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怒りってなんだろね

前回の記事から一週間空いてしまった。
一週間は七日。
七日は一六八時間。
一六八時間は一〇〇八〇分。
一つの記事を書くのに、大体三〇~六〇分なのに、
その間、書くことが一つというのもムナシイもので。
でも、書こうと思っていることは、日々iPhoneのメモ帳へ簡単にまとめている。

今日の話は、怒りについて。
これを考えるにあたって、きっかけがあった。

皆さんには、影響を受けた人がいますか?
もしくは、影響を受けたいと思える人がいますか?
そして、
その人からもらった言葉で覚えているものはありますか?

言葉ってそもそも、その発話者によって、受け取り手も情報を取捨選択しているよねって。
信用している人が言う「頑張って」と苦手な人が言う「頑張って」と政治家が言う「頑張って」と祖父母が言う「頑張って」と、どれも同じ応援の言葉だけど、その関係性によって、意味合いとか、その重たさって変わってくるよねって。
で、そんな中、信頼している人、尊敬している人から言われる言葉って、どれも貴重というか、自分の中に取り込みたいよね。

で、ある時、恋人が何気なく言った言葉。
「怒りを忘れないようにする」

どういう意味なのか。解説を求めて、それに応えてくれたけど、正直その内容をあまり覚えていない。言葉で聞くと、何でもないもの。
しかも、「怒り」ってどちらかと言うと負の感情だから、とっとと忘れたいものでもあると思うのね。
でも、この言葉自体が自分の中でぐるぐるしていて、ずっと残ってしまっている。

今現在の時点で、自分がこの言葉に対して言えることは、自分がいやだと思ったことを受け流さず、受け入れず、反抗しろってことなのかな、って。
昨今でよく聞く言葉に「ハラスメント」ってあるよね。
いろんな種類があって、過剰じゃないかって、中には、何でもかんでも作り過ぎだっていう批判もあるかもしれない。
理不尽な「ハラスメント」にあった時、それを「わはは」と受け流すこともあるだろう。
でも、恋人は違う。
それに対して、毅然と反抗する。
そういった姿勢から生まれた言葉なんだろうなって。
「わはは」と受け流せば、場も空気も保たれるかもしれない。
でも、場や空気と引き換えに、自分の尊厳を棄ててしまっていいのかって。

違う日、恋人とこんな会話をしたことがある。
自分「他人を変えるより、自分が変わるほうが楽だなって思う」
恋人「いや、それもいいけれど、他人を変えることも時には必要だよ」
そうか、諦めないことだよな。

場や空気を変える必要がないことも確かにある。
でも、自分の尊厳を棄てる必要もないのではないかって。
じゃあ、具体的にどう対処するかって、その方法を示す段階にまでは至っていないけれど、でも、恋人から言われた言葉を大切にしたい。
「怒りを忘れない」
この言葉によって、きっと自分は変わるだろうし、恋人が言った「他人を変える」ということが自分によって果たされるのだろうなって。

ここから余談になってくるけれど、以上のことは、頂いた言葉に対するエピソードだけど、自分が授けた言葉について。
自分が授けた言葉って、意外と忘れていることが多いけれど、ふとした時、「あの時、名無子さん、こうやって言ってましたよ」って他人から思い出させられる時がある。
その言葉の一つが、
「他人の脳みそを借りた方が楽」って言ったらしい。
言った時のことを全く覚えていないけれど、
そうやって思い出させられて、後から考えてみて、これいい考えだなあ、と我ながら思った。
自分の考え、視点というのは、本当に限られている。
けれど、本、ニュース、会話、そして、noteの記事だって、誰かの脳みそから生まれたものがそこにあって、そうした誰かが考えたことを借りてくるということ。
自分が記憶していなかったとしても、記憶を共有すれば、それを引き出してもらえるということ。
つまりは、この言葉自体、他人から思い出させられたということが「他人の脳みそを借り」ているんだよね。
それに、紹介した恋人の言葉だって、恋人の脳みそを借りて考えていることだね。
それに、過去の自分が他人だとしたら、過去の自分の言葉によって、今の自分が少し変化したという、なんとも不思議な現象。
ここでこうやって書いていることだって、いつか未来の自分に影響を及ぼして、何か変わるかもしれないね。
だから、やっぱりこれからも少しずつ書いていこうね。


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