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海が大好きな癌末期の患者さんの海を見に行く1泊2日の旅行同行⑧


写真が苦手な私が自らお願いしたツーショット

エピローグ

旅行から帰って11日後にAさんはお亡くなりになりました。
旅行から帰って5日くらいは体調も悪くなく「旅行が良かった、今度はどこに行こうかのう」と奥さんや娘さん達と話していたそうです。娘さんも「元気になったらまた一緒に行こうね」と励ましていたそうです。その後、体調が悪化して最期は奥さんやご家族など大勢の人達に見守られながら自宅のベッドで息を引き取られました。


お花


私はお通夜とお葬式に参列しました。
少し早めに到着したお通夜の席では、Aさんの歌う北島三郎の橋という曲がBGMで流れていました。カラオケが大好きだったので、本人の歌声の音源があったのだと思います。仕事柄、橋には思い入れがあったのでしょうし、沁みる歌詞です。この曲は私の忘れらない曲になりました。
祭壇中央にはAさんの笑顔の遺影がありました。その笑顔が何か語りかけて下さっているように感じました。お経を聞きながら私は涙が止まりませんでした。「あんたのやっとることは間違うとらんけえ、信じて続けてみんさい」と言われている気がしました。てごナースきたひろを始めて3年7ヶ月後にまさかこんなご縁があるなんて想像していませんでした。私は自己分析するに粘りがない。それは自覚しています。そんな私が何かを3年7ヶ月も続けていることは珍しいことです。なかなか仕事に巡り会わなくて、そろそろやめようかなと弱気になったり迷ったりした頃に、ポツ、ポツと間欠的に仕事があったりしました。そんな出会いがある度に「もう少しやってみよう」と奮起し今日まで続けてこられました。出会ったのは皆さん高齢男性で今は天国で見守って下さっています。その方達のご縁が今回のAさんとの旅行付き添いに繋がっていったのだと思います。人生には無駄なことは何1つなく一見すると関係無いと思える点と点が後に線で繋がるとはまさにこのことかと。Aさんとの旅行で私にはその線が人と人を繋げる橋に思えました。
 読経が終わりお坊さんが故人とのエピソードを話されました。その話しの後半にも今回の海を見に行った話しをされました。
お通夜でお坊さんが話す貴重な話しの中に私が関わった旅行の話しをされる・・・。
私は思い出して涙が止まりませんでした。
父の葬式の時よりも泣いた出た気がします。
お通夜が終わり、会場から出ようと出口に向かいました。奥さんや娘さん達が参列者を見送るために出口に並んでおられました。一言挨拶をして帰りたくて列に並んでゆっくり歩いていました。喪主の奥さんに挨拶をして続けて親族の方に挨拶をしました。一緒に旅行に行った娘さんの番になりました。
私を目の前にした途端に娘さんが「ありがとうございました、ありがとうございました」と泣き崩れるように号泣されました。
目の前の娘さんの姿を見て私も「こちらこそありがとうございました、ありがとうございました」と号泣してしまいました。

 会場から出ると少し雨が降っていました。私は帰りの車の中でも涙が止まらず、雨もあって視界が悪かったです。    そこで過去にない感情に気がつきました。それは喜と哀の感情を短時間のうちに感じたことです。人間の感情には喜怒哀楽があります。今回、自分がやりたかった仕事が出来た喜びの喜とAさんが亡くなった哀しみの哀の感情。喜しいと哀しいが複雑に入り混じる自分の気持ちが理解出来なかった。それはまるでメトロノームのようなメーターの針が喜へ哀へ右へ左へビュンビュンと振れているようでした。
今、複雑な気持ちと頭の整理をするために文章にしています。
 
 Aさんとご縁をいただいてからの期間は数週間で、実際に関わったのは24時間程度の間柄です。当然ですがそれ以前は見知らぬ人でした。そんなAさんのためにここまで涙が出るとは自分でも驚きでした。
 Aさんとそのご家族との旅行はてごナースきたひろというより、49年間生きてきた私にとっても衝撃的な出来事でした。
お通夜の後に娘さんからLINEが来ました。
「父との旅行は私の一生の宝物です」「てごナースの仕事で色んな人を幸せにしてあげてください」とありました。
私はひとつ娘さんにお願いをしました。それは記念にAさんの名刺を頂戴できないかというお願いでした。翌日の葬儀の前に娘さんから名刺を手渡してもらいました。「なかなか見当たらなくて、探したら出てきました。最後の一枚かもしれません」と娘さんは言われました。「最期の一枚かも」の名刺を私はありがたく頂戴しました。名刺は目につく所に置いて、自分が弱気になったり迷ったり気落ちした時に眺めます。


お見送り

 お葬式は参列者も多くて、Aさんを慕う人が多いことが分かります。私は大勢の人達と一緒にAさんを見送りました。葬儀の途中で会場のモニターに故人を偲ぶ写真が10枚程度流れました。若い頃のAさんの写真もありました。奥さんとのツーショットの写真は2人の距離が近いのが印象的でした。最後に流れた写真は、あのホテルから見える快晴の瀬戸内海をバックにした奥さんとのツーショット写真でした。

海が好きだから海を見に行く
私には多くの教訓がありました。
〈思い立ったが吉日〉
何個ものたまたまの歯車がガチっと噛み合って好転したこと。前々から計画的に準備していてもここまでの奇跡は無かっただろう。
〈妻を大切にする男は幸せになれる〉
Aさんは奥さんの事が大好きで、言葉や態度で伝えていました。ツーショット写真の距離の近さが仲の良さを物語っています。
お母さんを大切にしているお父さんの姿を見て育った子供達はお父さんに優しい。この旅行でも娘さん達はとても協力的でした。

今回の旅行には沢山の偶然が重なりました。それも歯車が好転するように噛み合いました。それら全てはAさんの日頃の行いの積み重ねだと思います。
明るく前向き、妻や子供、家族を思いやり、優しく強い、人を信じて疑わず、
  
次のご縁に橋がかかっていると信じて

        完

2023.11.21.22  健忘録とする

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