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見えない自由がほしくて 見えない銃を撃ちまくる/TRAIN-TRAIN

1985年のブルーハーツ結成から2018年クロマニヨンズの最新シングル『生きる』まで三十と余年、片時もロックンロールを忘れず、離れず、ロックの道を歩み続けている無敵コンビ 甲本ヒロトと真島昌利(マーシー)。

鼓膜を突き破って、僕の胸に突き刺さった2人のロックンロール。それは、いつでも14才に戻れる装置として今なお、僕のiTunes再生回数ランキングで上位独占、不動の位置を占めています。

※再生回数No. 1は1000のバイオリン、2位はハイロウズのバームクーヘン。

映画『荒川アンダーザブリッジ』で、山田孝之演じる“星”がこう言いました。「世の中は2つに分けられる。ロックか、ロックじゃねぇかだ」と。完璧なMECE。

ヒロトとマーシーの曲やスタンスから、この「ロックかロックじゃないか」の境界を見つけよう。そうしてそこから人生に役立つ(かもしれない)何かを言語化しておこう。それを目標にこの連載を始めていきます。


ロックかロックじゃないか

彼らはアルバムリリース後のインタビューなどでは必ず「最新作が最高傑作」と言い切ります。そして、その中では、「どんな心境で作ったか」とか、「こんな人に聴いてほしい」なんてことは一切語らない。レコーディング中はみんなでカレー食べに行ったとか、そんなほんわかエピソードばかり。

「まぁとにかくカッコいいから聴いてみなよ、聴けばわかるさ、アリガトウ」のスタンスです。

一方、テレビ番組などではよく、「落ち込んでる人や前を向きたい人たちに聴いてほしい」なんて語っているミュージシャンも見かけます。

僕の中ではここが、ロックか、ロックじゃないかの1つの分かれ目。ロックと非ロックとの境界は、強い言葉を使っているからとか外見の話ではなく、そのスタンスや言ってることとやってることのギャップとか、そのあたりにあるんだと思います。

かつてマーシーは、「萩原朔太郎や中原中也が今生きていたらロックやってると思う」と語りました。デカいアンプでギターをジャーンとやるだけがロックではない、と。

つまり、どこの世界にもロックな野郎はいるということ。映画監督にも小説家にも、そしてサラリーマンにも。

そんな中、最近、ロックンローラー以外でロックを感じたのがZOZOTOWNの田端信太郎さん。最新著作の中には、「あぁロックだなぁ」と思うような発想や思考法、生き方が随所に書いてありました。


溜め込んだ知識が腐れば知ったかぶりより直感だ

インターネットがもたらした大きな功績の一つはアウトプットの場が増えたこと、そしてそれにより考えることの虚しさが減ったこと。

と糸井重里さんが『インターネット的』の中で書いています。

SNSやブログなどにより、各々の頭の中にある気づきや不満やモヤモヤやアイデアを、いくらでも発信できるようになった現代。

インプットを溜め込むだけで腐らせるなんてもったいなく、考えたことは息を吐くようにアウトプット。頭の中にあって放っておいたら見えなかった弾丸を、SNSで見えるようにして撃ちまくる。これが現代の銃の撃ち方です。

実際に、この連載企画について思いつくままにツイートしてみたところ、偏愛度高い若者が1人企画に賛同し加わってくれました。アウトプットすることで増えていく仲間。効果覿面です。

この企画は、その彼との交互連載。週一回の予定で毎回ブルーハーツ、ハイロウズ、そしてクロマニヨンズの楽曲の中から一曲をとりあげ、そこから得たものを言語化していきます。

前述の田端さんの書籍の中で、「フォロワーは持ち運び可能な個人の資産」という話がありましたが、サラリーマンでも、自分なりの見えない銃を撃ちまくり、自由を獲得していくのがロックな生き方。バンバン発信していきたいと思います。


さて、好きな曲が多すぎて、どれを取り上げようか迷いに迷った初回は、ド定番のTRAIN-TRAINでした。

次回は、細井雄大がザ・クロマニヨンズの『ナンバーワン野郎!』を取り上げます。乞うご期待!

to be continued...


【TRAIN-TRAIN】
THE BLUE HEARTSの代表曲と言えば『リンダ リンダ』とこの曲『TRAIN-TRAIN』。カラオケでもいまだにド定番で締めの最後の一曲として大熱唱されることも多い。メインボーカルだけでなく、サビ手前の「見えない自由が欲しくて〜」と「見えない銃を撃ちまくる〜」のあとのコーラス「アーアー」役も最高に気持ちがよいという素敵ソング。


#甲本ヒロト #真島昌利 #ブルーハーツ #ハイロウズ #クロマニヨンズ #コラム #ビジネス #音楽




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