日本語、大丈夫ですか
コピーライターという職業上の習慣で、気になる言葉を収集している。ある日、たまには昼に魚を食べようと近所の食堂に入った。迎えに出てきた20代前半とおぼしき女性店員が言った。
「お客さまは一人で大丈夫ですか?」
何? 「大丈夫」というのは、「立派な男子」のこと、そして「危険や心配のないさま、間違いないさま」「病気やけがのないさま」をいう。
近年は若者を中心に「『お茶はいかがですか』『大丈夫です』」など婉曲的に拒否したり辞退したりするのに使われる。それは承知していた。職場で50代の上司が20代の部下に「今日は金曜日だから、一杯飲みに行くか」と尋ねると、「大丈夫です」と断わるのだ。
だが、女性店員の「お客さまは一人で大丈夫ですか」は、それらのどれにも当てはまらない新種の用法だ。つまり、「お客さまは一人で(来たと私が判断しても)大丈夫ですか?」というわけである。ああ、ややこしい。
日本語学者、山口仲美氏の著書『日本語が消滅する』(幻冬舎新書)は、今年読んだ本の中で抜群に面白かった。1億人以上の話者がいる大言語の日本語が、消えてなくなる危機に瀕しているという。
言語の消滅の兆候の一つとして、「語彙が乏しくなる」を挙げている。名詞(犬、鳥、米)は残りやすいが、動詞(添える、とろける)や形容詞(けむい、いまいましい)が消え始める。具体的な物の名前は残りやすいが、やや抽象度の高い動詞や形容詞は消えやすい。
そして、語彙が少なくなっているので、同じ意味合いを持つ語を使い分けることができずに、たった一語で賄おうとする。大きさを表す「大きい」のほかに、「でかい」「巨大な」「特大の」「大規模な」「大がかりな」が使えず、すべてを「大きい」で済ませてしまう。
これらはすなわち女性店員の「大丈夫」ではないか。彼女の言葉遣いは日本語消滅の兆しなのではないか。
ジョージ・オーウェルの『1984』という有名なディストピア小説に、「ニュースピーク」という人工言語が出てくる。ビッグ・ブラザー率いる政党「イングソック」に従わせる思想改造のために作られたもので、一党独裁に沿わない語彙が減らされる。
例えば、「free(自由な、含まない)」という語。「この犬はシラミから自由だ、この犬はシラミを含まない」「この畑は雑草から自由だ、この畑は雑草を含まない」という表現はできても、「政治的に自由な」や「知的に自由な」という古い用法は使えない。政治的自由や知的自由はもはや概念として存在しておらず、名称を持たなくなったためだ。
どのような語でも接頭語「un-(否)」を付ければ否定形になり、接頭語「plus-」を付ければ強調表現に、さらに「doubleplus-」を付けることで度合いを強めることができる。例えば、「uncold(否寒い)」は「warm(暖かい」の意味になり、「pluscold」「doublepluscold(倍加寒い)」は「very cold(とても寒い)」「superlatively cold(最高に寒い)」を表現できる。「ante-(前)」「post-(後)」「up-(上)」「down-(下)」など前置詞的な接頭語を加えることで、ほぼすべての語の意味を変化させることができる。
こうしたやり方で、大幅に語彙を削減できる。例えば「good(良い)」という単語があれば「bad(悪い)」という単語は不要になる。「ungood(否良い)」と言えば、必要な意味が同様に、的確に表現できる。
このニュースピークの原理、もともとは悪い意味の「ヤバい」が良い意味に転化した日本語と似ている。よく耳にする「めっちゃ」という表現も「plus-」「doubleplus-」に似ていないだろうか。これらも先ほどの「大丈夫」とともに、言語が次第次第に痩せていく日本語版ニュースピークと認定してよさそうだ。
言語死には、別のシナリオもある。日本国民を日本語と英語のバイリンガルにしようとする動き、いわゆる英語の第二公用語化だ。2000年1月、小渕恵三首相の私的諮問機関「『二一世紀日本の構想』懇談会」は英語を日本の「第二公用語」にするという構想を示した。安倍晋三政権時の2014年にも、内閣官房管轄下のクールジャパンムーブメント推進会議が「英語を公用語とする英語特区をつくる」という提言をしている。
前掲書『日本語が消滅する』で山口氏は、英語の第二公用語化に対して繰り返し警鐘を鳴らしている。
こうした傾向を「自己植民地化」と呼んで批判している人もいる。それに加えて、最近の英語の早期教育も気になる。あらためて中学校学習指導要領を確認してみると、中学3年生では国語を学ぶ時間(105時間)より英語を学ぶ時間(140時間)のほうが多い。3年間を通算すると、どの教科よりも多くの授業時間が英語に割り当てられている。どのような道理があって、英語の同化政策にみずから邁進するのか。
私は以前、英語を社内公用語とする会社で15年以上働いていたことがある。そこで残念な日本人に出会った。日本人の父母の間に生まれながら、母語である日本語の教育をきちんと受けてこなかった人たちだ。漢字が読めない、日本語のメールの語尾がおかしいなど、外国語を学ぶ前にすることがあっただろうに。日本語のほかに英語とイタリア語の計3か国語が話せるという人もいたが、日本語を完璧に操れないところをみると、その他の言語も完璧にできるのかどうか。
「1984年」と言えば、AppleのMacintoshが発売された年。来年でちょうど40年。Super BowlでオンエアされたRidley Scott監督の伝説的なテレビCMが4Kレストアされていた。素晴らしい。
※冒頭のへんちくりんなイラストは、このエントリー全文をDALL·E 3に読ませて「ふさわしいイラストを描いて」というプロンプトで描かせたものだ。