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西行に想いを馳せて上賀茂神社の境内社を巡る

こんばんわ、唐崎夜雨です。
今回は、昨年の夏に京都市北区にある上賀茂神社の境内社を巡った記録の最終回です。

上賀茂神社の正式名称は賀茂別雷神社ですが、通称のほうが通りがよいと思うので、本文でも上賀茂神社と呼んでいます。

岩本社の道を進むと賀茂山口神社がある。
賀茂山口神社は延喜式神名帳に載る古社である。
ご祭神は御歳神。

賀茂山口神社

賀茂山口神社の先の高台に二葉姫稲荷神社がある。
上賀茂神社の境内図には記されていないので、別の神社になるのかもしれないが、詳しくは知らず。
この稲荷神社からは上賀茂の社家町がちょっと望める。社家町は風致地区なのでビルなどがない。甍の波とはこうゆう風景かとたのしませてくれる。

二葉姫稲荷神社
上賀茂社家町をのぞむ

賀茂山口神社の近くには賀茂神社の神紋にデザインされているフタバアオイが群生している。ちいさなハート形の葉を古人はなぜに重要視したのだろうか。

「葵〔あおい〕」は古く「あふひ」と読んだそうで、「ひ」は神霊を意味するので、「あふひ」は「神と逢う」意味になる。
賀茂別雷神が降臨の際、葵を飾るように告げられたのにちなみ、賀茂社の神紋となったそうである。

ハート型のフタバアオイ

ここから本殿の方へ戻り二の鳥居より外に出る。
東側にきれいな小川が流れている。これを「ならの小川」という。京都ではあるが「なら」である。

風そよぐならの小川の夕暮れは
 みそぎぞ夏のしるしなりける
   藤原家隆 (『新勅撰和歌集』巻第三 夏歌)

この歌は百人一首でも知られる歌。『新勅撰和歌集』では夏歌の掉尾とうびを飾る。
ならの小川はこの上賀茂神社の小川のことである。和歌は「風そよぐなら(楢の木の葉、梢)」と「ならの小川」をかけている。

暑い日には足を小川にひたしている光景をよく見かける。この日は母子らしい一組だけだった。あまり暑すぎても出歩かないようだね。
小川で無邪気に遊んでいる子供を見ていると、大人になったのが悔やまれる。神社の境内では大人が無邪気に川遊びをするわけにもいかないよな。

ならの小川

ならの小川に背を向ける格好で摂社の奈良神社が建つ。
ご祭神は奈良刀自神〔ならとじのかみ〕。刀自というから年配の女神だろうか。奈良神社があるから「ならの小川」なのかもしれない。

この奈良神社の正面には細長い庁屋と称される建物が建つ。庁屋は神饌を調理するところで、奈刀自神神のご利益も神社に付された案内には「学業成就・料理技術向上の神様」と案内されている。

右が奈良神社 左の鳥居の奥にならの小川

小川を進むと山森神社。ご祭神は素盞嗚命、稲田姫命、田心姫神。
その先に梶田神社。ご祭神は瀬織津姫神。
このあたりは神社の裏手が駐輪場になっている。

山森神社
梶田神社
川と神社と自転車と

梶田社を過ぎると、上賀茂神社の一之鳥居の前に出てきます。これで境内をザックリ一周した格好です。見落としてるところもあるかもしれませんが、ご寛恕ください。

上賀茂神社 一の鳥居 奥が二の鳥居

さて、最後に戻る格好で恐縮ですが、ご本殿中門のすぐ右手の脇にある棚尾神社をご案内。これは参拝後に知りましたが、西行が棚尾社で和歌を詠んでいる。

正面に中門 向かって右手にあるのが棚尾社
棚尾神社 御祭神は櫛石窓神と豊石窓神

かしこまるしでの涙のかかるかな
 又いつかはと思ふあはれに   「山家集」

四国への旅に出る西行が賀茂の社に詣でたときに詠んだ歌。
中門の内にはお参りできないので、中門手前にある棚尾社に賀茂の神へのとりつぎをお願いしている。「しで」は「紙垂」とも「四手」とも書かれ玉串などにつけてたらす紙のこと。

この四国への旅は亡き崇徳上皇のもとへ向かう旅らしい。とすれば『雨月物語』に載るあの物語につながるわけですね。
『雨月物語』の中でも崇徳天皇のくだりは迫力がある。

これにて上賀茂神社の境内社巡拝はおわります。
ながながお付き合いいただき、ありがとうございます。


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