推理小説ワースト

 推理ものは大好きだけれど、真相にいまひとつ納得いかない作品もある。
 いわゆるとんでもトリックの類いは嫌いじゃない。常識的にありえない大がかりな仕掛けが施されているのも、ものすごい偶然の連鎖で謎が増えるのも、物語が面白くなれば正直何でもありだとさえ思う。
 ただ、心理的な面でもやもやする作品が無いではない。物理的に可能かどうかは置いといて、犯人の立場でそんなことが本当にできるか?という部分で。

 作品名は伏せて、何作が挙げてみることにする。


 納得のいかない推理小説の第三位は「あなたが犯人だって最初からピンときていました。化粧を落とさずに客室のベッドでゴロゴロして、寝付けないから散歩に出た?うっかり寝落ちしたならともかく、昨夜の行動は女として不自然すぎる」
 あり得る。とてもよくある。というか、自分はやっちゃうことがある。美容について意識の高い女性なら化粧を落とさないでゴロゴロするなんてとんでもないと感じるかもしれないが、その辺にいる女には一定数の無精者が混じっている。それに、作中で犯人が特に化粧にこだわりを持っている描写や他の人へ美容や異性への関心をアピールする様子はない。しかも前日はお酒が入っていたとあり、よけいに細かいことを面倒くさく感じやすくなる。彼氏がいるわけでもなし、多少の肌荒れは化粧でごまかせばいいやーくらいの感覚でいても、そう不自然ではない気がする。それと、男性作家が不自然だなんだと書いているという点でも微妙に腹が立つ(偏見)。


 第二位。「そもそも目撃証言はあてにならないものだ。たぶん見間違いだから君が推理の参考にしたのは間違いだった(この後、自分の推理を披露)」
 じゃあ、書くな!…と、放り投げそうになった。推理小説にそういうリアルを持ち込まれると、読む方の前提が崩れてしまう。
 この問題は意外に根深い。たとえば出来るだけリアルな視点で読むと、「なんか遺体を温めて死亡推定時刻をずらしたような気がするけど、でも普通に解剖でバレるからやってないかな」とか、「ここで格闘が起きたとしたら、天候や状況から考えて、まず間違いなく微細証拠物件が残るし、それはないな」と考えて、かえって作者の設定した真相から離れてしまうことがある。しかも、リアルの度合いは作者によってまちまちで、読者は「この作者はどのくらいリアルに寄せて書いたのか」という推理までさせられる羽目になる。これは読み手にとって、あまりよろしくない。ルールの設定を序盤で明確にするか、閉ざされた空間にして科学の介入を徹底的に防いでもらうかしてもらうのが理想的だ。
この作品は、終盤になってから「実はこんなルールでした!」と言ったに等しい。
もうやってられませんよ。

 さて、栄えある第一位は「毒蜘蛛を無毒の蜘蛛の皮で覆い、種類を誤認させる。毒蜘蛛は着ぐるみの中から油断した被害者を刺して死亡」
 蜘蛛愛好家の被害者が、飼育部屋でなでなでした蜘蛛が実は毒蜘蛛だったというトリックである。
 虫が得意ならともかく、蜘蛛嫌いの犯人にそんなことできるかーい!と叫びたい。「たまに蜘蛛に餌やりしていた」のを根拠に、苦手って言っても何年も飼ってるんだから少しは慣れたでしょ。そのくらいできたのでは?と疑われて、トリックが露見していた。でも、手乗りの文鳥みたいな距離で餌付けしていたわけでもなし…。もし触るくらいならできたとしても、殺した蜘蛛の皮を剥ぎ、生きた蜘蛛に被せて縫い合わせるなんて無理だ。何時間かかると思っているの。そんな生々しい関わりはお断りだ。と、虫嫌いの身としては全否定させてもらいたい。

 想像しただけで背筋が寒くなる。いくら殺人を決意したとしても、蜘蛛に関わらない別の殺害方法を取るだろう。


 蓋を開けてみれば、かなり私情の混じった話になってしまった。

 結局、愛好家に嫌悪感を実感するのは難しく、未経験者に経験者の気持ちは理解できないものかもしれない。

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