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小笠原諸島(父島)で世界初のプラナリア用電気柵を開発したときのこと

「フェンスで日本の農業を変革する夢」を掲げる放牧の専門家集団、ファームエイジ株式会社の代表を務めております、小谷と申します。
このnoteでは、ファームエイジが過去に行ってきた取り組みや私自身の放牧へかける想いなどをご紹介しています。月2回程度のペースで更新中。

小笠原諸島が世界自然遺産に登録されたのは、2011年(平成23年)6月。
今回お話しするのは、そのさらに3年前、2008年の出来事です。


ミッション:プラナリアから島を守れ

ある日、会社に一本の電話がかかってきました。
プラナリアをなんらかの手段でコントロールしたいのですが、できますか?」と。

これだけでは何のことかさっぱりわからないと思いますので、順を追ってご説明しましょう。


まず、小笠原諸島には100種以上のカタツムリ(陸産貝類)の仲間が生息しており、そのうち9割以上が固有の天然記念物です。
陸から切り離された島の環境で育まれる独自の生態系は、観光資源としてはもちろんのこと、学術的にも、進化の過程の手がかりを残す貴重な資料として、高い価値が認められています。

小笠原の陸産貝類は様々な時間スケールでの進化の証拠を示している。化石種と現生種の比較からは過去から現在までの進化系列や種の多様化の時間的変遷を追うことができる。

「世界遺産一覧表記載推薦書(日本語版)」より

そんな固有のカタツムリたちの生命をおびやかしているのが、「ニューギニアヤリガタリクウズムシ」というプラナリアの一種です。 

( ⚠ 以下サイトは写真も掲載されていますので、そういう類の生き物が苦手な方はご注意ください!)

このプラナリアはニューギニア原産の外来種で、「世界の侵略的外来種ワースト100」に指定されている生物です。
真っ二つに切っても死なないという高い再生能力と高い繁殖力を持ち、一度侵入すると根絶は不可能と言われています。

何より問題なのが、彼らは1日に1匹あたり1.5個ほどのペースでカタツムリを捕食してしまうこと。そのまま野放しにしておけば、固有種のカタツムリたちの絶滅は免れません。
それは同時に、小笠原諸島の世界自然遺産登録への道が絶たれてしまうことを意味しています。 


ですから、「プラナリアをなんらかの手段でコントロール」することが必要なのです。こちらのお話も元をたどれば、環境省からの依頼ということでした。
 
さっそく現地調査へ向かいます。東京湾から小笠原諸島までフェリーで片道25時間。改めて島の遠さを感じました。

環境省の職員に迎えられ、小笠原のジャングルへ足を踏み入れます。ややしばらく進んだところにさっそくプラナリアがいたので、シャーレに捕獲し、島の事務所へ持って帰りました。

自分の目で観察してわかったのは、まず、思いのほか動きが素早いこと。シャクトリムシのように器用に体をくねらせ、ぐんぐんと前へ進んでいきます。
そして、そのヌメヌメの体でどんなところにもへばりつき、軽々と壁を登れてしまうということもわかりました。なるほど、これはやっかいです。
 
とはいえ、小社に期待されているのは、電気を用いた防除技術。これまでのエゾシカ柵ヒグマ柵と同じように考えれば、おのずと開発の道筋は見えてくるはずです。

そこから試験的に導入したのは、溝に特殊なワイヤーをはめ込んだ、板状の電気柵でした。
+の線と-の線を交互に通すことで、板を登ってきたプラナリアがその線に触れると電気ショックが流れ、ポトっと地面に落ちる仕組みです。

陸で暮らすプラナリアは1m以上地下へは潜らないという習性もあるということでしたので、この板を1mの深さまで埋めて、侵入されたくない地域をぐるっと取り囲むように設置しました。


そこから経過観察と調整を重ね、効果が実証されたのは着手から3年後のことでした。
そしてその2ヶ月後の2011年(平成23年)6月、小笠原諸島は無事に世界自然遺産への登録を果たしました。 


小笠原が心に残っている

フェンスを張る仕事というのは(お声がけをいただければ)日本全国でできる仕事ですし、施工の期間中は地元の方々と触れながら過ごすことができます。これってすごく恵まれていることですよね。
 
私が初めて小笠原諸島の父島に行ったときに印象的だったのは、民宿の部屋や事務所などに鍵がなかったことです。初めのうちこそ戸惑いましたが、2、3日滞在するうちに慣れ、快適に過ごせるようになりました。

鍵をかけないというのは、それだけ人を信用しているということだと思います。島外からやってくる私のような人間に対しても、お互いに心を開いていきましょうと、島全体で迎え入れてくださっているような気がしました。
過去には、小笠原に来てその文化に感銘を受け、その場で会社へ退職願のFAXを出した猛者もいたそうです。 

島内を見て回っているときには、羽を広げると2mほどにもなるコウモリがいたり、アオウミガメがいたりと、まさに豊かな自然と共に暮らせる場所として、見るもの聞くもの、あらゆる刺激を受けました。
かと思えば、ジャングルのあちこちに壕があり、すぐ近くには硫黄島が見えます。もしかすると戦時中にこの父島にも軍が来ていたかもしれないと、様々考えさせられる場所でもあります。 


先ほど小笠原⇔東京間は片道25時間と書きましたが、しかもそのフェリーの運航間隔はおおよそ1週間に1度です。つまり、一度訪れると最短でも1週間、島に滞在することになります。
この1週間に1度のフェリー出航は島民の方にとっても特別なタイミングになっているらしく、私がいよいよ島を発つ際は、多くの島民の方が見送りに来て、こちらへ向かって手を振ってくださいました。その中には、今回一緒に調査をしてくださった方や、そのフィアンセの方もいらっしゃいました。

港に小笠原太鼓の音が響き渡る中、出航です。

すると、子どもたち10人ほどが防波堤まで走って追いかけてきて、「さようなら!」「元気でね!」と口々に挨拶をしてくれました。
さらに小さな漁船や大きなクルーザーなど10隻ほどが、港を離れてフェリーの後を追います。
こちらも夢中で、「達者でなー!」と手を振りました。漁船の方などはもう波で顔が見えないような状態なのですが、それでもお互い、必死に手を振っていることはわかりました。

そうこうしているうちに、その追ってきた船10隻は横一列になるように並び始めました。

かと思えば、船の乗員一人が海にダイブ!
あとの方々もそれに続いて、次々にダイブ!

くるっと回りながら飛ぶなど、見事なパフォーマンスです。 そして海の中からも、みなさん手を振ってくださいました。

私たちはそのまま、お互いの姿が見えなくなるまで手を振り続けていました。 


これが小笠原流のお別れのセレモニーのようでした。私は皆さんの心づくしにいたく感動しながら、小笠原を後にしました。
温かい島民の方々の姿が今でも心に残っています。


以前も書いたかもしれませんが、人間、とにかく思い切って始めてしまえばなんでもできるものです。
この小笠原での仕事も、初めて行く場所と初めて臨む内容ということで「引き受けて大丈夫だろうか」という不安はありました。しかし、結果として、世界遺産登録に関わる大事な局面に貢献し、感動を心に持ち帰ることができました。

どんなものも、物怖じせず受けることで、新たな可能性が見えてくる。私が仕事をする上で、この感覚はずっと大切にしていきたいと思っています。


さて、次はどこへ行きましょうか。


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