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若いときの自分に言いたいこと

  若いときの自分に言いたいこと。

 それは、目標と習慣について。
目標や目的を持つこと。具体的な練習を積み重ねること、習慣。
 とりあえずこの2つはありふれた言葉だけどすごく大切。
そう若い自分に言いたい。
 もちろん、目標や習慣について一定の理解は若い時にもあった。
 しかし、歳を経たお陰で、なぜ大切かの理由がより具体的な経験と繋がってわかってきた。

 〇まず、目標・目的を持つという事

 若いときに、私もどこかで目標・目的が大事だ、というような言葉に出会っていたはず。しかし、何を当たり前なことを言ってるんだ、と言う感じであまり真剣に考えたこともなかった。
 しかし、今になって思うと、目標や目的を持つという事は、思った以上に意味のあることでした。

 というのも、自分の心理も省みると、何か自分の外側に目標なり、あるいは誰かのイメージなり、新しい場所で活躍する自分の姿なりを思い浮かべると、それまで自分だけの孤独な環境で空虚で寂しかった心が満たされ安定するような心持ちになることに気がついたからです。
 そうしたイメージが心にあるのとないのとでは心のあり様が全く違うのです。
 懐かしい人の姿を心に思い浮かべるだけで、私の心は、ある意味何かに固定されたように安定し落ち着くのです。
 それは大海で荒波にもまれている船が、陸についてそこに係留した時に感じる安心感、そんな感じです。
 私たちの心は外側の何かに心的に、それがたとえ想像上であっても、関連づけを持つことで安定する性質があるのではないかと思いました。
 仏教に、念仏、仏を念する、という言葉がありますが、自己流に解釈すれば、何か聖なるもの、優しいものを心にイメージすることの精神的な作用を説いていたのかもしれないと思います。

 さらに、そのイメージは強い引力を持つ場合があることに気がつきました。
 例えば、自分が具体的になりたい自分があってたとしてその姿をイメージしていると、実際にそういう自分になりたいという強いエネルギーが生まれ、そのエネルギーの方向性も感じるのです。
 そうしたものがなければ、私はどこへ向かい、どれだけの力を出し、どれだけの工夫をしなければならないか、皆目見当がつかない状態のままに違いありません。

 もう一つ、目標や目的を作るということは、それによって人生の時間の流れにいくつかの区分けをつけることになります。
 そして、そこに人生の時間に意味が生じる、と感じるのです。
 目標なり目的によって区切られていない時間の流れは、単にその時その時のメリハリのないただの流れと感じられます。
 目標や目的を意識化することで、時間の流れに自分なりの区切りをいれ、自分の意識の下に収めることができます。

 特に重要なのは、目標や目的があれば、今そのためにやっていることをいつ止めるべきかが分かります。いつどんなふうになったら今の作業を収束させるべきかが分かります。つまり、「始末」をつける事ができるというわけです。

 また、目標や目的がはっきりしていれば、自分がどのくらいがんばったかの評価ができます。つまり、自信がつきます。ちなみに、自信は、考えているだけでは得られません。考えることは必要なことですが、十分条件ではないのです。十分条件は、この後の習慣を作りこなすことです。

 このように、目的や目標と言うものを自ら作って、人生の時間に自分なりの区切りを入れることで、人生の時間に「意味」が生じます。

〇次に、習慣について

新しい習慣を作り継続する、具体的な練習を積み重ねることです。
最近、ある雑誌の表紙に「運をつかむ習慣」という言葉が書かれているのを見つけました。今の私の考えを的確に表現してくれている言葉でした。

 人間の身体は、ある性質を持っていると思います。
 それは、良い事であれ悪いことであれ、何か身体的なことを具体的に一定期間続けているとそれが身に付く、という性質です。
 つまり、ある意味、習慣によって新しい才能を身につけることができるのです。

 私たちは、才能というとどうしても生まれ持っての固定的な能力と捉えがちです。
 それで、他人と比較して、「他人ができるのに自分はできない」、「自分には才能がない」とがっかりしてしまいます。
 しかし、それはある意味、早とちりというものです。

 今になって思うと、人は生まれたときには学習する能力は持っているが、何をどう学習するかについては与えられていない
 確かに、睡眠とか食欲とかそうした本能レベルのものはかなりの程度その行動パターンが付与されているように感じます。
 しかし、それ以外については、学習する基本ハードウェアは標準装備として与えられていますが、それをどう使うかについて、自然は人間に任せているように感じられます。

 さらに、人の身体は思う以上に、多様で複雑な部分機能の組み合わせと協力からなっている。そして、環境の変化に応じて身体のあり方も変えていくことでバランスをとっている。そのような認識を持つようになりました。最近、初めての手術を経験したことも影響しているかもしれません。
 とにかく、今まで固定的で静止画的なワンショットイメージで身体を見ていたのが、変化と多様、連携的なバランス、という連続的で動的なイメージで見るように変わったと感じます。一元的ニ次元的ではなく、三次元四次元的な座標軸で見ないと、身体のありようは浮き出てこない、そんな感じです。

 そうした動きの中で、自分の今のあり方を見れば、それは、将来への変化の動きのワンショットにすぎない。
 動きの中で見る未来への変化は、日々自分の身体に目的を持って持続的に働きかけることによってこそ生じるのだと思います。
 ちなみに、他人と比較して今の自分のあり方を固定的に決めつけるのは、動的な見方からすれば、まったくのナンセンスと言えます。

〇目標・目的を持つことと、日々練習を積み重ねる習慣

 この2つは、目的実現のための必要条件と十分条件といえます。どちらも必要です。
 目的や目標を考えるだけでは実現しません。現実の世界で具体的な習慣を作って実行する事が不可欠です。

 ところで、これらは、容易にアスリートのあり方を想像させます。アスリートが主に行っていることといえます。その意味でアスリートの考え方、生き方は非常に参考になります。
 ただ、アスリートの場合には、目標や目的、あるいはその練習方法などは、既に見本があります。既に目の前にあります。
 練習での忍耐や本番におけるプレッシャーと言う特別な困難さはありますが、ある意味、目標の選定や練習の方法を一から作ることについて悩む事は一般の人に比べて少ないように思います。

 ところが、一般の私たちは、それぞれ自分に合った目標や目的を一から自分で作ったり探さなければなりません。
 また、その目標に応じた練習方法も自分で開発しなければなりません。
 その意味ではアスリートとは別に意味で違った難しい状況にあると思います。

 人はどんな人でも、その人独自の才能が与えられているはずです。才能と言う言葉は良い能力という意味ですが、ここではともかく他の人と違う特別の能力、種類も強さも違う機能を持っていることを指すということにしておきます。

 そこで、例えば、ある人は特に強い感受性機能を持っている、とします。
そうするとその感受性を生かした目標・目的を見つける必要がありますが、それがなかなかわからないとします。
 確かにそんなことはあり得ます。なにしろそれくらい特別な能力なのかもしれません。
 そんな時、感受性以外の他の機能に恵まれた人の活躍を見て、そのように活躍していないと感じると落ち込んでしまうかもしれません。

 でも、人にはそれぞれの与えられた能力があります。ものによっては与えられた能力が機能を開花するためには人一倍の努力をする必要があったり、あるいは発揮できる場面の発見がなかなかできなかったりすることもあるはずです。
 感受性が人一倍強い人は、その感性で人がなかなか気がつかないことを知ることができますが、その分傷つきやすくもあるはずです。    
 しかし、それだからこそ、他人が得られないものを得ることがでます。
その能力・機能を生かすことはその人しかできません。
 それは、その人に与えられた特別なギフトとしての才能だからです。
 人は、自分だけに与えられた能力を生かさなければならないという意味で、みんなそれぞれの孤独な道を歩む覚悟が必要なのかもしれません。
 しかし、人生は逆説的です。真の友達になれるのは孤独を知る者同士、なんて矛盾した表現でしか表せないこともあるのが現実というものです。

 そんなわけで、私はなんであれその人なりの目的・目標を探して、見つかった目的・目標を目指して、新しい自分の習慣を開発し持続しなんらかの日常的なルーチンを継続している人ならば、必ず目的・目標を達成する日がやってくる、つまり運というチャンスと出会う日が待っている、と思います。
 そのために必要で十分な条件は満たしている、と思います。
 それで、例え砂粒ほどのことしかできなかった日があったとしても、私なら「昨日よりも一歩は進んだ」として安心して眠りたいと思います。

 運と出会う時がいつであるかを事前に知ることはできませんが、出会う時があるということはわかります。
 なぜなら、運というチャンスは、いつでもどこでもみんなに平等にその周りにあるものだと思うからです。
 出会いのチャンスがないのではなく、出会おうと思えばしかるべきところに普通にチャンスは転がっている。でもチャンスといっしょになれないのは、運をつかまえる用意がこちら側にないからだ、と思います。

 運という相手のあることについて、できることはこちらがしかるべき準備をすることだけです。それ以上はできません。

 問題は、どんな準備をするかということです。
 そして、その準備とは、具体的には、目標・目的を見つけ作ることと、そのための新しい習慣を設計し実行することです。

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