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「どくろ杯」「ねむれ巴里」を読む。民族的ルーツをもった風景。あと少し建築の話。

 なんとなく「風景描写を楽しめる小説は強い」と思っている。冒頭に入る花鳥風月や、登場人物の住んでいる建築について描かれると、より熟読したくなるし、じぶんでも魅力的な風景描写をしたいと常に思っている。

 中央にブロッコリーみたいな木があって、横に赤い三角屋根の一軒家がある。お父さんとお母さんと私が横一列に並んでいる。遠くにはきれいな川が流れている……。

 いきなりとんでもない書割だが、僕なんかは風景描写を考えるときに最低限のことしか考えられない。茫漠としたイメージはあるのだが、細部はいつも後からついてくる。どこにどんな樹木が生えていて、どんな匂いの風が吹いていて、どんな色の虫がどんな家の窓格子に止まっているのか?主人公の家の間取りなんかが決まってから、ようやっと第一稿を書き始められる始末。

「いいからメインストーリーをはじめろよ」

 と言われても、そのメインストーリーを描くのに風景の力が必要なのである。言い換えれば、風景に手を突っ込んで、そこから人間の生活感を引っ張り出す手法だ。

 金子光晴の「どくろ杯」「ねむれ巴里」を読んでいて思うのは、風景とそこに住まう人の描写が絶妙に乳化されているということ。

「ロバンソンあたりから眺めた、赤い春靄のなかのパリのシルエットは、この人生で僕のみることのできたもっともうつくしい背景の1つで、キリスト教的教養で人となった人たちにはそこに荘厳、華麗な神の一族の幻影をみることもありうると思わせるパリは、その周囲からみる遠景によって二重三重に支えられている」

金子光晴 ねむれ巴里 中公文庫 99ページ 

 この2冊の本は、金子光晴の自伝的回想録で、小説ではなかった。小説かと思って読んだ僕はすぐに「あ、そうなの?」と思ったが、案外、小説としても読めるエキサイティングな日常の記録だった。

 日本を出国して、衝動的な、その日暮らしの旅をはじめた青年時代の金子光晴。上海やパリに逗留するなかで、さまざまな芸術家くずれや、怪しい元貴族などに出会う。

 先に引用した風景描写は、お気に入りの箇所だ。春先のパリを、パンを食べながら散歩する金子光晴が眼にした風景だった。風景の向こうに民族性と文化を見出すのは海外旅行者ならではの視点だと思う。今なら、いちいち花畑を見るたびに「これは祖霊信仰的だね」とか「これはヨーロッパ的だね」とか小説に書くのはセンシティブな問題になってしまっているので、なかなかできないと思うが。

「どくろ杯」も「ねむれ巴里」も、異国の地に踏み込んだ者の視点に、多くを割いている。「中国人とは」「フランス人とは」とくどくど書いている箇所もある。今ならば差別表現になってしまう描写も見受けられて、読んでいて「おいおいマジか」と思うところもあった。金子光晴は、民族的な偏見の向こうに輝かしいものを見る。そういう屈折した視点の持ち主として、じぶんを規定したのだろうか?

 では、民族的ルーツを風景に見出すのは、いささか危険だろうか?

 こういう時に思い出すのは建築家のルイス・バラガンの色使いだ。

 バラガンが面白いのは、色に対して科学的に分析するというアプローチに、ものすごい時間と労力を費やしていることです。その試行錯誤から最後の最後に出した答えが、風土や民族から色を抽出するということだった。

斎藤裕 建築のエッセンス A.D.A EDITA Tokyo 156ページ


 ルイス・バラガンというと「強いピンク色の家の建築家」、とまず思う。しかし彼の色に対する造詣は、ただピンク色が好きだったとか、散歩している途中できれいな花に出会った、という趣味の問題を超えていた。ひとつの国の民族のアイデンティティーに肉迫して、幾年も時間をかけて色を抽出し、人生をかけて育てていく。詳しくは引用元の「建築のエッセンス」を読んでいただくのがいちばん良いとして……そんな想像力の在り方にやや驚かされた。

 話を戻すけれど、金子光晴は偏見に満ちた詩人ではあったかも知れない。しかしある種の人間的平等を諦めなかった、矛盾の詩人でもあったような気もする。「どくろ杯」「ねむれ巴里」にはたくさんの落伍者が登場する。カネをたかったり、強請ったり、窃盗を働いたり、体を売ったりする。逆にこちらの足下を見て不当に搾取しようとする、それなりの立場の者も登場する。金子光晴は、誰に対しても対峙しながら、見下しているとか、逆に過剰に卑屈になることもなかった。書き手として、相手と対等でいるからこそ細かな描写ができるのだと思う。

 金子光晴の風景の見方には、この時代の人間特有の偏見も含まれていたかに違いない。しかし、時には偏見が偏見を超えて詩に昇華されることもあった。そういう表現がどれほど今できるかはわからないけど、慎重になりつつも、僕は賭けたいと思った。


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