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You look happy

幸せを感じる時はいつだろうか。
美味しいものを食べている時。好きなアーティストのライブが最高だった時。仕事から帰宅して、家族の顔を見た時。好きな人と一緒にいる時。
人それぞれ幸せを感じる時は、違うと思う。

自分は、幸せになることができないだろうと思っていた。
ゲイというセクシャリティが大きな要因の1つだった。

世間一般のゲイのイメージは、明るく面白くて幸せそうに見えるかもしれない。
実際そういう人が多いのも事実だが、それ以上に、歪みを感じることも多い。
例えば、僕は、浮気をされて別れを決意したことがあった。
別れを決意する前に、ゲイの知人の何人かに浮気をされたことを相談したら、
みんな意見は驚くほどに同じで、
本当に好きなら、目をつぶれば?」だった。

「やってられない。」と素直に思った。
「本当に好き。」の意味もわからなかった。
なんで、浮気された方が我慢しなきゃいけないんだ、と思った。
浮気をされる理由が、自分のどこかにあるのかもしれない、なんてことを考えることができないくらい若かった。

ゲイの世界で未だに1番苦手なのは、恋人の浮気は容認するのが当たり前と思っている人が多いことだ。
「所詮男同士なんて、遊びの世界じゃん。」
それは、あまりに苦しい自己防衛な気がする。
みんな、本当はどこかで傷ついていると思う。でも、相手のことが好きだから、自分の気持ちを抑えて我慢する。とても悲しい。

恋人の浮気を容認しなければ、幸せになれない。
だって、そうじゃないと1人になっちゃうから。
ずっと、1人ぼっちなのは辛い。
でも、自分の心を殺してまで、誰かと繋がっていたいとは思わない。
そんなわがままな自分だから、幸せになることは難しいんだろうなと思っていた。

それに、僕は人付き合いが苦手だ。
それは、好きなことやものが人と違うことが多いからだ。
例えば、中学生のころ、クラスの男子は好きなサッカーチームや、野球チームの話でいつも盛り上がっていた。そんな中、僕は海の向こうのどこの国かもわからない若者が作った、ロックンロールを聞いていた。和訳がついていない歌詞カードを、学校の英和辞典を使って和訳することが楽しかった。

高校、大学になると同じような趣味の仲間も増え、心が満たされることも増えてきたが、どうしても恋愛対象が違うことが大きな壁となった。
好きな女性のタイプを友達同士で語る時間が、1番苦痛だった。
好きなアイドルでもいればいいのだが、生まれて一度もアイドルに興味を持ったことがない自分には、無理な話だった。
なので、適当に好きな映画に出てた女優さんの名前を上げて、やり過ごしていた。

いつも小さな嘘をつかなければならない。
これは、弱い毒のようにじわじわと、だが確実に自分を蝕んでいった。

小さな嘘のつじつまを合わせなければいけないことに、若干のストレスを感じたり、中の良い友人に小さな嘘をつき続けることに、罪悪感を感じていた。
小さな嘘をついている自分のことを、「面白いね。」とか、「良い人だね。」とか言われるのもキツかった。
本当の自分はどうなんだろうな?今と同じように思ってくれるのかな?
なんてことを、笑顔の裏でいつも考えていた。

自分の好きなことやものに対して、多くの人は、興味がなかったり、好きじゃなかったり、時に嫌悪感を抱いたりすることが、人付き合いの下手さを加速させた。
いつも、相手の望む答えは何かを考えていた。
自分の言ったことに、相手が顔を少し歪めたりしたら、
「答えを間違った。どうしよう。」なんていう、焦りが出てきたりした。

とことん、生きるのが苦手で下手くそだと思っていた。
ゲイと仲良くすれば良かったじゃん、と思うかもしれないが。
今より10年くらい若い頃は、ゲイで気の合う人間なんて1人もいなくて、気の合う友人はノンケ(異性愛者)ばっかり。
セックスする時くらいしか、ゲイとは会っていなかった気がする。
関係を深めようとする人もいたけど、自分みたいな人間は理解されないだろうと思っていたから、いつも逃げた。


そんな自分が、今どういう状態かというと。


幸せだ。


いつか、この気持ちが消えてしまうのかもしれないと思うと、少し寂しくなる時もあるけれど。
それでも、幸せだと即答できる。

僕は、今ノンケ(異性愛者)に片想いしている。
自分でも、笑っちゃうくらい好きだ。
彼に、彼女がいたとしても、全然平気だ。
彼を幸せにできるのが、自分じゃないのは悲しいけど、それでも好きな気持ちは変わらない。
彼が、元気そうに笑って生きていてくれれば、それだけで、満足だ。

誤解のないように言っておきたいのが、
好きな人がいるから、幸せだと感じているわけではないということ

彼と恋人になれる可能性なんて、ほとんど0に近い。
人から見たら、なんて不毛なことをしているんだと思われるかもしれない。
報われない恋なんて、時間と労力の無駄だよと。

自分でもわかっている。
わかっているにも関わらず、幸せを感じていることが、最高に幸せなんだ

自分が、こんなにも純粋に他者に愛情を捧げられること。
自分よりも、相手のことを大切に考えられていること。
恋人がいなくても、幸せを感じていること。

新しい自分のことを、書き出すとキリがない。

不毛なことに、幸せを感じられる自分が最高に幸せだ。
世の中の全てが、損得で判断されると、苦しくて生きていけない。
世間的に見たら、無駄かもしれないこと。
それに、幸せを感じられる自分がいたことが、とても幸せだ。

周りの友人たちは、僕のしょうもない、片思いの話を、何も言わずに聞いてくれる。
「プライベートの時間を削ってまで、仕事手伝ってくれてさ。」
「自分のしょうもない冗談に、笑ってくれてさ。」
「見てるだけで幸せすぎて、仕事の話全く聞いてなくてさ。」

なんの生産性もない話を黙って聞いてくれる。

誰も、
「ノンケに片思いしても無駄よ。」
「さっさとやめなさい、そんな恋愛。」
なんてことは言わない。

代わりに、
良かったねぇ。今、めちゃくちゃ幸せそうに見えるよ。
そう言ってくれる。

こんな人達に囲まれている、僕のことを、

幸せじゃない。」なんて言うことができるだろうか。







大好きなカリカリ梅や、勉強の書籍代に使わせていただきます。^^