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買えないならば作ればいい

新しいおもちゃに飛びつかなかった幼少期。
欲しくなかった、と言うと嘘になるが、絶対に欲しいと思うほどでは無かった。

買っていたのは、スーパーのお菓子売り場にあるおもちゃだけ。それも親から「今日は○個買っていいよ」と許可を得た時のみ、選んで買ってもらっていた。言われてる個数以上を欲しがることは無かった。

あとは、親戚から誕生日プレゼントで、おままごとが出来る小さなキッチンのおもちゃを貰ったんだけど、ハマらなかったので、それ以降は徐々に現金かギフト券をもらうようになっていった。

小学生ぐらいまでは、携帯ゲーム機とか、戦隊ごっことか、プロフィール帳?とかが流行ってた。
携帯ゲーム機は買ってもらったが、それも周りより飽きるのが早かったし、プレイ時間も決められていたので、いま思うと個人的にはイマイチな遊びだった。

それで代わりによくしていたのが、折り込みチラシの裏面にオリジナルキャラクターの絵を描いて、切り取って、平面上でストーリーを展開するという遊び。
なんと言うのだろうか。紙人形遊び?

オリジナルキャラクター、と言っても、当時流行っていたアニメを参考にして作った、ほぼパクリのキャラクターだったけど、それで人間とか妖精とか、100人ぐらいは作り上げていた。

絵は色鉛筆で書いていた。人に見せるために作ってたわけじゃないので、友達どころか親にも見られないようにコソコソと遊んでいた。今でも絵を描くことが趣味だが、この時の経験が大きく影響してると思う。

家は決して裕福ではなかった。
それゆえ、おもちゃも簡単に買えるものじゃなかった。それは子どもながらに理解していた。

でも買えなくても、作ることは出来る。
たとえそれが歪な形になっても、それっぽいものを作り遊ぶことが出来る。
そのことを子どもの頃に学んだ。

「買えないならば作ればいい」
その考えは未だに考えの基本として残り続けているのだなあと、時々感じる。

欲しいものがあったら即買いする前に考える。
自分で作れないものかどうか、判断する。
作れる!と思ったら、そのものは買わず、材料を集めに他の店へと向かい、材料を購入。そして似たようなものを作る。
似たようなもの、それはすなわちパクリかもしれないが、私はそれを転売する気など一切なければ、誰かに見せびらかすつもりもなく、本当に個人の中だけでひっそりと楽しむようにしている。この考えはプライベートの範囲におさまるものではないが、具体例として話せるものは無い。秘密事項が多すぎるので。

買えないならば作ればいい。
欲しいものが まだこの世にないなら、それもまた作ればいい。
作るのは難しいかもしれない。材料も簡単に集まらないかもしれない。
自分ひとりでは出来ないかもしれない。
それでも作ればいい、作ればいいんだ。
気持ちがあれば、とりあえず前に進む。
自分で出来る限りの所まで作ってみる。
そうしてるうちに必要なものが集まったりする。

欲しいものは与えられるまで待ってるだけじゃ、手に入らないことがある。
だからこの手で、自分の手でつかみに行くのだ。
夢を現実に描いてしまおう。
この手で作り上げるんだ。あたらしいものを。

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