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天智天皇を祀る近江神宮と皇后倭姫を祀ると伝える倭神社

滋賀県大津市神宮町にある近江神宮は、比較的新しい神社。昭和15年(1940)の創建で、祀る神は第38代天智天皇。
天智天皇は667年に近江大津に都を遷した。しかし近江の都は長く続きませんでした。
天智天皇の後を継いだ大友皇子(弘文天皇)は、叔父の大海人皇子との戦(壬申の乱)に敗れ自害。大海人皇子(天武天皇)は都を大和飛鳥に遷します。近江の都はわずか5年ほどで幕を下ろします。

こんにちわ、唐崎夜雨です。
近江八景から名を拝借していますが、唐崎夜雨は生まれも育ちも東京。ただ我が家に伝わる噂では、はるか遠いご先祖さま、いわゆるルーツは近江の人だったようです。現在の長浜市北部、いわゆる湖北地方が当家発祥の地。
そんなことを知るようになってから、近江に親近感を持つようになりました。現在、両親が京都在住ということもあり、帰省したときにちょっと足を延ばして近江を歩くこともあります。

今年の12月の初めにも大津の神社を巡りました。紅葉はかなり散りモミジとなっていましたが、それでも十分に楽しませてくれました。

近江神宮には京阪電車の近江神宮前駅より歩くこと約10分。冬でも常緑の深い緑に覆われた広い境内。神社は自然に近い深い森の中に鎮座されているほうが好きです。
どこで見たのか忘れましたが、参道は産道でもあるという話を読んだことがあります。森の奥にある神社を参拝することは、胎内回帰であり、境内を出れば新しい人生の始まり、再出発であるとか云々。

この話は神社参拝だけではない。暗いとか闇とか夜とかは人生に必要な装置なのではないかと考える。
現代人は午前零時を過ぎて翌日と考える。でも、感覚的には夜を超えて朝を迎えて一日が始まる。寝て起きて一日が始まることは、わずかかもしれないけれど人生のリセットがそこで行われている。夜が、闇が、人生をリセットさせる。

閑話休題。
森の参道を抜けると石段の上に朱塗りの楼門が見える。このあたりに紅葉がまだ見られた。楼門を抜けると明るい神前が広がり、正面の石段のうえに外拝殿がある。
近江神宮は外拝殿と内拝殿がある。外拝殿の正面に内拝殿があり、外拝殿と内拝殿は回廊で結ばれている。おそらく御祈祷などが執り行わるのが内拝殿で、一般的な参拝は外拝殿で行う。内拝殿の奥のほうに本殿がある。外拝殿からも本殿の屋根の部分が見える。

さて近江神宮の御祭神である天智天皇といえば、小倉百人一首のトップバッターでもあらせられる。

あきの田のかりほのいほとまをあらみ
  わが衣手は露にぬれつつ

こどものころは小倉百人一首で遊びました。和歌に最初に触れたのはその時かもしれません。子供のことですから歌の意味なんか分かってません。スズメでないし100歳でもないけれど、和歌の一部や歌人の絵など覚えているものです。
近江神宮では御朱印帳を購入し、御朱印もお願いしました。楼門を入ってすぐのところが窓口になっています。
そろそろ御朱印をやめようと思っていますが、気持ちよくお参りができた寺社で御朱印があると買ってしまいます。

さて近江神宮を出て、いったん京阪の近江神宮駅へもどる。京阪電車で坂本方面へ進むこと2駅目の志賀里駅で下車。ここから北へ歩くこと数分で倭神社につく。
倭神社は「しどり_じんじゃ」と読みます。
正面の鳥居の左右にはクスノキ、ケヤキの大木が控えている。江戸時代、赤塚大明神と呼ばれていたようです。赤塚の名からも察せられると思いますが、神社は古墳の上にある。この古墳の被葬者が倭姫という伝承があるそうで、神社の御祭神も倭姫と伝わります。

倭姫王は天智天皇(中大兄皇子)の兄にあたる古人大兄皇子の娘。舒明天皇の第一皇子だった古人大兄皇子の母は蘇我馬子の娘で、蘇我蝦夷の妹であるところから蘇我氏の後ろ盾を得ていた。
ところが異母弟の中大兄皇子が中臣鎌足らと蘇我入鹿が暗殺され、蘇我氏が滅ぶ。皇位継承を断り吉野で隠れた古人大兄皇子だが、やがて中大兄皇子らに謀反の咎により討たれる。
これが事実なら、倭姫は父を殺した男に嫁いだことになる。

青旗の木幡の上を通ふとは
 目には見れども直に逢はぬかも

人はよし思ひやむとも玉葛
 影に見えつつ忘らえぬかも

倭皇后が天智天皇崩御の前後に詠んだ歌が万葉集に載ります。詳しく存じませんが、ここからは天皇の崩御を悲しむ心情がうかがわれます。
とくに、青旗の木幡の上とは青々と茂る木々の上とも、木幡という土地の上ともいわれますが、皇后にはそこを通う天皇の姿が見えるというのは興味深い歌です。

倭神社の社頭にある由緒書によると、この古墳の築造年代は五世紀前半ごろらしいので、被葬者は倭姫よりも古い人になりそうです。

倭神社は南を向いて建てられている。ここから南は大津京の方角であり、近江神宮の方向でもある。もともとの御祭神は倭姫ではないかもしれませんが、ここから志賀の都に思いを馳せてみる。



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