“二物衝撃”の俳句技法で文を綴る愉しみ
今春にできた一句。里山に登ったときに、残雪の中に見つけたフキノトウで、蕗味噌をつくった時に思い浮かんだものです。
私の俳句のお師匠からは、「“厄年”と“苦さ”の取り合わせがよい!」とお褒めのことばを頂戴しました!
(ちなみに私の原案は 厄年に 蕗の苦さの 味占める)
「取り合わせ」とは、俳句の技法の一つで、例えば短歌では「掛詞」(同じ音で、異なる意味を示すもの)が花とされるように、異なる事柄と事柄(片方一つは季語のことが多い)をぶつけることで、はじめて立ち現れてくる主題や情景に、面白みや気持ちの動きをたくして表現する技法のこと――と私は解釈しています。
2つの内容を合体させて創る方法なので、「二物衝撃(にぶつしょうげき)」とも呼ばれています。
※一つのこと(主題)に集中して創る方法は「一物(いちぶつ)仕立て」と呼ばれます。
(↑二番目は私が今春につくったもの。芭蕉の名句と並べるのもおこがましいですが)
私のお師匠は、とある学校の俳句指導で「二物衝撃」の技法について以下の例を挙げていました。
(もやもや感を「春の雨」に託している)
※二つ目は、「ランドセル俳人」として活躍され、2020年春から長野県上田市の「檻の俳句館」新館長となった小林凜さんの作品ですね。
桜や梅ほどの存在感や派手さはないが、素朴かつ可憐な桃の花。他の季語では成立し得ない一句だ、とお師匠は「取り合わせ」の代表例に挙げています。
俳句全般に関して師匠は、学校句会の児童・生徒さんに向けて、自然とお話(対話)する気持ちで、五感を使って創ろうと呼びかけ、また、感情をそのまま表現せずに、別のものに置き換えて表現するのが俳句だと話していました。
たしかに、現代は自分の気持ちを相手になるべく誤解を少なく、ストレートに伝える技術が求められているのかもしれません。「主張」を伝達する力量やノウハウも、現代を生きる技術の一つになっているようにも感じます。
そんな中、俳句は「想像のあそび(“余白”という意味での)」や一つではない解釈、わざとあいまいさを残す、ぼかしておく、といった、うっかりすると忘れてしまいそうな価値をそっと内在した、遊びの一つと言えるかもしれません。
今後はこちらのnoteに、「異なもの」と「異なもの」を二個以上ぶつけて綴った文章を載せていこうと思っております。
二物衝撃のスタイルで綴るのは、うまくいくのでしょうか? (笑)
※音楽用語で、noteは「音符」を意味するそうですね。
二物衝撃で、“和音”となるか、“不協和音”となるか(笑)、そのときどきで音色を愉しんでゆきたいです。
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俳句も好きですが、短歌のリズムも好き!!
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