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#061 スカンノへの旅 (その8) 声を掛けられたが、ジョークを飛ばせなかった

 古い建物だった。正面からの姿も素晴らしかったが、側面も魅力があったので、側面を描いた。窓が7つあった。それぞれ形も大きさも違う。それが面白いと思った。画一さを求めない。それぞれ存在感がある。それがいい。違っていて当たり前。更に軒下には天使が10数人居て、それぞれに違った姿勢・表情で作られていた。ここにも画一さはない。建設後数百年は経っているであろう、その建築物をじっくりと観察しながら描いていた。

 「ボンジョルノ」両親と子ども2人の4人連れに声を掛けられた。子どもは6歳と8歳か。両親は30代だ。この建物は魅力的で素晴らしいと私は英語で伝えた。すると4人で絵を覗き込み、父親が子どもたちに何やら説明を始めた。イタリア語なので全く理解できない。建物と私の絵を見比べながら何やら解説している。このように、子どもたちに熱心に語る父親の姿を久し振りに見た。子どもたちは建物と絵を見比べながら、時々私の顔を見る。真剣な眼差しだ。子どもたちにとって、画家らしき東洋人の姿は珍しいものだったのだろう。
 父親はどのような話をしているのだろう。母親も耳を傾けている。いつもの「私は日本でも有名な画家なんだ」なんてジョークを飛ばせる雰囲気ではない。私はひたすらペンを動かし続けた。
 父親は結構長く話していた。話が終わり、しばらく沈黙。そして4人はニコッと笑いながら「チャオ」と言って去っていった。これから、レストランでの夕食なのだろう。

 4人の歩く後ろ姿を見て、ああ、私にもあのような時代があったと、日本から遠く離れたイタリアで、これまた遠い昔のことを思い出した。
 あの頃の私は、退職後の私が、まさかイタリアにまで来て絵を描くようになろうとは、夢にも思わなかった。今、スカンノで絵を描いている自分の変化に改めて驚き、感じ入り、そして、再びペンを走らせた。

(写真は画家の古山浩一さん撮影)
 

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