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フェミニスト間のポルノ戦争~”Feminist SEX WARS”について

こんにちは。フェミニスト・トーキョーです。

今回はタイトルの通りで、記事ではありますが豆知識的な話でして、
「フェミニスト的には、ポルノや性的ビジネスって実際のところOKなの?NGなの?」
というお話です。

何やらまた扇動的なタイトルを…と思われた方もいるかも知れませんが、実はこれ、実際に存在する抗争の俗称なのです。

字面にも勢いがありますよね。
「フェミニスト・セックス・ウォーズ」ですよ。

要はフェミニスト同士の抗争というか内戦でして、いわゆるツイフェミと呼ばれるSNS上の自称フェミニストや、ジェンダークレーマーと呼ばれる人達を除いた、

第三波以前から存在する古参のフェミニストにおいても、ポルノ肯定派と反ポルノ派がいる

ということで、なおかつ、

双方の意見は長きに渡り平行線のまま、実に半世紀近くもの間、ずっとバチバチと抗争を繰り広げている

といった話です。

「存在した」ではなく「存在する」と書いたのは、昨今のAV新法にまつわる話や、そこから派生したセックスワーカーへの非難を併せ見るに、この内戦がいまだ現在進行形であることが明らかだからです。

では、話を進めてまいりましょう。



最初に結論


「フェミニスト的にはポルノってOKなの?NGなの?」

という問いを最初に投げていましたが、いきなり結論を言ってしまうと、

「OKでもあるし、NGでもある」

が正解です。

なんだその曖昧な言い方は、と言われてしまいそうなので、もう少し詳しく書きますと、

「ポルノをOKだとするフェミニストも、NGだとするフェミニストも、どちらも存在するし、どちらも紛れもなくフェミニストである」

が正しいです。


「セックス・ポジティブ・フェミニスト」の存在


私がこの記事をまとめようと思ったきっかけは、アダルトビデオの出演において、出演者がもともと約束されていなかった行為を強要されたり、長期の契約を余儀なくされるなど、不当な扱いを受けないように定めた新しい法案、俗に「AV新法」と呼ばれるものの話題において、でした。

ここでは詳細については割愛しますが、このAV新法についての議論の中で、

「これはセックスワーカーの地位向上において革新的とも呼べるもので、業者にとっては不利な内容ですらあるのに、反対する女性団体がいるのは何故なのか?」
「職業に貴賤が無いというならば、なぜセックスワーカーだけはダメだという話になるのか」
「女性が自分自身の意思で自由に職業を選んだ結果がたまたまセックスワーカーであるだけなのに、同じ女性がそれに反発するのは何故か」

という質問が多く飛び交い、特に、AV新法に反対の立場を取る人達の中にフェミニストを名乗る方々が散見されたために、

「そもそもフェミニストはセックスワーカーを認めないものなのか?」
「女性が自由意志で選んだ仕事なら、フェミニストはそれも支持すべきではないのか?」

みたいなことを訊かれる場面が多かったためです。

***

「フェミニスト」と一言で言いますが、フェミニストにも歴史的な背景と併せてさまざまな流派のようなものが存在します。

私も過去の記事で、これらの違いについて何度かご紹介してきました。

そして、ここでご紹介するのは、
「セックス・ポジティブ・フェミニスト(以下『ポジティブ派』)」
という、女性の性的な事柄や活動について解放的な考えを持つフェミニストです。

セックス・ポジティブ・フェミニズムは、性の自由とは、女性の自由の本質的な要素であるという考え方の上に成り立っている
政府、他のフェミニスト、フェミニズム反対派、その他いかなる機関が主導したものであれ、同意のある成人同士の性行為をコントロールしようとする法的・社会的努力に反対している。

https://en.wikipedia.org/wiki/Sex-positive_feminism

セックス・ポジティブ・フェミニズムは、今日において女性の性的快楽に関する議論が沈黙させられ、疎外されていると考えている。

だが、女性を保護するという目的で性的な対話を抑制することは、女性を「弱い性」として見せることにしかならない。女性は被害者として分類されることで自分自身を守ることが難しくなる可能性がある

長い間、女性は性的には「受動者」として分類され、一方、男性は「攻撃者」として認識されてきたため、セックスは常に女性が男性の欲求に対して従う行為と考えられてしまっている。

女性の要求を抑え続けるもう一つの要因は、それらに関するコンセンサスや研究の欠如・不足により、社会におけるそうした抑制が、共通した偏見として一般化してしまっていると言える。

https://en.wikipedia.org/wiki/Sex-positive_movement

この辺りは、AV新法の件で賛同の立場を取っている方々にとって、うなづける部分も多いのではないでしょうか。

要は、女性はセクシャルな話題や行為において積極的な発言を封じられ、常に男性にイニシアティブを握られている弱い立場で、守られるべき側の存在である、という思想が社会の根底にあるため、これを打破してゆかなければならない、と考えているのがポジティブ派、ということです。

ポジティブ派は、ポルノに関して自然に世の中に存在して良いものであるとし、女性がそれらについて語ったり、性行為なども女性が主導権を取ったりすることを厭わない、といった考えを持ちます。

特にセックスワークについては、合法的に活動できるようにするべきだ、という見解を強く示しています。

この合法化については、違法だとして取り締まるよりも、合法化することでむしろセックスワーカーの安全が保たれるという評価があります。
こちらは、手嶋海嶺さんが非常に分かりやすい記事を書かれていますので、ご一読をお勧めします。

こうした呼びかけは、日本でも各種団体によって行われています。

セックスワーカーの支援団体であるSWASHも、フェミニストグループ、女性の人権団体、LGBTIQ+とトランス主導の団体による「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」という共同声明を紹介されていますが、この声明においても、仕事としてのセックスワークを認めるべき、という項目が含まれています。

このように、女性が性に対してオープンかつ積極的に振る舞うことが、そのまま女性の自由な活動や生き方に繋がる、という思想が、セックス・ポジティブ・フェミニストの基本的な考えであるとご理解ください。


「反ポルノグラフィ・フェミニスト」の存在


さて。
世のフェミニストの思想がセックス・ポジティブで統一されていれば、全てが平和であったでしょうけれども、そうもいかないのが世の常です。

そう、それはまさに、きのこたけのkいや誰だ離せ何をするくぁwせdrftgyふじこlp

(※一部音声が乱れております。しばらくお待ちください)

……ゲフンゲフン。はい、というわけでですね。

双方が「我こそが正義」と主張する2大勢力があれば、揉め事になるのは世の常でして。

ここに、同じくフェミニストでありながら、
「反ポルノグラフィ・フェミニズム」
を掲げる人達もいるのです。

ポジティブ派の逆だから「ネガティブ」かと思いきや、
”Anti-pornography feminism”
なんですよね。ですので、アンチポルノ派と呼んでおきます。

消極的ですらなく「アンチ」という辺りでお察しいただけるかと思いますが、こちらのスタンスは、ポルノはその本質において、女性や女性の幸福にとって有害であるという、もう取り付く島もないようなストレートっぷりです。

この言葉は、ラディカルフェミニストのカリスマにしてレジェンド、アンドレア・ドウォーキン女史(故人)によるものです。

非常に有名な方ですので、フェミニズムを勉強された方であればどこかで名前を見たことがあるかもですが、

「全てのセックスはレイプ」

「結婚はたとえ双方の同意においてなされたものであっても、レイプを合法化するための手段に過ぎない」

「つまり結婚は女性を奴隷化するための手段」

「ポルノグラフィとは理論であり、レイプはその実践である」

などの至言を残された方です(冷や汗)。

これは個人的な所感ではありますが、彼女は苛烈なラディカル・フェミニストである前に、超苛烈なミサンドリストだと思っております。
どのレポートを読んでいても、男性に関する憎悪と嫌悪が半端ではないのです…。

反ポルノ派のフェミニストは、ポルノが女性に有害であり、女性に対する暴力の強い原因になり、それらを促進すると主張しました。
キャサリン・マッキノンとアンドレア・ドウォーキンは別々に、ポルノは本質的に女性に対する搾取であるという立場をとっており、ポルノグラフィの製作者には、その出版物の使用、製作、流通から生じることが示された被害に対する責任を負わせる法律の制定を要求しました。

1986年にミースの委員会でドウォーキンは、売春やハードコアポルノに関わる女性の65-75%が、近親相姦や性的虐待の犠牲になっていたと述べました。
80年代におけるドウォーキンのポルノに関する活動により、彼女は全米から注目を集めるようになりました。

https://en.wikipedia.org/wiki/Feminist_views_on_pornography#Anti-pornography_feminism


ドウォーキンの話を調べていると、この「搾取」という言葉が非常に目に付きます。
彼女は最近よく語られる「性的客体化(性的対象化)」の話においても、

「ポルノとは『性的に露骨なもの』『性的に露骨で、淫らで、反道徳的な表現物』などと定義を狭めるべきものではない。モラルや道徳が問題なのではなく、人権侵害であることが重要であり、『性的に露骨で、かつある集団(女性や子供など)を従属的・差別的・見世物的に描き、現にその集団に被害を与えている表現物』全てを指すのだ」

と、性的客体化の対象をどうとでも解釈できるような範囲にまで広く広く拡げています。おそらく女性が描かれたコンテンツは全てアウトだと言われても文句が言えないレベルにまで、です(冷や汗2回目)。

ラディカル・フェミニストのカリスマと呼ばれる由縁が、なんとなくお分かりいただけるでしょうか。

もう少しアンチポルノ派の言葉を拾ってみますと、

反ポルノ派のフェミニスト、特にキャサリン・マッキノンは、ポルノの制作とは、出演する女性の身体的、心理的、経済的な強制を伴うと告発し、ポルノに登場する女性たちは、選択によってではなく、選択の欠如によってそこにいると主張しました。また、ポルノで描かれるものの多くは、その本質的に虐待的であるとも述べています。

https://en.wikipedia.org/wiki/Feminist_views_on_pornography#Anti-pornography_feminism

と、この辺りはAV新法に反対している方々の主張と非常に似通っていることにお気づきいただけるかと思います。

つまり、ポルノ作品に出演する女性たちはいずれも、自主的な判断の機会を奪われた上で、強制的に出演させられたのだとする主張です。

自由意志による性の解放を求めるポジティブ派と、そもそもその自由意志だと思っているものは自由意志ではないのだぞと決め込むアンチポルノ派の意見には擦り合わせる余地などあろうはずもなく、両者は1980年代初めから今に至るまで、そろそろ半世紀にもなろうかという間ずっと争い続けていますし、おそらく今後も和解されることなど無いのであろうと思います。


雑感:自由意志の否定はさすがに暴論では?


前項の最後にあった「ポルノへの出演は女性の自由意志ではない」の主張については、実際に出演した女性が

「いやあれは自由意志だった!」

と言っても、

「自由意志だと思うように男性から仕向けられ、洗脳されたのだ。いい加減に目を覚ませ」

などと返されてしまうと、心の有り様を証明する方法が発明されでもしない限りは収拾がつきません。

この辺りは、昨今のAV新法の件においても、賛成派から盛んに主張されている部分ですが、

と、実際の現場を経験された方々の、自由意志を主張する声があるにも関わらず、それらに取り合わないどころか、

「性被害に遭っていない、自主的に出演しているようなセックスワーカーは、当事者ではなく”自称当事者”であり、二次加害者である」

などとまで言い出す人まで現れる始末です。

こうなるともう、フェミニズムがどうとかいうレベルの話ではなく、個人の自由意志を根拠もなく否定するのが許されるということになってしまい、議論にすらなりませんよね。

これを確信的にではなく素でやっているのでしたら、一般的な社会におけるコミュニケーションが取れるのかすら疑いたくなります。


まとめ:フェミニストを自称するならば。


本稿の主旨は、最初の方で結論を述べてしまっていますが、

「フェミニストの中にも、セクシャルなものをポジティブに考えるグループと、ことごとく反発するグループがいて、両者はドチャクソに仲が悪い

という話でした。
が、SNSでフェミニストを自称される方のほとんどが、

「フェミニストならポルノには反対に決まっているでしょう!」

という方ばかりのように見受けられます。
せめてなのですが、

「あなたはどのタイプのフェミニストに属する方ですか?」

と聞かれた時に、スパッと答えられるようにはしておいてください。
あなたが本当にフェミニストを名乗るのであれば、です。

(了)


最後まで御清覧いただき、誠にありがとうございました。

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