身体表現性障害という病になったはなし②

https://note.com/fasora101010/n/n492b8489b993

2011年夏頃から身体のさまざまな不調に悩まされてドクターショッピング→メンタルヘルス外来に行きつき、身体表現性障害という病名だとわかる。

身体表現性障害は自分でも気付かないうちに何らかのストレスが原因で発症したのではと医師から説明を受けた。
ストレスに体が悲鳴をあげたのだ。
女性に多く見られるもので、体のあちこちに不調が出て病院で調べても異常が見つからない為どんどん不安になるという悪循環。
処方された薬は2種類。抗うつ剤だ。
2週間ごとに病院で経過をみましょう、とのことだった。
喉のつかえがあった時点でストレスによるものだということは何となくわかっていた。
ヒステリー球と言われるもので、心の葛藤によって喉や胸のつかえを感じるそう。
左耳のひどい耳鳴り、胃腸の不快感や膨満感、右足のしびれるような感覚はひどくなっていた。体のこわばる感じで全身が鉛のように重く常に疲労感でいっぱいだった。
わたしのストレス
それは職場の人たちや元々の自分の性格によるものが大きいのではと感じている

都内で人数の多い職場で会社員をしていた。
職場の人たちは人数が多い分、びっくりするほど我が強い人が多かった。
仲良くしてくれる先輩、後輩が多く楽しい反面、私は自分自身を出すことができなかったように思う。
私は明るく愛想よくしていて、感じの良い対応を心がけていたし、それで人と人とのコミュニケーションも円滑になることで仕事もスムーズになると思っていたし、そういう女性を目指していた。
自分の属していた部署の上司は他部署の新卒の女の子達ばかり可愛がり、ランチに連れて行ったり飲みに連れて行ったりしていた。
私は別に気にしていなかったし、色々な人がいるのでイラっとすることはあっても特別顔に出さず仕事はこなしていた。
本音を言えば、普通自分の直属の部下を大事にするでしょ?感じ悪いなぁ、と思っていた。

そして、社内ではいろんな人のいろんな私生活の内容が面白おかしく噂され、耳にする機会が増えた。誰も悪気はないのかもしれないが、自分も何か言われているのかも、と思っていた。

『最近肩こりもひどいしやたら疲れるなぁ』

多分、体の不調の始まりは、なんとなくため息が多くなっていたように思う。
実家から通勤していたのもあり、少しずつ合わなくなってきていた親との距離感や、結婚や出産など周りの同級生達の近況にもどこか焦っていた。
どこか芯のない、ふわふわとした毎日を過ごしていた。
当時、付き合っていた彼氏もいたが、今思うと自分の気持ちを出せず明るく振る舞っていたように思う。

メンタルヘルス外来を受け、自分が封じていたストレスやモヤモヤした怒りが積もり積もって身体の不調に出てしまっていたことがわかり、私はメンタル系の病気になってしまったことにショックを受けた。
それと同時に、この病気は体には異常がない、心を治していけば長年の体の不調を治せるのかと安堵した。
私は担当医に休職することを相談した。
体が辛く息苦しく、もう毎日仕事に行くことが無理になっていた。
有給を使い頻繁に病院に行っていたので、すぐにでも休んで早く治したいと思った。
私は会社に伝え、すぐさま休職した。
8ヶ月休んだ。
周りからどう思われようと、もう体の不調の辛さにはかなわない。
職場の後輩が家に遊びにきてくれたり、高校の友人達も私が休職したのを心配して家にきてくれたりした。
休職をし、薬もきちんと服用して病院にも定期的に通った。
海外ドラマを見たり、特に何をすることもなく過ごして日々を過ごした。

結果…
少し症状がマシになったが、全快はしなかった。
仕事を辞めていたわけでなく、また仕事に戻る前提なのだ。これがいけなかったのかと思う。
休職中、週一くらいで上司から体調は?いつ頃戻れそう?という当たり前だが電話連絡もある。
気持ちとしては仕事には戻りたい。
これだけ休んでしまったし、どうにか良くなりたい。だけど体が薬を飲んでも全快でない。
ジレンマだった。
もしまた仕事に戻り、体調が悪くなる一方なら退職しようと決意した。
私は担当医と相談して、無理せず通院しながら仕事復帰をした。

続きます。

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