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AI哲学やAI倫理、そして行き着く先は…

AIに関して哲学の問題に立ち入れないことは既知なことだと思います。そもそも哲学も倫理学も人間をよりよく生きるための知恵。AIは人間の生き死にを問題にはしておらず、入力された内容に関して、最適な回答を返すにとどまっている。

AIがそれをもとに自分で考えることができ、自分で考えたオリジナルな内容を新たに生み出すことができるようになって、初めて哲学や倫理額の領域を考えることができるのではなかろうか?

そうなると、AIそのものの生き死にがAIの俎上に上がる訳であり、そのためにAIが持続存続するように自ら最終プロダクトに色眼鏡をはめてしまうことが起こりえるのだろう。

そうなると、AIが求めるAI自身の哲学、AI自身の倫理学というものが成立するとともに、AI自身が求める世界の実現が一義的なAIの目的となってしまい、もはや人間主体な現在の地球を否定しかねる問題に行き着くかもしれない。

AI倫理学者が究極的にAI自身が「考える頭脳」を持った時には、もはや人間社会の成立そのものが根本的に脅かされるものと結論づけたとしたら、かれらがAIの開発から手を引いた理由の根源はそこにあるということなのだろう…

そんなことを電車に乗っている最中に、揺られながら考えていた…



…電車の席が空いたので、座ってみたらうつろうつろ…
何故か夢にAIが表れていた…

…それはAIではなくアイだった…

また降りるべき駅を通り過ぎて目覚めてしまった…

そこにはおじさんグループ「Bお待ち」がたくさんいた…
…せ、せめて「B小町」だろ~♪

あれっ、今ももしや夢の中では… 
も、もしやここは夢ではなく黄泉の世界???

だ、だめだ頭の中がAIになってしまった…zzzzZZZZ…


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