はっきり言おう、貯金をしない理由なんて無い!

貯金は大切だ。
ただ、貯金をするというのは容易なことではない。

では、なぜ貯金が大切なのだろうか。そして、貯金をして得られる「効果」とは何であろうか。


まずはじめに、貯金がもたらす、2つの効果をあげる。

労働からの開放

「労働」という行為は一般的に「自分の人生の時間を切り売りして『お金』という社会生活を営む上で必要不可欠なモノを得る行為」であると定義できる。
このような視座に立つと、十分な量の資産は、人間を労働から開放し、より自由な人生をもたらす、と言える。

すなわち、残りの人生を生きていけるだけのお金が溜まった時点で、その人間が労働をする必要性はなくなるのだ。嫌な仕事はすぐにでも辞める事ができるようなる。そして、この状態を実現するものは、十分な量の資産(もしくは労働をしなくても今後確実に収入が確約された状態)だけであろう

ただし、一般の多くの人々がこの状態に達するのは、退職金という莫大な金額を得る、定年を迎えたタイミングであり、それ以前に労働からの開放を実現(アーリーリタイア)できるのはごく限られた人々だけである。

逆に最も悲しいのは、老後もまだ十分な貯金が無い場合だ。年金だけで不安であるからと、なんとか働き続ける場合、20代以降のすべての人生の時間を労働に費やすことになる。最低限老後ぐらいは自由な状態を得られるように貯金する、というマイナス思考も必要であろう。

根源的な欲求を満たす

しかし、多くの人はもっと現実的、根源的な欲求を満たすために貯金をしているように感じる。例えば、家を買うためとか、万が一病気になっても暮らしていけるため、という類のものである。
これらは、マズローの欲求段階説に当てはめると、一番下の生理的欲求と二番目の安全への欲求に該当する。

確かに、貯金はこれらの欲求を満たし、人々に心理的な安心感を与えることに寄与している。一方で、貯金が満たしてくれるのは、これらの比較的低次に位置する2つの欲求だけであるということに注意すべきである。(この詳しい意味については次の章で述べる)


ただし、貯金は万能でない。以下には貯金の限界について述べる。

手段の目的化という罠

人間が生きる上での最終的な目標は、幸福の追求であることは間違いない。そして幸福は、上にあげた欲求が満たされることによって達成される。すなわち、より高次の欲求が満たされた時が、より幸福であるといえる。

そういった意味で、貯金は、生理的欲求(特に食欲)と安全への欲求を得るための「手段」であり、それ自体が「目的」ではない。

すなわち、過度な倹約のために、人間関係が妨げられるようなことがあってはならない。良好な人間関係は、より高次の欲求(愛と所属の欲求)を満たすための重要な要素であり、貯金という手段が目的にすり替わるために、人生における重要なことを蔑ろにすることのないようにしなくてはならない。

貯金だけじゃ人生は満たされない

貯金というのはあくまで、根源的な欲求を満たし、また労働からの開放を実現するものである。しかしこれまでに述べてきたように、貯金それ自身が人生を豊かにするものではない。

人生における幸福は「自己実現」と「自己承認と他者からの承認」、「他者との交流」(マズローの欲求の上から3つを言い換えただけだが)であり、それらは、貯金によって満たされる性質のものではないことを十分理解すべきである。


ここまで読めば、貯金についての本質的な議論はすべて出尽くしたことになる。残りはおまけとして。

巷でよく耳にする、貯金に対するネガティブな意見

「貯金しても、通帳の数字が増えるだけ。それよりも今日を楽しく生きるために使ったほうがよい。」

この意見は、一見正しいようにも聞こえる。たしかにより高次の欲求の追求のためにお金を使うことは間違ってないようにも思える。
ただし、この「楽しく生きる」は、より低次の根源的な欲求が満たされた上に成り立っていることを忘れてはならない。
「宵越しの金を持たない」のような生き方は、非常に脆い基礎の上に立つ家のようなもので、万が一病気やその他のトラブルに見舞われると立ち所に崩壊してしまう。
仮に運良く老後まで乗り切ったとしても、決して自由な生活が待っているとは言えない。もしかしたら、足りない生活費を補うために働き続けなくてはならないかも知れない。労働からの開放なんて夢のまた夢になってしまうのである。

もう一つ、本質的にはこのノートで言いたいこととは関係ないが、この意見には、貯まったお金を運用する、という視点が欠落している。資産の運用法については記載しないが、銀行預金よりも遥かに利回りがよく、かつそこまでのリスクを負わない運用法は確かに存在する。
そして、複利の力は想像以上に強力だ。例えば、年率3%で100万円を30年間運用すると243万円になる。年率5%だと432万円になる。
つまり、あの意見に欠落している考え方は、「今日の100万円は30年後も100万円、ではない」ということなのである。


「どうせいつ死ぬか分からいんだから、こつこつ貯金や運用をするのアホらしい。」

この意見は極めて非合理的である。
確かに、数年以内に死ぬ可能性もあれば、100歳まで生きる可能性もあり、それは全く見通すことができない。ならば、平均寿命(男性81歳、女性87歳)まで生きる、と考えて人生を設計するのが当然に合理的である。


若いうちは貯金なんてするな!

これは一見矛盾しているように感じられるが、実は貯金の効用を考えれば至極当然の事実である。
そもそも学生のうちに貯金できる金額なんてたかが知れており、そもそも開放される労働が存在しない。そして、根源的な欲求は親という存在が担っている。
であるならば、友人関係を構築する、恋人を作る、自己実現のために努力をする、などより高次の欲求の追求にお金を使うべきである。

というわけで、現在の筆者(大学院生)の預金残高は数万円であるわけだが、これは今まで貯金の大切さに気が付かなった自分への甘い言い訳である。

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