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妖怪の正体─2

月のない夜は星の明かりだけが頼りだが、ケヤキの近くには街灯が設置されていた。真っ白な光が煌々と辺りを照らし、葉や幹にくっきりとした影を作っている。

「こんな明るいところにいたら怖いやつに見つかっちまうかも」


約束どおり新月の夜にやってきたキツネは、落ち着きなくケヤキの影に身を潜めている。連日降り続いていた雨は、さっき空から降ってきた光によって消滅した。今、ケヤキの上空には夏の星空が広がっている。雨上がりの夜はひんやりとしていた。

突然、ケヤキが「こんばんは」という意味の言葉を発した。
いつの間にかケヤキの梢には白いもやのようなものが浮かんでいた。まるでずっと前からそこにいたかのように、全く音も気配もなくそれは現れたのだ。街灯の明かりに浮かんだ妖怪は、煙か雲のように見えた。しかし、梢を揺らす風がふいても微動だにせずそこに浮かんだままだった。

その妖怪も、いい夜だねと返した。それからケヤキは幹の影に隠れていたキツネを、新しい友達だと紹介した。

白いもやが目の高さまで降りてきたので、キツネはふんふんと鼻をならしてみた。なんの匂いもしないし体温も感じない。不思議だが、妖怪とはそもそも不思議なモノだ。

「やあ、あんたが物知りだって聞いて会ってみたいと思ったんだ。ところで、なんの妖怪なんだ?」

名前はない、と白いもやが言った。ケヤキと同じように口も耳もないが伝えたいことは分かるし、こちらの言うことも通じる。
妖怪化したときに他の妖怪の言葉が分かるようになった。神通力の一種なのだと、山脈に住む古狸から教えてもらった。生き物だった物は力が強くなり、体は丈夫になって飢えにくくなる。物から变化(へんげ)した場合は手足が生えて移動できるようになるという。そうしてすべての妖怪は、お互いに全く別の出自を持っていながら意思疎通ができるようになるのだと。
しかし名無しの妖怪は生き物には見えないし、道具や何かの形を留めてもいない。

「じゃあどこから来たんだ?」

空の上の遠いところからきたと、名無し。

「へー。空の上にも妖怪がいるとは知らなかった」

空の上はとても広い空間が広がっている、と名無しの妖怪は説明した。その空間はたえず形を変化させていて、始点と終点があるという。すべての物体は始点から発生し、終点へ向かって流れていく。例えば川のように。しかし流れは必ずしも一方的なものではなく、時には停滞したり渦を巻いたり、逆流することもあるらしい。

名無しの妖怪は仲間とともにあるとき突然、始点から発生した。空間の中を漂いながら観察しているうちに、自分たちと似たようなモノが存在するということを仲間から聞いたのだという。それから仲間の情報を頼りに「似たようなモノ」を探しているうちにここへたどり着いて、ケヤキに出会ったということだった。

「よくわからないが、随分遠いところからきたんだな……」

名無しの話は難しくてよく理解できなかったが、キツネはわからないなりに感想を述べてみた。

「で、その似たようなものには会えたのか?」

キツネの疑問に、名無しはしばらく考えているような間を開けてから応えた。
それらは電波を使って意思疎通をしているようなので、名無しは会話に割り込んで、彼らと話をしようとした。しかし、いくら名無しが声をかけても返事がなかったという。彼らにこちらの存在は認識できないようだ、と名無しは結論づけた。

「空の上にいるっていう人間か。あいつらに俺たちの言葉は通じない、妖怪じゃないからな」

同意を得るようにケヤキを見上げると、すぐに返答があった。

「昔はいたって?それって何百年も前の話だろ。今じゃ妖怪と会話できる人間なんていないと思うな」

西の方には妖怪と話せる人間がいるらしいとケヤキが援護したが、名無しは、地上に住む人間を隈なく探すことは難しいとつぶやいたきり黙り込んでしまった。

沈黙をごまかすように、ケヤキが名無しの旅の話を聞かせてほしいと催促した。

キツネは座り直すと、後ろ足で頭をカリカリとかいた。街灯に浮かび上がるぼんやりとした名無しの姿は距離も大きさもつかめない。ほんとうに謎の妖怪だな、と改めて思う。妖怪になったために本来の狐の寿命はとうに超えているのだが、そのくらい生きていても見たことのないモノだ。より長生きしているケヤキすら初めて見た妖怪だと話していた。もっとも、空の上から来たといっていたから誰も知らないのも無理はない。

名無しはここ一ヶ月、海を渡り大陸へ行っていたのだと答えた。東にある海の先には大陸があって、この国とは違った景色が見られるのだという。

名無しの旅の話は、キツネにとっても初めて聞くものだった。海の向こうにある大陸。砂漠や草原、森林。たくさんの人間が住む街と、妖怪たち。海を渡っても妖怪は存在しているらしい。しかし種類は少し違うらしい。

「山を越えるのだって大変だったのに、海ってのもとんでもなく広いんだろ?空を飛べるやつはいいよなぁ」

妖怪たちは多種多様だが、人間はどこでも良く似ていた。そしてどの町でも、人間が住む地は天と光の線で繋がっているのだと名無しは教えてくれた。

「それって雷さまを追い払ったやつか。あんなのがたくさんあるなんて、怖いところだな」

キツネのつぶやきに名無しは、あの光は意思を持っているので生き物に害を与えるようなことはないようだと返した。

「人間が空の上にいるなんて、おかしな話だ」

キツネはしっぽをふりふり言った。

「俺が小狐だったころは、空の上には神様が住んでるって教えてもらったもんだ。なのに今では人間が住んでるなんてなあ。人間は神様を追い出し地まったのか?」

ケヤキを見上げると、困ったような考えているような気配が伝わってきた。

「ああ、空の上はものすごく広いんだっけか。じゃあ人間と神様が住んでいる場所は別々なのか?」

それまで黙って聞いていた名無しが、神様とは何か、という問いを発した。

「ええと、神様っていうのは妖怪よりも長生きで力が強くて……とにかくそういう存在なのさ!」

キツネは力強く言った。そうしてふと、名無しの仲間が見たという「似たようなモノ」とは空にいるという神様だったのではないかと思った。

「そうだよ!あんた、空の上に行くのもすぐなんだろう?ちょっとお天道様でもお月さまにでも会って聞いてみたらいいんじゃないか?」

興奮気味に言い終えると、キツネはまた後ろ足で頭を掻いた。街灯に照らされて、小さな虫が顔の周りに集まってくるのが鬱陶しい。

名無しはしばらく考え込んでいるようで黙っていた。どうした?とケヤキが尋ねると、この星系にはまだ会ったことのない知性体がいるらしい、とぼそっと言った。しかしその言葉の意味は、ケヤキにもキツネにも分からなかった。

それからも、三体の妖怪はいろいろな話をした。ほとんどが物知りな名無しにキツネが質問するというものだった。

夜も更けて、はくちょう座が北西の空に傾き始めたころにキツネが言った。

「そうだ、空が飛べるあんたに聞きたかったんだけど」

キツネは二本のしっぽを揺らしながら立ち上がった。雨上がりで湿っていた地面はほとんど乾いていた。

「このあたりで、どこか住むのにいい場所を知らないか?人間がいなくて静かな場所がいいんだが」

それを聞いてしばらく考えていた名無しは、やがて南西の方向にある山岳地帯がいいかもしれないと教えてくれた。西に流れる大きな川の上流をたどっていくと、大きな山がある。山を越えて南に行くと平地があり、更にそこを南下していくと静かな山岳地帯があるという。人間の住む場所からは遠く離れているということと、それほど険しい山でもないので住むには良いのでは、とのことだった。
ただし見晴らしがいいため、たまに物好きや山の管理をする人間が登ってくることもあるとも教えてくれた。

「人間てのはなんでも管理したがるんだな。でも話を聞く限りでは良さそうだ。西の川を登っていけばいいんだな」

ふんふんと頷きながら聞いていたキツネは、しっぽをぴんと立てた。

「ちょっと遠いが、立派な天狐になるためには土地のことを知っておかないとな」

するとケヤキは、天狐になるつもりなのか、と少し驚いたようだった。

「なんだよ、目標は高くてもいいだろ!」

ケヤキと名無しは笑い声のようなものをあげて「がんばれ」と言った。

「じゃあ俺は南西に行ってみるよ。天狐になったらまた来るから、それまで長生きしてろよ」

キツネはそう言うと二本に分かれた尻尾をふりふり、白み始めた空に背を向けて歩いて行った。

さて、どうする?とケヤキは名無しに訊いた。
月に行ってみる、と名無しは答えた。

次に会うときは月の話を教えて欲しい、とケヤキは言った。名無しはそれに肯定の意を示すと、スッとケヤキの前から姿を消した。



つづきます。

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