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執着ってそんなに大事じゃないよ


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鬱蒼とした雲が乱気流にのって飛ばされている、今日も降るかな、、、

最近はnoteのアウトプットが楽しくて楽しくて、たとえ大した事じゃなくてもとにかくアウトプットしたいという欲がふつふつと、、、
ここ10年くらいはずっとtwitterに依存してきたけど、それも飽きていたので今はnoteがちょうど心地よい。

#自問自答ムンプラ 講演会 のアーカイブが今月までの視聴ということなので再度、気になるところを見直してみた。タイムテーブルを添えてもらっているのですごく見返しやすいコンテンツで助かります。


ふと、手放すべきものに気が付いた


今、このnoteを書いているのは満月から新月のタームで色々削ぎ落とすタイミングのようだ。
なんとなく自分が所有してる様々なオンライン上のデータの整理でもしたいなと思ってたけど、それよりもまず今まで固執していた2つの事を手放そうと閃いた。

それはスピリチュアルな人が天からの声を受け取りましたと緊急で動画を撮りそうなタイミングで思いついた。
「手帳を使いこなす事への執着&丁寧な暮らしへの復讐心」

私はずっと何年も手帳に執着していた。
最初はシステム手帳が好きで、そこから日記のようなダイプ、ほぼ日手帳の新作が出れば高級なカバーも買っているし、ジブン手帳とチッタ手帳、SUNNY手帳、それぞれのサイズの革カバーも揃え、LOFTに行けばラベリンググッズにハンコと手に取るもの全部を買っていた。インスタにもそういう人たちがたくさんいるし、なんか特別なおしゃれな趣味を持ってるような印象に思えた。

でも私はそれらを全く使わない。
常に家のデスクの上に放置されて散乱しているものを見ると何で私は物を買った時のテンションのまま物を使えないんだろうとずっと疑問だった。
俯瞰してみると正直、そんなたくさんの手帳を書くより生活のタスクをどんどんこなしたいし、暇があれば眠りたいのである。夜になるとデスクに座りたくもない。

インスタは整備された隣の芝生である。#手帳ゆる友 なんてタグを見れば、机にコーヒーと綺麗な今年の手帳を並べたり、カフェで使い込んだような手帳や流行りの文房具でさらに書き加えてる生活がどんどん出てくる。
わざわざ昼に手帳持ってカフェに行くのか?
そんな生活なんとなくずっと憧れてきたし、毎日きちんと記録をしている人がおしゃれだと思い、子供の記録なんかできている人は家族も喜んでいるんだろうなと想像しては、それをできない自分と比較しては劣等感を感じては現実逃避してた。他人はそれぞれの別の生活リズムがあるのになんて無駄なんだろう。

また、そんな私が手帳以外に執着していたものがもう一つある。
それは朝活!朝活してる人ってすごく毎日得して充実して見える。朝活の本なんて山ほどでてくるし、仕事できる人は5時には起きてるってずっと思っているところがある。
さらには自家製粕漬を作ったりしてる生活、ハッシュタグ丁寧な暮らし系にも敵わないと思っていて、さらには復讐心を抱いていた。

#朝活 をSNS投稿している人は全てマウンティングのために投稿しているわけでもなく、それも他人の生活リズムなのに私への挑発とも捉えていたし完全に独り相撲である。
土俵に登る必要性も感じられないのに。

私の実生活は現状iphoneのカレンダーに入れなくても、メモ程度で済む予定しか持っていない。毎日いちいち書かなくても時は流れている。毎朝5時には起きずともそれなりに平均したら6時頃には起きてリズムよく定期的に物事をこなしているし、すごく立派じゃないか、別にそれでいい。

憧れのラマダン、執着のファスティング期突入

今後はちょっといい機会なので使っていない使っていない手帳と文具とインスタは見えないところへ置いて、落ち着いたらお焚き上げしたい。
朝もできるだけゆっくり寝ればいい。
冷静に自分と向き合いつつ、ゆっくりお風呂に入り身体を労ってあげよう。

ひとまずは執着のファスティング、そのためにインプットを減らしてアウトプット。
しばらくはムーンプランナーの流れに身を任せてみようと思っている。





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