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知るも知らぬも逢坂の関、蝉丸幻視行

小倉百人一首には、ようわからん人の歌も採用されている。
柿本人麻呂は歌も名もよく知られているが、実はその経歴はよくは分っていない。

もっと分からないのが、二人の「丸」。猿丸大夫と蝉丸。この二人はいかなる人物か定かではない。柿本人麻呂は人丸とも書かれたようだから、3人の丸かな。

梅原猛氏は、猿丸大夫と柿本人麻呂は同一人物という推論を著書『水底の歌』で披露してくれた。ずいぶん昔に読んだので、ほとんど忘れているが面白かったという記憶はある。

今回は猿丸ではなく、蝉丸。
井沢元彦氏の江戸川乱歩賞受賞作品『猿丸幻視行』にあやかって「蝉丸幻視行」と題してみる。されど、内容はただの神社巡り。

こんばんわ、唐崎夜雨です。
先月師走のはじめに大津の神社を巡った最終回です。京都山科と滋賀大津の境にある逢坂の関。
逢坂の関は歌枕として和歌にもよく詠まれている。逢坂という名が人の出会い、そして別れを想起させるのか。
百人一首では蝉丸と清少納言の歌が載りますが、ここは蝉丸。

これやこの行くも帰るも別れては
 知るも知らぬも逢坂の関  蝉丸

この和歌、おそらく早い段階で覚えた和歌ではないかと思う。リズムがあるので覚えやすい。「これやこの」とたたみかけるように始まり、「行くも」「帰るも」「知るも」「知らぬも」と「も」が重なる。

逢坂山の大津側の山の麓にあるのが関蝉丸神社下社。関蝉丸神社の上社は坂の上にある。もう1つ、上社より山科側の大谷町に蝉丸神社がある。

まずは、関蝉丸神社下社から。
下社は参道に京阪電車大津線の踏切がある。鳥居のすぐ隣が踏切だ。
数年前に訪れたときは、いささか荒廃していた。経年による荒廃か、それとも台風などの自然災害によるものか忘れたが、一部はブルーシートに覆われていた。

今回訪れてみると鬱蒼とした感じはなく、境内は樹木も手入れされ開放的な印象。参道の左手には社務所かなにか建物があったけれど、今はなくなっている。社殿もかなり整備されていた。
下社は本殿の周囲に回廊がつく。小さな神社ではあるが回廊があると、由緒のある神社のように思われてくる。

関蝉丸神社は、嵯峨天皇の時代の弘仁十三年(822)に近江守小野朝臣岑守が逢坂山の山上の上社に猿田彦命、山下の下社に豊玉姫命(あるいは道返大神)を坂神・交通の神として祀ったのがはじまりと伝える。

文徳天皇の時代(857)に逢坂の関を改めて開設したのにともない、坂の神は関の守護神として、関明神と称される。

そののち、逢坂山に住んだ琵琶の名手である蝉丸がなくなると、上下両社に合祀されることになった。関大明神蝉丸宮と称した。これが天慶六年(943)のことという。

『今昔物語集』巻24第23話に蝉丸が登場する。琵琶の名手である源博雅が逢坂に隠棲する蝉丸から秘曲を授かる逸話が載る。
ここでは、蝉丸は宇多天皇(867〜931)の皇子・敦実親王(893〜967)の雑色(使用人)だったとされている。親王の弾く琵琶を聞いているうちに蝉丸も上手く琵琶が弾けるようになったという。
ここに蝉丸は二首の和歌が載る。

世の中はとてもかくても過ごしてむ
 宮もわら屋もはてしなければ

会坂の関の嵐の激しきに
 強いてぞいたる夜を過ごすとて

『平家物語』にも蝉丸について触れている。巻十の海道下りで、蝉丸は延喜第四の皇子とされている。延喜は醍醐天皇(885〜930)のことで山科の四宮河原に住んだとある。
『今昔』から『平家』までの間に、蝉丸は使用人から皇子へ出世している。

関蝉丸神社下社から逢坂をのぼると上社がある。
上社は石段を登ったところに本殿がある。東海道沿いの山の斜面に神社がある。

関蝉丸蝉丸神社上社

関蝉丸神社上社から逢坂の関を目指して歩く。
上社より少し坂を登ったあたりは歩道がないので、車の往来には注意を要する。峠のあたりなると狭いけれども歩道がある。

大きく右手にカーブしたところに逢坂古関の跡の碑が建つ。ここにトイレもある。散策にはトイレと水分補給の情報は意外と必要ですよね。

謡曲『蝉丸』では、蝉丸は醍醐天皇の第四皇子として登場する。『平家物語』と素性は近い。しかしここでは生まれつきの盲目のために逢坂山に捨てられたとしている。
そこへ醍醐天皇の皇女でありながら髪が逆さに生えるため狂人となった蝉丸の姉・逆髪(さかがみ)が現れる。

白洲正子はこの逆髪は「坂神」ではないかと書いている。
逢坂山の坂神と歌舞音曲の神がここで出会う。交通の神、坂の神、関の神と琵琶を代表とする歌舞音曲の神の邂逅という関蝉丸神社の由緒がうかがえるのだろう。

逢坂の関に大谷の集落が続く。ここに蝉丸神社がある。大谷の蝉丸神社は万治三年(1660)に分霊。ご祭神は蝉丸大神と猿田彦命。
ここまでくると京阪大津線大谷駅はすぐそこある。

大谷蝉丸神社

今回は蝉丸神社を巡ったが、猿丸を祀る神社が京都府宇治田原町にあり、柿本人麻呂を祭神とする神社が兵庫県明石市にある。いづれ参りたい。


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