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日本語、大丈夫ですか

これは フェンリル デザインとテクノロジー Advent Calendar 2023 25日目の記事です。

コピーライターという職業上の習慣で、気になる言葉を収集している。ある日、たまには昼に魚を食べようと近所の食堂に入った。迎えに出てきた20代前半とおぼしき女性店員が言った。

お客さまは一人で大丈夫ですか?

何? 「大丈夫」というのは、「立派な男子」のこと、そして「危険や心配のないさま、間違いないさま」「病気やけがのないさま」をいう。

近年は若者を中心に「『お茶はいかがですか』『大丈夫です』」など婉曲的に拒否したり辞退したりするのに使われる。それは承知していた。職場で50代の上司が20代の部下に「今日は金曜日だから、一杯飲みに行くか」と尋ねると、「大丈夫です」と断わるのだ。

だが、女性店員の「お客さまは一人で大丈夫ですか」は、それらのどれにも当てはまらない新種の用法だ。つまり、「お客さまは一人で(来たと私が判断しても)大丈夫ですか?」というわけである。ああ、ややこしい。

日本語学者、山口仲美氏の著書『日本語が消滅する』(幻冬舎新書)は、今年読んだ本の中で抜群に面白かった。1億人以上の話者がいる大言語の日本語が、消えてなくなる危機に瀕しているという。

言語の消滅の兆候の一つとして、「語彙が乏しくなる」を挙げている。名詞(犬、鳥、米)は残りやすいが、動詞(添える、とろける)や形容詞(けむい、いまいましい)が消え始める。具体的な物の名前は残りやすいが、やや抽象度の高い動詞や形容詞は消えやすい。

そして、語彙が少なくなっているので、同じ意味合いを持つ語を使い分けることができずに、たった一語で賄おうとする。大きさを表す「大きい」のほかに、「でかい」「巨大な」「特大の」「大規模な」「大がかりな」が使えず、すべてを「大きい」で済ませてしまう。

これらはすなわち女性店員の「大丈夫」ではないか。彼女の言葉遣いは日本語消滅の兆しなのではないか。

ジョージ・オーウェルの『1984』という有名なディストピア小説に、「ニュースピーク」という人工言語が出てくる。ビッグ・ブラザー率いる政党「イングソック」に従わせる思想改造のために作られたもので、一党独裁に沿わない語彙が減らされる。

例えば、「free(自由な、含まない)」という語。「この犬はシラミから自由だ、この犬はシラミを含まない」「この畑は雑草から自由だ、この畑は雑草を含まない」という表現はできても、「政治的に自由な」や「知的に自由な」という古い用法は使えない。政治的自由や知的自由はもはや概念として存在しておらず、名称を持たなくなったためだ。

どのような語でも接頭語「un-(否)」を付ければ否定形になり、接頭語「plus-」を付ければ強調表現に、さらに「doubleplus-」を付けることで度合いを強めることができる。例えば、「uncold(否寒い)」は「warm(暖かい」の意味になり、「pluscold」「doublepluscold(倍加寒い)」は「very cold(とても寒い)」「superlatively cold(最高に寒い)」を表現できる。「ante-(前)」「post-(後)」「up-(上)」「down-(下)」など前置詞的な接頭語を加えることで、ほぼすべての語の意味を変化させることができる。

こうしたやり方で、大幅に語彙を削減できる。例えば「good(良い)」という単語があれば「bad(悪い)」という単語は不要になる。「ungood(否良い)」と言えば、必要な意味が同様に、的確に表現できる。

このニュースピークの原理、もともとは悪い意味の「ヤバい」が良い意味に転化した日本語と似ている。よく耳にする「めっちゃ」という表現も「plus-」「doubleplus-」に似ていないだろうか。これらも先ほどの「大丈夫」とともに、言語が次第次第に痩せていく日本語版ニュースピークと認定してよさそうだ。

言語死には、別のシナリオもある。日本国民を日本語と英語のバイリンガルにしようとする動き、いわゆる英語の第二公用語化だ。2000年1月、小渕恵三首相の私的諮問機関「『二一世紀日本の構想』懇談会」は英語を日本の「第二公用語」にするという構想を示した。安倍晋三政権時の2014年にも、内閣官房管轄下のクールジャパンムーブメント推進会議が「英語を公用語とする英語特区をつくる」という提言をしている。

前掲書『日本語が消滅する』で山口氏は、英語の第二公用語化に対して繰り返し警鐘を鳴らしている。

バイリンガル達成の暁にやってくるのが、日本語の消滅です。というのは、バイリンガル時代の次にやってくるのは優勢言語のみを話すモノリンガル時代であることが、過去の事例から明らかになっているからです。
世界共通語である英語は、最終的には地域言語である日本語を駆逐してしまう力を持っています。日本語、危うしです。

山口仲美『日本語が消滅する』(幻冬舎新書)

こうした傾向を「自己植民地化」と呼んで批判している人もいる。それに加えて、最近の英語の早期教育も気になる。あらためて中学校学習指導要領を確認してみると、中学3年生では国語を学ぶ時間(105時間)より英語を学ぶ時間(140時間)のほうが多い。3年間を通算すると、どの教科よりも多くの授業時間が英語に割り当てられている。どのような道理があって、英語の同化政策にみずから邁進するのか。

私は以前、英語を社内公用語とする会社で15年以上働いていたことがある。そこで残念な日本人に出会った。日本人の父母の間に生まれながら、母語である日本語の教育をきちんと受けてこなかった人たちだ。漢字が読めない、日本語のメールの語尾がおかしいなど、外国語を学ぶ前にすることがあっただろうに。日本語のほかに英語とイタリア語の計3か国語が話せるという人もいたが、日本語を完璧に操れないところをみると、その他の言語も完璧にできるのかどうか。

「言語表現」を整えることによって、「思考」を整えることができるはずだし、結局は「言語表現」を通してしか、「思考」を確認することができない。そうだとすると、「書きことばの混濁」はそのまま「思考の混濁」をあらわしていることになる。

今野真二『うつりゆく日本語をよむ−−ことばが壊れる前に』(岩波新書)

このエントリーにサゲはない。その代わりに、ゆる言語学ラジオのYouTubeチャンネルを紹介して結びとしたい。

※冒頭のへんちくりんなイラストは、このエントリー全文をDALL·E 3に読ませて「ふさわしいイラストを描いて」というプロンプトで描かせたものだ。

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