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たまに死について考える

余命、というものを普段意識しないで生きている。しかし、人はみな"余命"を生きているのだ。

病気を患い、余命を宣告された人の記事や本をいろんな機会で目にする事がある。そこには限りを宣告された命を精一杯生きた人々の記録が残されている。

人は、命の限りを認識した時、様々なことを考える。いつだって、限りある時間を生きているのに、それが具体的な数値にならないと実感しない。

私は、そのとき何を思うのだろう。

命のおわりを意識した時、いつも目の前の人や事をもっと大切にしたいと思う。そして、可能な限りのアウトプットをしたいと思うのだ。

奥深くに沈んだ考えや、私だけに見える景色。

それらがどのくらいの"価値"を持つかは知らない。それでも、私は私にしかわからないそれらを、一生懸命に他人に伝えるために此処に在るのではないかと思う。

伝えなければ、という使命感も。残したい、という想いも。私だけが持つ、特別なものだ。私は私の時間が有限であることを"知っている"。ならば、刹那の退屈に騙されていてはいけない。

私は無駄を悪としていない。無駄は心のスパイスだと思っている。しかし、瞬間は過ぎ去っていく。無駄、の種類は選ぶべきだと近ごろ強く思う。時間の余白を遊ぶ事と、時間を無下にする事は全くの別物だ。自分自身を傷つけている時間は無いし、その必要はない。

この身を割く事象はしっかりと選択すべきであると自戒も込めて今一度ここに刻んでおく。



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