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黄色いランドセルの女の子

それは夏休み明けの、2学期の始業式のことだった。
校長先生の長々としたお話のあと、司会の先生がこう言った。

「ここで、今日から新たにお友達になる転校生を紹介します。」

”転校生”という言葉にざわつくこどもたち。
校長先生に連れられて、ひとりの女の子が登壇する。
その姿を見て、こどもたちはさらにざわめいた。
その女の子は、まばゆいほどに黄色いランドセルを背負っていたからだ。

司会の先生に促され、その女の子はこう挨拶した。

「◯◯小から来た◇村です。
前の小学校ではランドセルが黄色いことでいじめられていました。
この小学校ではみんなと仲良くできたら嬉しいです。
よろしくお願いします。」

”いじめられた”というフレーズに、さっきまでざわめいていたこどもたちがしんと静まり返る。

転校生、黄色いランドセル、いじめられた、転校生、黄色いランドセル、いじめられた…)

こどもたちはきっと、いきなり出された情報を処理しきれずに、思考も動きも止まってしまっていたに違いない。

「ではみなさん、◇村さんに歓迎の拍手を送りましょう。」

司会の先生に促されるがまま、パラパラと拍手を送る。

こうして、黒いランドセルの男の子たちと、赤いランドセルの女の子たちと、黄色いランドセルの女の子の学校生活が始まった。

***

黄色いランドセルの女の子は、校内でたちまち話題の人になった。
ひとつ上の学年だったから直接会う機会はなかったが、上に兄姉がいる友達から、

「やっぱりランドセルの色でからかわれたらしいよ」
「わたしのお姉ちゃん今度あの子と遊ぶんだって」

と言う話を聞いたのを、なんとなく覚えている。

秋が過ぎ冬が過ぎ、黄色いランドセルの女の子が話題に上がることはだんだんと減っていった。
そしてまた夏休みが明ける頃には、黄色いランドセルの女の子は、”ひとつ上の◇村さん”という存在になっていた。

かつて黄色いランドセルの女の子であったひとつ上の◇村さんは、黄色いランドセルを背負い続けたまま、無事小学校を卒業した。
その1年後わたしも卒業したが、それぞれ別の中学校へ進学したので、彼女のことを思い出すことはもうなかった。

***

先日、息子をバギーに乗せて公園に向かっていると、下校中の小学生の一群に追い抜かれた。
ふざけながら走り抜けていくこどもたちの背中には、それぞれピンク、茶色、パープル、深緑、水色のランドセルが、彼らの動きに合わせて揺れていた。

その時急に、あの黄色いランドセルの女の子のことを思い出したのだった。

***

今思うと黄色いランドセルの女の子は、わたしたち田舎の小学生に、大きな衝撃と強烈なパラダイムシフトをもたらした。
そしてそれを受け入れることができたのは、きっとわたしたちが小学生という、ある意味無防備でやわらかく好奇心に満ちた集団だったからかもしれない。

新たな価値観と出会いは常に大きな衝撃を伴う。
それを受容するか拒絶するかは、その集団の心理的無防備さ(やわらかさ)と他者への好奇心の強さが関わっているのではないだろうか。

気付けば交差点ひとつ向こうに行ってしまった小学生の一群を眺めながら、わたしはそんなことを考えていた。








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