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どう生きていきたいかの質問が苦手な理由

まず第一に
わたしは感情を表現することが苦手
いきなり我慢していた蓋が何かのきっかけで
外れて、溢れてくるもしくは、
普段は本音を黙るかの二択が多い

特にすぐ涙が溢れる
感情が爆発したときは、怒りに。
怒りはお風呂場で1人の時

泣くか怒るかしかない状態は
感情はまだ未分化だという

小さい赤ちゃんと同じということだ😅

幼少期に自分に対し純粋な関心を大人から向けられることが少ないため、感情や意志が耕されていないことがあります。感情は「聞かれて」「呼応されて」耕されていきます。
「美味しい?」「具合が悪いのかな?」といった単純な伺いから「何が欲しい?」「どう思う?」等々といったものまで、人は誰かに聞かれて初めて答えることができます。
「人は聞かれないと答えられない」という基本原則があって、「答えるためには分からないと答えられない」ので、答えるために自分の気持ちを自分が理解しようとする過程ができます。そのような体験の積み重ねによって、聞かれなくても自分で自分の気持ちが理解できるようになっていきます。
心理カウンセラー寝子の寝言

これを読んだとき、まさしく激しく頷いた

質問されたことが極端に少ないもしくは
されていたけど、答えないまま黙って
養育者が待てずにこうじゃない?といったことを
そのまま採用して、自分の意見や意思が
育たなかったのではないだろうか

私に今必要なことは質問なのだと思う
それもゆっくり考えれる環境の整った時間も必要

とくにどう思う?どう生きていきたい?などの
広範囲な質問はとっても苦手でわからない

謝るか、謝らないかの質問の二択ですらも、
かなりの時間をかけないと自分で選べなかった

その書き方はネガティブな捉え方になるので
時間をかければ、私は選ぶことができる

もう充分すぎるほど大人になったのにまだ心は
子どものままでとまっている
子どもの自分も、もちろんいるのだけれど

今必要なのは質問することだ

質問されて黙るということを
私は昔から採用してきたので
母が私の代わりに答えてくれていて
楽な方に甘えてしまった

だから、時間がかかってもいいから
自分の中から湧き上がる答えを待つということだ

私の中の次なるキーワードは質問かもしれない

どう生きていきたいかの漠然とした
質問の前に、
何が嫌だと感じたのか
何が嬉しいと感じたのか

しっかりと感情を味わう必要がある

それをすっ飛ばして
中身子どものまま社会に出たもんだから
必死に周りにあわせて
誰かの役に立たねば!と自分を奮い立たせ
頑張ったはずなのに、いつもしんどくなって
辞めてしまう
おまけに昔から逃げ癖もついている

自分の意見がないから
人と雑談することも苦手で避けてしまいがちだ

人が何に対して笑っているのかも
まだよくわからないのだ

今の仕事は短期なので辞めることは決まっている
次に何をしたらいいのか正直わからない

雑談が特に苦手だ
職場になると本当に困る

プライベートも危ういかもしれない🤔
常に自分の頭の中でのおしゃべりが
止まらない内向的人間でありながら
人といると、外交的を振舞うクセがついている
私何もモンダイナイデスカラネと言わんばかりに

すこし人と喋って認識や捉え方が変わって
気分が上がっても実践して次になるともう
また前のどんよりした私のモードが抜けきれてないのだ

このまま働きたくないモードに行ってしまいそうだ
試行錯誤が楽しいと思っていたはずなのに
楽な方に流れたい自分がめちゃくちゃいる

何を選んでも根っこを生やす覚悟がない
といった方がいいだろうか

自分には何が向いていて
何が好きで何ができるのか

ポジティブな質問を投げかけたいが
なかなかにまた、無意識が抵抗している気がする

進みたいのは焦っているからで、
このままではダメと思っているからだ
まずはまだ受け止める時期なのか

というか、常に自分と向き合うというか
高めるために動いてきているつもりなのだが
全然空回りしている感が否めない

変わりたくないのだろう
まだ他人に認めて欲しい
こんなにダメな自分をわかって欲しいと
他人に評価を求めているきがしている
自己嫌悪のループである

抜け出す方法は世の中に沢山あるはずなのに
抜け出せないのはメリットがいっぱいあるからだ

変わることを楽しめる自分でいたい
なんなら自分のことばっかり考える自分も嫌だ
自分のことを健全に愛せるようになりたい
もはや矛盾しすぎている

そんな自分も無条件に認めたいと思う
どんな欠落的な人間だとしても
かけがえのない唯一無二の存在だ

今の私には存在すること、書くことぐらいだ
自分で死ぬのなんて絶対無理だ

消えたい願望ならある
透明人間にもなりたい

ちょっと気分が良くなったかなと
思えば次の日にはまた落ち込んでしまう

その繰り返しだ

一人を満喫するために一人になったのに
ネガティブな思考に支配されている

不安になったら運動とかいてある私のノート。
私はどう生きていきたいんだろうの前に
運動するか

こんなに怠惰な自分がいるのかと思うと
嫌になってくる

一人で考えるには限界なのかもしれない
世界が狭すぎる。

被害者モード、悲劇のヒロインで
いたいのかもしれない

その方が楽だから
でもその楽さはだんだんと生きづらさを増していく

意志や意図は本当に大事だと思う

決められないのは、変わりたくないからだ
いまはそんな弱い自分を認めるしかできない

でも、この怠惰な苦しさ、しんどさから
逃れた時、私の経験は誰かの役に立つと思うと
今この時の心境を綴るのはいいと思う

今は誰とも会いたくないし
喋りたくない

ネガティブなモードに入ると
喋ることがネガティブになるから
迷惑だと思うから話したくない
相手に借りを作ってしまうと思っているのかもしれない

アダルトチルドレンは
損得勘定で動きがちなのかもしれない

相手にとっての正解をしっているということは
反対もしっていることになるからだ

良い子でいきてきた弊害だ
アイデンティティがわからない
自分の中の正解を模索している

決めるということが今の私にはまだできそうにない











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