![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/131976170/rectangle_large_type_2_22e3834b812f52c003bd76135f0661a7.jpeg?width=1200)
平松洋子(1958.2.21- )「茨木のり子が住んだ家」 茨木のり子(1926.6.12-2006.2.17)『茨木のり子 自分の感受性くらい 別冊太陽 日本のこころ 277』平凡社 2019年12月刊 160ページ
![](https://assets.st-note.com/img/1708821690411-YXtwKAmaFT.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1708823837815-Bos45enmtc.png?width=1200)
茨木のり子(1926.6.12-2006.2.17)
『茨木のり子 自分の感受性くらい
別冊太陽 日本のこころ 277』
平凡社 2019年12月刊
160ページ
2020年1月25日拾い読み
福岡市総合図書館蔵書
https://www.amazon.co.jp/dp/4582922775
「詩集としては異例のベストセラーとなった
『倚りかからず』から20年。
日常的な言葉に強靭な精神性を込めた
詩をつづった茨木のり子の生涯と
生み出された詩の世界を紹介する。」
https://book.asahi.com/jinbun/article/12903858
じんぶん堂 2019.11.27
別冊太陽『茨木のり子 自分の感受性くらい』
凛としてあり続けた詩人の生涯を読み解く
https://www.matatabi.net/Poetry/ibaraki_01.html
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子『自分の感受性ぐらい』
花神社 1977」
![](https://assets.st-note.com/img/1708824168098-7IVfZHRjU1.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1708823927315-ZxMj9wYjfw.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1708824056377-7P8dU7YlCC.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1708824100862-iY1CM80BAN.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1708823958171-uz5iFRcGBR.png?width=1200)
『茨木のり子 自分の感受性くらい
別冊太陽 日本のこころ 277』
平凡社 2019年12月刊
https://osusumehon.com/separate-volume-of-the-sun-ibaragi-noriko/
目次
茨木さん 谷川俊太郎
[評伝 茨木のり子]
凛としてあり続けたひと 後藤正治
第一章 生い立ち
第二章 はたちが敗戦
第三章 詩人誕生
コラム 六〇年安保と戦争責任
第四章 はやい訣れ
第五章 ひとり暮らし
第六章 隣国語の森
第七章 晩年
[再録]
はたちが敗戦 茨木のり子
怖るべき六月 茨木のり子
金子光晴×茨木のり子 一九六二年十一月七日
[エッセイ]
のり子さん こんにちは 工藤直子
最初期の一編の詩から 高橋順子
詩のレシピ帖 山根基世
茨木のり子が住んだ家 平松洋子
『ハングルへの旅』と私 金裕鴻
伯母からのたより 宮崎治
[写真帖]
尋常小学校時代の綴方帳・図画帳
Yとのアルバムより
三年連用当用日記より
Yの箱
石垣りんさんのこと
茨木のり子の暮らし 住まい+料理レシピ
治さんへ のり子より
鳩の年賀状
お別れの手紙
[資料]
茨木のり子 略年譜
「[茨木のり子・詩]63編掲載
上記の目次の下段に詩の題名が列挙されている。
一括して掲載されているのではなく、
それぞれ全体的に万遍なく配置されている。」
平松洋子(1958.2.21- )
「茨木のり子が住んだ家」p.127
を読みました。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/茨木のり子
1926年6月12日大阪生まれ
1949年結婚(23歳)
![](https://assets.st-note.com/img/1708824006768-GxUubjc5YN.png?width=1200)
「32歳のとき、建築家の従姉妹とともに設計した
山小屋ふうの木造建築の一軒家
[保谷市(現・西東京市)1958年10月完成]。
夫婦で暮らしたのは、夫が亡くなる1975年までの17年間。
そののち、この家でひとり息を引き取る
79歳[2006年2月17日死去]まで30年間、
茨木のり子の安息の地であり、王国であった。
料理が得意だったから、台所と食堂と寝室を
居心地のいい二階に作ったのだろう。
朝はガラス窓越しの光が、
夜は藤編みのシェードからの灯りが
食卓を照らしただろう。
…
料理、レシピの書きよう、
備忘録も兼ねていたのか、
必要最小限の材料、
可能なかぎり省かれた調理の
プロセスや勘どころに表れる潔さ、
簡潔さは見事。
ローストビーフ、
ごま豆腐、
パエリア、
ブイヤベース、
粽子(ちまき)
など初めての料理もたくさんあっただろうから、
このレシピに行き着くまでには試行錯誤が繰り返された。
その過程に想像をめぐらせてみることは、
この家で暮らす詩人の姿を思うことのおのずと繋がる。
…
50歳を過ぎてから、つまり夫を失った翌年から
隣国の言葉を習いはじめ
「ハングルへの旅」を深めていった詩人は、
言葉や詩や翻訳にとどまらず、
料理にも等しく踏み込んでいった。
水正果(スジョングァ)、
雑菜(チャプチェ)、
ナムル、
薬食(ヤクシク)、
わかめスープ……
いずれも彼の国を語るうえで欠かせないものばかり。
冷やし中華をアレンジして作る
朝鮮風ひやむぎの微笑ましさにも、ぐっとくる。」p.127
読書メーター
別冊太陽の本棚
登録冊数14冊
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091335
![](https://assets.st-note.com/img/1708822717527-U3eaL50Kwq.png?width=1200)
平松洋子の本棚
登録冊数35冊 刊行年月順
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091301
![](https://assets.st-note.com/img/1708823022680-q5IglOFPQ5.png?width=1200)
https://note.com/fe1955/n/n86a2def3f3d3
茨木のり子(1926.6.12-2006.2.17)
『茨木のり子「言の葉」のいのり
文藝別冊 増補新版』
河出書房新社 2022年5月刊
320ページ
https://note.com/fe1955/n/nd79e8302ad82
茨木のり子(1926.6.12-2006.2.17)
「梅酒」
『作家の手料理』
野村麻里編
平凡社 2021年2月刊
224ページ
https://note.com/fe1955/n/nf8e46ae0caf5
https://note.com/fe1955/n/nb73becf83e78
https://note.com/fe1955/n/n686c5196be61
https://note.com/fe1955/n/n1c1f09d69e20
https://note.com/fe1955/n/n1c1f09d69e20
https://note.com/fe1955/n/nc2876051f259
https://note.com/fe1955/n/ndbc459695076
https://note.com/fe1955/n/n694348cd5994
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?