇に紛れて続いた。12月25日になると人知れずあらゆる国立の建築物の敷地内にキュウリの種が撒かれるようになった。もちろん農作物に適した土ではないため、収穫に至るまで成長するキュウリは皆無だ。

  しかし、その種の遺伝子塩基配列に意味があり、解読すると「P」の意志に辿り着くことが出来る。多くの人間が既に「P」を解読している。そして、「P」の明かす世界の権力構造に気づいて、自分たちの退屈な日常生活を構造の内に取り込ませるよう人知れず活動しているという。

 彼らはなぜか種を持ち帰り家庭菜園やプランターできゅうりを栽培し始め、ピクルスとして食べれるまで成長させるという。市場に流通しないそれらピクルスは、彼らの家族の食卓でのみ振る舞われるが、食べた者は、自分からそのことを伝えずとも巨大企業や諜報機関から優先的に採用されるという。ピクルスを食べた者は、世界の権益を手にする。フリーメーソンのように、「P」の意志を解読した者達にとって機密情報や権威は独占されているのだ。

 もしこういう設定を純文学でやったらいささか顰蹙を買うと思うが、考えているとちょっと楽しい。世界の秘密にアクセスしたと思い込めて、おかげで現実のさまざまな事象を説明できるようになる。結局それは錯覚ではあるのだが、世界の謎に肉迫したいという欲望みたいなものを自分の内に認めもする。こういう話を真顔でするとドン引きされると思うが、真顔でしないと面白くならないので真剣に書く。

 陰謀論は危険であるとか、知性の劣化であるという話は今回はしない。そんなの当たり前だから。ただ「陰謀論って楽しい!」という思いを発露するだけである。

 ただ、陰謀論は嫌でも「擬人化」の考え方と結びついていくので、そこに面白味も限界もあると思う。世界の様々な出来事をマニュピレートしている「黒幕」がいる、というのが擬人化だ。例えば、古い風習の残っている村で崖崩れを原因とした失踪があったりすると「天狗の仕業じゃ」と言うおばあさんが出てくる。天候が目まぐるしく変わる高山の複雑さをすべて天狗一人に仮託する「擬人化」によって陰謀論は完成する。そう考えるとちょっとだけ尻すぼみ感がある。

 もっと壮大な陰謀を描きたいのに、すべてを一人の黒幕におっかぶせて終わりにしてしまうのは勿体ない気がする。

 その「陰謀論の限界」を突破する方法は、いくら考えても見つからなかったので先送りにするが、別の可能性は見つかった。「こういう陰謀論があっても面白いかも?」という変奏的な話である。

 最近読んだいくつかの小説で、黒幕が自分のことを黒幕だと理解していないケースの陰謀論が描かれていて面白かった。もしかしたら、バタフライエフェクト的な「もしかしたら知らずの内に自分が黒幕になってるかも?」という陰謀論があってもいいかも知れない。遠く彼方にある何者かが世界をマニュピレートしているという物語だけではないのだ。つまり、これを読んでいるあなたや僕が、まったく知らない内に事件の引き金になっている、という説話構造である。ちょっと怖いか……。

 趣味として書いたファンタジー小説の原稿が、自分の知らない間に出版されて遠くの国で読まれていて、戦争のきっかけになっているとか。あるいは、たまたま感染症にかかった人がたった一度空港でくしゃみをしただけで、世界中に広がってしまうとか。

 常識的に考えれば、既にこれだけ世の中が複雑になっているのだから、一人の人間がくしゃみをすることくらい限りなく小さなことだ。大海にコーヒーの一滴を落とすようなものだ。一人の人間のしたことが世界に届こうとし、次に振り落とされる、というのが普通である。

 こういうのを軽々乗り越えてしまうのが陰謀論の面白さではあるのだが、つじつまの合わないまま飛躍できてしまうこと自体が、同時に限界だとも思う。

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