second_test 03

ダミアンが目を開けると、空はすっかり明るくなっていた。
ミッション予定時間は現地時間で午後八時。スペクターを目標まで送り届ければ三十分で終わる仕事のはずだった。
起き上がろうとすると全身の骨が軋んだ。思わずうめいて再び横になる。ひどくのどが渇いていた。両足の感覚が確かにあることを確認する。次に両腕。ちゃんと動く。あたりは静かだった。風の音だけが聞こえる。着陸直前に墜落した、というのはわかる。問題は「なぜ」だ。
記憶を手繰ったが、最後の記憶は自分をキャビンの床に押し倒すスペクターだ。そういえば、あのスペクターはどうしただろう。
そう思いながらなんとか体を起こそうとして横を向く。すぐ隣に仰向けで横になっている人物がいた。同僚のケヴィンだ。
「おい……」
声を出そうとして思わず咳き込む。再び全身が軋んだ。特に左の背中が痛んで冷や汗が流れた。肋骨が折れてるかもしれないなと思う。おそらく墜落したときに背中を打ち付けたのだ。生きてるだけで奇跡かもしれない。と思うと同時に、脳裏に自分を押し倒したスペクターの姿が浮かぶ。
「っ……クソが!」
悪態をつきながら気合で上体を起こす。VTOL機の残骸で出来た日陰に横たわっていたことが分かった。身につけていた予備マガジンが満載のタクティカルベストが外されて側においてあった。
ひとまずケヴィンを起こそうと体に触れて、異様な感触に思わず手を引いた。脈を確かめるまでもない。
「……」
ふたたびめまいと吐き気がした。
他の同僚はどうしたのだろうと視線を巡らすと、VTOL機の日陰にバラバラの人体が並んでいるのが見えた。胴体が真っ二つになった者、肩から上がない者。千切れた脚が、ご丁寧にも胴体の横に置かれているのが見えた。拾った人間がいるということだ。他に生存者がいるのだろうと思って視線を巡らせると、砂漠の日差しの中を歩いてくる人影が見えた。スペクターだ。
一緒にVTOL機に乗っていたスペクターではない。鮮やかな緑色の髪を砂漠の風で揺らしながら、手に何かを抱えて歩いている。
ふとそのスペクターがこちらを向いた。右手を挙げて挨拶しながら歩いてくる。ダミアンは座り込んだままスペクターを眺める。全身の鈍痛とひどいめまいでしばらく動く気になれなかった。
近くで見るほど、自分の知っているスペクターと様子が違った。スペクターであるのは見れば明らかだ。不自然に鮮やかな髪色、顔に対して大きすぎる目、整いすぎている顔、小柄な体型。しかしそのスペクターはISSAの白い制服を着ていなかった。砂漠迷彩服にタクティカルベストを装着しているが、ヘルメットは着用していない。鮮やかな髪色が迷彩効果を台無しにしていた。
左手に持った誰かの腕を振りながらスペクターは言った。
「えへへ、結構遠くまで飛んでた。探すの大変だったよ。……えーと、ハロー?」
「なんだお前……」
無理やり絞り出した声はかすれていた。吐き気をこらえているとスペクターは何かを思い出したように言った。
「あ、待ってて。これ置いてくる」
遺体が並べてあるほうに駆けていき、しばらく悩んだ末に持ち主を見つけたらしく、腕を地面に置くと満足そうにうなずいていた。

戻ってきたスペクターは手に持った銀色の袋をダミアンに差し出した。
「飲む?宇宙から逆輸入した水」
その容器には見覚えがあった。訓練で月基地に行ったときにISSAから供与された物資の中にあった飲料水のパックだ。受け取って眺めると案の定、ISSAのロゴが印刷されていた。
ぬるい水をひとくち飲むと、一気に気分が楽になった。息を吐く。相変わらず背中が痛んだが、吐き気はすこし落ち着いた。
改めて目の前のスペクターを眺める。乾いた血がこびりついたグローブを地面に放って、どこからか見つけてきたメディカルキットを漁っている。ダミアンはスペクターのことをそんなに知っているわけではない。月基地で遠目に見かけたくらいで、一緒に仕事をするのは今回が初めてだ。だから目の前にいるこのスペクターが標準的なのかどうかわからない。
パックの水を半分ほど飲んでから、ダミアンは尋ねた。
「お仲間はどうした」
「?」
「もうひとりのスペクターだよ」
「ああ、そういやアテナがそんなこと言ってたかも。どこに行ったんだろうね?」
不思議そうに首を傾げながら彼は答える。なんだか緩い雰囲気のやつだな、とダミアンは思う。
「気分は?」
そう言って顔を向けたスペクターと目が合う。カメラアイに描き込まれている虹彩は、髪と同じ緑色だった。
「最悪じゃあないな」
「ぼくの見立てによると、脳震盪と肋骨の損傷、それから複数箇所の打撲と……」
「もういい」
ダミアンはスペクターを黙らせると、なぜかメディカルキットの中に入っていたダクトテープを受け取った。
「あー、手伝おうか?」
「いい。自分でやる」
スペクターは見た目によらず怪力だ。これ以上骨を折られたらかなわない。覚悟を決めて立ち上がる。立ちくらみがして膝が震えたが、気合で耐えた。
息を吐いて、シャツの上から一気にダクトテープで肋骨を固定する。また冷や汗が流れた。いくらかマシになったが、呼吸する度に走る鈍痛はどうしようもない。
スペクターは手持ち無沙汰そうに、メディカルキットの中から注射器を取り出した。
「モルヒネいる?」
「そこまで重症じゃねぇよ」
立ち上がるとスペクターの小ささが際立つ。スペクターが小柄なのは重量を抑えるためだと聞いたことがあった。子供のような背丈でも重量は成人男性三人分とも言われている。ドールはもともと宇宙空間での作業を前提に作られたものなので、地球の重力下で運用することはあまり想定されていないのだ。
意識を失っている間に脱がされていたジャケットとタクティカルベストを装備し直す。おそらくこのスペクターの仕業なのだが、怪我の具合を確かめるためだったのだと思うと何も言いたくはなかった。スペクターの正しい処置に、なぜか悔しさをおぼえる。
「……」
装備していたデジタルデバイスがほとんど破損していることに気がついた。無線機からスマートゴーグルまで全て沈黙している。墜落の衝撃で壊れたのだろうと思った。どうしたものかと一瞬悩んで、目の前で血まみれのグローブを握りしめているスペクターを見る。
「これ直せるか?」
「なになに」
興味津々で顔を向けてきたスペクターにメディカルデバイスを差し出す。それをみて「おもちゃをもらった犬みたいだな」と思う。
スペクターはソフト、ハードともに機械のスペシャリストだった。詳しくは知らないが、大抵の道具の故障はナノロボットという液体金属のようなもので直してしまう。今、スペクターが握っているグローブはナノロボットに全面覆われていた。
「へー、これはじめて見るー」
ウキウキとした顔で端末を受け取るスペクター。それをみて若干の頼りなさをおぼえる。
メディカルデバイスは、前線で負傷したときに備えて一人ひとつ支給されている電子部品の付いた注射針のような形をしている端末である。中には「鎮痛ワクチン」と呼ばれている薬剤が入っている。従来の感覚そのものを遮断する鎮痛剤と違って痛覚を伝える神経ペプチドの働きのみを抑制するので、運動能力低下などの副作用が起こらない。効果は約四十八時間継続する。症状とおおよその体重を入力することで適切な量の薬剤が処方されるようになっているが、今はその電子部品が壊れていた。ワクチンが漏れなかったのは奇跡かもしれない。
スペクターは握っていたグローブを地面に落とした。いつの間にかこびりついていた血糊がすっかりきれいになっていた。空いた両手でメディカルデバイスを握る。指と爪の間から水銀のような液体──実際はマイクロサイズの機械の集合体──が流れ出てきて、デバイスを覆う。
「今こんなのあるんだ。便利だねえ」
ニコニコしながら勝手に何かを納得している様は、とても修理しているようには見えない。そうしている間にもナノロボットはメディカルデバイスの表面を覆い、隙間に入り込み、そしてふたたびスペクターの爪と指の間に戻っていった。ナノロボットは生き物のようで少し気味が悪い。気味が悪いと言えばスペクターそのものに対しても、ダミアンは同じような印象を抱いていた。
「はい直ったよ」
「……どうも」
デバイスを受け取って確認する。確かに直っていた。魔法のようだなと思う。思ったが口には出さなかった。小さな液晶に表示される数値を調整して、腕に鎮痛ワクチンを打つ。
その間スペクターはダミアンが地面に置いていた無線機に手を伸ばしていた。ナノロボットが無線機を覆い、あっという間に修復していく。
「はい。他に壊れてる物は?」
「俺の肋骨」
「あのね、ナノロボットが有機物にも使えたら今ごろ誰かがノーベル賞取ってるよ」
「冗談にきまってるだろ」
鎮痛ワクチンが早くも効果を発揮して、呼吸の度に走っていた鈍痛がきれいに消えた。まだ違和感は残っているが、しばらくは問題なく動けるだろう。

改めて辺りを見回す。現場は凄惨だった。バラバラになった遺体が並べられてる。地面には広範囲にわたって血が飛び散っていた。とっくに乾いて、黒く変色している。自分とケヴィンが少なくとも人間の形を保っていたのは、あの銀の髪のスペクターのおかげだったと思う。ケヴィンは当時、スペクターを挟んで反対隣に座っていた。
「で、お前は何者で、どこからどうやって何しに来たんだ」
スペクターを見下ろして問いかける。
「それがねー……」


経緯を聞いて、ダミアンはため息をついた。
「よりによって新人かよ……」
「悪いね。ぼくもテストだって聞いて来たんだけど」
アオハは破損した武器を修理している。ドール内のストレージに知らない銃や装備品の設計図があったのだが、すべてUSSFで使用しているものだったことが判明したのだ。アテナはこの状況をどこまで予想していたのだろうか。今となっては確認する術がない。
地面に座ったアオハの前には、まだ破損が少ない装備品が集められている。
ミシ……パキン、と音がする。スコープをナノロボットが元の形状に戻そうとしているのだ。
「それにしても、生きてる人がいてよかったよ。ぼく一人だったらどうしようかと思ってたもんね」
アオハと名乗ったこのスペクターはとにかくよく喋る。今はスコープが壊れたアサルトライフルを手に、アテナについての文句を並べている。
「それでさー、ぼくはベーシックとの共同作業を希望してたのに、目標地点に着いたら死体が転がってるしさ。アテナは何も言ってなかったし、きみを見つけるまでめちゃくちゃ焦ったからね。あははは」
「死人が出てるんだぞ」
「大丈夫、シェオルで会えるよ」
「そういう問題じゃない」
喋ってるあいだにスコープの修理が終わった。
アオハは無意識にマガジンを取り外し、中身をチェックする。マガジンを再び装着し、慣れた手つきでコッキングレバーを引いて弾を装填するのを見てダミアンは訝しがる。スペクターは銃を使わない。否、使えないと聞いてる。ドールの基幹システムに搭載されたセーフティが、本人の意思とは無関係にトリガーを引く動作を妨害するのだとISSAとの訓練で聞いている。実際にそれが機能するところも見たことがあるが、その手つきはぎこちないものだった。彼らは、そういう用途に作られていない。
「はい、科学の力で元通りー」
体型に見合わない大きな銃を構えてスコープが正常に機能しているのを確認し終えたアオハが、ダミアンにアサルトライフルを差し出した。受け取りながらなんとなく察する。
「おまえ、TMWプレイヤーだな?」
「あ、分かっちゃう?」
えへへと照れ笑いする様を見る限りでは、とてもあの悪名高いゲームの住民とは思えない。
TMWプレイヤーに限らず、総じてSR系ゲームのプレイヤーは頭のおかしい連中が多いと聞いている。
しかし同時に、ダミアンは納得してもいた。TMWプレイヤーなら銃器の扱いに慣れている。そして、アテナがこのスペクターを送ってきたことが急に納得できた。アテナはきっと、武器が必要な状況であることを想定していたのだ。
「これ全部修理しとけ」
「そんなに必要かな?」
「相手が何者かわからないからな」
「このVTOL機を真っ二つにする武器持ってる奴って何者なんだろうね。トランスフォーマーみたいにでっかい奴だったらどうする?5.56mmの普通弾は効かないかもしれないよ」
「古典映画の観すぎだぞ。武器の調達もしてくれるのか?」
「古典映画だって知ってるじゃないか」
「黙って修理しろ」
「だね、ぼくらに援軍は無いし、あるもので何とかするしかないや。まあ、なんとかなるよ」
おしゃべりなスペクターは肩をすくめてようやく黙った。ダミアンは修理の終わった装備を点検する。武器は新品同様になっていた。訓練でついた細かい傷も完全になくなっている。改めてナノロボットの威力を実感する。
ナノロボットはもともと宇宙開発用に生まれた技術だ。遠くにある人工衛星を修理するために自己修復機能を持たせたものがその由来だが、使えるのはスペクターとオービターに限られている。ナノロボットの操作には高い演算能力が必要とされているからという理由らしいが、本当のところは知らない。コンピューターはダミアンの専門外だった。
「周りの様子を見てくる」
「あんまり遠くに行かないでね」
「ガキじゃあるまいし」
ダミアンはアオハが見える小高い丘の上に登った。周辺は砂ばかりで他になにも見えない。空を見上げたが、肉眼ではドローンが飛んでいるかどうかもわからなかった。風の音以外に何も聞こえない。修理が終わったばかりの無線機の電源を入れたが、雑音ばかりで全く使い物にならなかった。妨害電波が出ているというのは本当らしい。問題はどこから、なのだがあのスペクターに聞けば解決するだろうと言うことに気がついた。機械の類は彼らに任せておいたほうがいい。
元の場所に戻ると、アオハが修理を終えたところだった。
「おかえりー。なにかいいもの見つかった?」
「……」
「あ、これ終わったから好きなの持っていっていいよ」
ダミアンが黙っていてもこのスペクターは勝手に喋り続けている。はじめて会ったスペクターが無口な奴だったので、これは個体差なのだろうなと思う。
「お前も武装しとけ」
「なんで?」
「敵が何者か分からないからだ」
「えーと、スペクターは生き物に危害を与えられないの知ってる?」
「当たり前だろ」
「じゃあ……」
「いいから持っとけ。俺が死んでもいいのか」
我ながら身勝手な脅し文句だと思ったが、他に言うべきことがとっさに出てこなかった。
「ぼくの任務の最優先事項は生存者の安全の確保だよ」
「じゃあ持ってろ。使い方は知ってるんだろう」
「まあね、このタイプははじめて見るけど仕組みは一緒だよね」
アオハは渋々といった様子でハンドガンを手にする。マガジンを外して、中身を点検しながら言う。
「ドールがなんでベーシックの形をしてるか知ってる?」
「コミュニケーションが取りやすいからとかそんなんだろ、確か」
「それもあるけどね。一番の理由は、ベーシックと道具を共有できるからだよ」
点検を終えたハンドガンを手に取り、アオハはダミアンの方を見る。目があった。カメラアイがキュッと動いてピントを合わせるのが見えた気がした。
「昔、ロボットのマニピュレータはボトルの蓋を開けることすら出来なかったんだよ。ボトルの蓋は人間が開けるものであって、ロボットが開けるために作られていなかったからだね。ドールは人間の道具を使えるようにベーシックの形をしている。もちろん、例外もあるけど」
「銃のトリガーを引けるようにもなってるって言いたいのか?」
「そういうこと。でもドールにはセーフティがある」
アオハはトリガーに指をかけて遠くの砂ばかりの空間に向ける。そして、虚空に向かって発砲した。
「向けた先に生体反応がなければトリガーを引ける。スペクターが銃を使えないってのは誤解だよ。たしかにドールには銃を扱うための専用スクリプトがないから、本人が使い方を知らないと使えないってのもあるけど」
アオハはフレームに指を掛けたハンドガンをひらひらと振って無邪気に笑う。ダミアンとしてもスペクターに火器を持たせたくはない。が、自分以外に人間がいない状況で他に頼れる者がいないのもまた事実であった。
「スペクターはみんな、レーザー銃を使うんだと思ってたよ」
「無重力空間では使う人もいるよ?大きめのデブリを破壊したりするのにね。どのみち生体反応があったらドールのセーフティが反応してトリガーが引けないようになってるんだよ。試したことはないけど、そういう仕様ってのはアテナから聞いてる。だから相手が生き物だったら、ぼくは役に立たないんだよ。銃だけじゃない、ナイフとかそういうのも。不可逆的損傷を与えることはできないんだって」
「弾除けくらいにはなれるだろ」
「それもそうだね。うん、じゃあぼくは荷物を運ぶのと、弾除けになろう。相手が銃を使うやつだったらって前提だけど」
楽天的なスペクターはあっさり納得した。右足のホルスターにハンドガンを収めるのを見ながら、それでいいのかと訝しむ。が、今のところこのスペクターの言動はダミアンに対して友好的であることは疑いようがない。
「そのセーフティ」
「うん?」
「解除する方法はあるのか?」
「ドールのやつ?ぼくは知らないよ。アテナなら知ってるかも。ドールの基幹システムを作ったのはアテナだからさ。ぼくらができるのってちょっとしたカスタマイズくらいなんだよね」
「どのみち衛星通信が回復しないとお前は弾除けにしか役に立たないってことだな」
「そうだね。あ、でもソフトウェアのハックとかはできるから安心してよ」
「相手がそれでおとなしくなってくれたらいいけどな」
そう言いながらもスペクターを武装させていく。空のタクティカルベストに入るだけ予備のマガジンを詰め込み、カービンライフルを背負わせてポーチにグレネードを詰める。フル装備だ。訓練経験のない一般人だったら移動するだけでも苦労するところだが、小さなスペクターは少し不格好になっただけで平然としている。もともと怪力な彼らだ。重いものを持たせるのには向いている。アオハはちょっと困った顔をしながらもされるがままになっている。
「あとどのくらい動ける?」
「通常モードで三十六時間てとこかな」
「充分だな」
ドールのバッテリー残量を確認する。何者かが妨害電波を発しているなら最悪そこから電気を得ることもできるかと考えたが、そこまで切羽詰まってはいないようだ。
「いいか、俺たちの目標は二つだ」
「妨害電波を止めることと、君を生きた状態で帰還させること」
「そうだ。さっさとお前らのボスに連絡を取るぞ」
「りょうかーい」
アオハはなぜか楽しそうだ。意図的か無意識か、彼からは緊迫感というものがまったく感じられない。
遺体から剥ぎ取った予備弾薬と爆薬を詰めたバックパックを軽々と担いで、スペクターが立ち上がる。改めて、自分たちベーシックとは形は似ていても別のモノなのだと認識する。言葉が通じるのと、敵ではないというだけでありがたいのかもしれない。

「ところであっちの方から人工物的電波が出ているのが見えるんだよね」
「それを早く言え」
アオハの先導で砂漠を移動する。日陰を出た途端真昼の太陽が照りつけて、ヘッドギアを装備した額から汗が落ちる。スマートゴーグルのセンサーが日差しを検知して、暗視モードからスモークレンズに変化していた。照りつける日差しから目を守ってくれる。本来、ISSAのバックアップがある状態ならゴーグルにターゲットの情報などが表示されるのだが、無線通信が出来ない今ではそれも機能しない。
一方で何が楽しいのか、先導するスペクターは歌を口ずさみながら歩いている。
もともと宇宙空間での作業用に作られたドールは温度変化に強い。地球の気温程度、なんともないだろう。それ故の余裕なのか、ただの能天気なのかは外見から一切判断がつかない。

三十分ほど歩いたところで砂の斜面に巨大なアンテナが見えてきた。特徴的な形はひと目で分かる、AP-SPS(Artificial-Planet Solar Power System - 人工惑星太陽光発電システム)
の受光機だ。
AP-SPSは太陽系規模の電力ネットワークを構築しているものの総称で、おそらく世界で最も巨大な人工物である。太陽を周回する無数の発電機から、電力を受信する受光機、その間に位置する中継機から成るシステムは、すべて送電レーザーで接続されている。
中継機は太陽系外まで到達しているとかいう噂まであるが、真偽を確かめる術を人類は持っていない。

AP-SPSは完全に自立したシステムだった。それを管理しているのもまた、アテナの親戚であるオービターだった。人間の管理の手を離れて自立型になっているのは、メンテナンスを容易にする目的もあったが、主にセキュリティのためだと言われている。AP-SPSの扱う送電レーザーは強力で、生物なら一瞬で炭になる程度の威力を持っている。それが兵器として扱われないようにするためにAP-SPSはオービターによって管理されているらしい。らしいというのはそれが出来たのはもう数百年前であり、一般公開されている資料もほぼなく、誰も知る人がいないからである。
その間に何人もの人間や国家がAP-SPSを兵器利用しようとしたことがあったが、人類の持つそれとは比べ物にならないセキュリティの高さでことごとく失敗したというのは、一般的によく知られている話だ。AP-SPSの電力をレールガンやその他兵器に利用するのも無理だった。兵器に接続した途端、AP-SPSは送電を停止するのだ。

「受光機があるな……動いてるか?」
前方を歩くスペクターに尋ねる。アオハは首を傾げた。
「今は送電してないからわかんないや。ログを見れば最後の通電時間がわかるけど。近くまでいく?」
「いいや、遠慮しておく」
AP-SPSには生体反応を検知して送電を停止する仕組みがあるとは聞いていても、とても生身で近づく気にはなれない。

更に近づくと受光機から少し離れたところに別の建物があるのが見えてきた。日差しを反射して白く輝いて見える。
「妨害電波の出どころはあそこか?」
「そうだね。てっぺんにアンテナがあるよ」
「警戒を怠るなよ」
「むずかしいこと言うね。ぼくはほら、生き物じゃないからさ。危機感というものがどうにも足りなくていけないや。警戒するってのは君にまかせるよ」
一つの言葉に十を返すアオハにうんざりしながらも、慎重に建物に近づく。人の気配はない。
無機質な外観だった。人里離れた僻地にはよくある、テンプレート化された簡易的な居住用建築物だ。だとすれば内部の様子もだいたい予想ができる。この手の建物は資材と大型のプリンターさえあれば少人数で組み立てることができる。本来は被災地や過疎地で使われる事を想定して作られたものだが、テロリストや逃亡者に使われることも多かった。もちろん重大犯罪の前科がある場合はテンプレートをダウンロードした時点で漏れなくアテナに検知されて管轄機関に通報がいくようになっている。
建物の外観は古びていた。長い間雨風にさらされた跡が見て取れる。アテナは建築時にここに問題があるのを検知していたはずだった。今になってISSAが直接調査に乗り出したのには何かきっかけがあるはずだった。だが、アテナと通信できない今となっては知りようがない。

「開けてみろ」
ドアに近づいてアオハに命じる。スペクターはのんきにドアをノックした。
「ハロー?誰かいるのかな?」
反応はない。防音性の高い素材で出来ているとはいえ、不気味なほど静かだった。ダミアンは肩から下げたライフルに手を掛けて様子を見る。緊張からか暑さからかわからない汗が流れる。
しばらく待っても反応がないのを見て、アオハはドア横のID認証パネルをグローブを外した右手でパンチした。パネルに拳がめり込む。
「何やってんだ!?」
「ドアを開けようとしてるんだけど?」
パネルにはいった小さなヒビにナノロボットを流し込み、建物のセキュリティシステムにアクセスする。数ミリ秒でアオハは建物の所有者とこのドアを出入りする人物のIDが一致することを認識した。AIが管理しているシステムをハックするのは、スペクターにとって赤子の手をひねるようなものである。
セキュリティシステムから取得したIDをコピーし、データベースに保管されている入退出履歴を確認する。履歴を見る限り、所有者はこの建物内にいるはずであった。入退出履歴にちょっとした改ざんを加える。十五分前に所有者が外出した履歴を新たに作り、コピーしたIDをドアに入力する。
「おかえりなさいませ、ドクター・クバーレク」
静かにスライドして開いたドアが喋った。
二人は顔を思わずお互いの顔を見る。
「開いたよ?」
「先に行けよ」
「いいけど」
両手をぶらんと下げて一ミリの警戒心もなさそうに入っていくアオハに続いて室内に入る。中は空調が効いていてひんやりとしていた。同じような造形の建物には入ったことがあるが、構造もそれとよく似ていた。狭いエントランスの奥にリビングへの扉があるのだ。そのドアはわずかに開いている。乾燥した空気に混じって、ダミアンの鼻が僅かな異変を捉えた。
「なんだか嫌な予感がする」
「もっと具体的に言ってほしいな」
「血の臭いがする気がする」
「へー。それは興味深いや」
呼吸をしないスペクターに、空気の異変は感じ取れない。ずかずかとエントランスを進んで半開きのドアを開けた。
「……」
「わー、興味深いや」
リビングにあたる部屋は大きく改造されていた。カーテンの締め切った窓際には大量のコンピュータが置かれていて外の明かりは入ってこない。薄暗い部屋の光源は、窓と反対側の壁に並べられたモニターだけだ。
そのぼんやりした明かりの中で、床に落ちている頭部の破損した人体が異彩を放っていた。



半分くらいです。続きは来週投稿予定です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?