見出し画像

ふるさとは遠きにありて思うもの

こんちわ、唐崎夜雨です。
お暑ぅございますねぇ。
昨日、髪を切ってきました。わりと伸びていたので、小ざっぱりと夏仕様です。失恋とかじゃありませんよ。

都内下町のこの美容室には20年近く通っています。
実家のすぐ近くにあり、それこそ歩いて1分くらいの距離。
すでに他区でひとり暮らしをはじめていましたが、散髪にはここへきて、実家に顔を出していました。プチ帰省です。

2010年、実家がなくなります。
実家は、唐崎夜雨が生まれ育った家です。

諸般の事情で両親が関西へ移住することになり、実家は借地だったので更地にして地主に返した。
こうして生まれ育った家はなくなりました。

でもあまり感傷的なことはありません。

子どものころから将来の関西移住はうすうす知っていましたし、いま住んでいる土地が借地ということも分かっていましたので、来るべき時が来ただけという感じです。

それから、実家の建物は生まれ育った家ですから愛着や思い出はありましたが、いくらか古くなってる木造家屋なので建て替えの必要性も承知していました。結果として建て替えせずに更地となった。

この翌年2011年の春に東日本大震災が起きます。
あの古い家屋のままだったらどうなっていただろうかと思います。もちろん何の損傷もなく済んだかもしれませんが、倒壊半壊まではいかなくとも何らかの支障をきたしていた可能性は否定できません。
さらにそういった状況下で両親が生活を余儀なくされていた可能性を考えると、転居や更地は好機だったと思われます。

実家がなくなり、この町に来る理由もなくなったのですが、美容室を変えるのは億劫なので、数か月にいちど、かつて実家のあったこの町を訪ねています。

しかしもう他人の町です。

いま、実家のあった場所はアカの他人の家が建っています。
そればかりではなく町の風景も記憶の上書きが必要になり、かつての面影はなくなりました。昭和の下町らしさがまだ残っていましたが、その匂いは薄れてしまっています。

子どもの頃の遊び場だった工場や銭湯はマンションとなり、あそこにはコンビニ、あちらはコインランドリー、ここはパーキングと様相が変わっています。気が付けば本屋も魚屋も染物屋も質屋も眼科も牛乳屋も米屋も時計屋も文房具屋も場末感たっぷりのスナックも消失している。
駅からの通りすがりの新しい店舗に、あれこんな店あったっけ、ココなんだったっけとなり、脳みそフル回転させてもひとしずくの記憶の残滓もありゃしない。

いま住んでいる人には住みやすい町でしょう。されどかつての住人としては、現実よりも記憶の中にある故郷のほうが居心地がいい。こうゆう記憶は、朦朧となりつつも、良いとこどりして残しますからなおさらです。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても
帰るところにあるまじや

室生犀星「抒情小曲集」より抜粋

「ふるさとは遠きにありて」の「遠き」とは、過去と現在の距離でもよさそうだ。それなら、思うより他ない。実際に訪れたり帰ったりする場所ではない…帰るところにあるまじや。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?