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【エッセイ】I LOVE YOUを訳すなら

10月20日

今日は私の祖父の誕生日。

美智子様も同じ誕生日で、毎年おばあちゃんが自慢する。おめでとうと言う代わりにふふふと控えめに頬を緩ませる。誕生日が同じってだけなのに私もちょっと誇らしい気持ちになる。

息をしているだけでカッコ良い。そんな人。

山に入って、木に梯子をかけたと思ったら、するする登って小さくなっていく。枝を1本2本と切っていくと、錦糸のような日の光が私に手を差し伸べる。それにつられて見上げれば、山神様に愛されている背中が眩しい。

緑が輝きはじめる春、棚田の石垣をひとりで直す姿を縁側から見つめる。おじいちゃんは細いのに力持ちで、日焼けした肌が汗で煌めいて綺麗だ。

おじいちゃんは他人から見ればとても苦労したんだと思う。お母さん(私のひいおばあちゃん)は時計も読めない人だったらしいし、ひとりっ子だし、お父さんは若くして戦死している。戦争もあって10歳そこそこで一家の大黒柱。頭は良かったけど進学などできず。他所の家の稲刈りを手伝って回り、一番最後に自分のところの稲刈りを手伝ってもらう。ていうのは全部おばあちゃんから聞いた話。おじいちゃん自身があの頃はな〜なんて苦労自慢は決してしない。

おじいちゃんが何でもひとりでできて、亭主関白とは程遠いスーパーイクメンなのは、そういう時代背景と、せっかちで生命力強めなおばあちゃんのせい。そして孫補正がかかっているから。

私がまだ小さくてトイレが危ないから、おじいちゃんが手伝ってくれるのだけど、用を足す私よりも、シー、シー、って言うおじいちゃんの方が一生懸命で可笑しい。

おばあちゃんは忙しない人で、おばあちゃんは(どこ)?といつも探していたけど、おじいちゃんは不思議なくらい自然に連れ出してくれる。カルガモの如く、コバンザメの如く、その背中を追いかける。小さな袋を渡されたカルガモは、重大な任務を託された!と心をホクホクさせる。今日は山へ行くみたいだ。おじいちゃんがバンバンと原木に穴をあける。そして私がその穴に無心で椎茸菌を押し込んでいく。二人で黙々と。

おじいちゃんは決して口数が多いわけではない。何かを否定することもなければ、おべんちゃらで肯定することもない。泣くなともうるさいとも言わないし、ダラダラするなとも寝たらいいとも言わない。でもずっと居る。

同じ景色を見て、同じ音を聞いて、同じ空気を吸って、同じ風を感じて、同じおやつを食べて。おじいちゃんと私。言葉のいらない世界の心地よさ。そんな尊い刹那の連続が幼い私をあやしてくれる。

庭を造り替えて、池ができると、さっそく鯉を放す。夏祭りですくった金魚も放す。一緒にどじょうを数匹拾ってきて放す。大きくなったらどじょう汁にしようねと話したのに、私たちが食べる前に奴らのエサになったみたい。
ーとりあえずやってみる人。

池の鯉をそれはそれは大層愛でて、テンやイタチから守るように柵やネットが増えていく。狸の置物はどれほどの効果があるのだろうか。でもそれだけお世話をされれば鯉も懐くようで、おじいちゃんが縁側に出るだけで水面に上がって口をパクパクさせる。
ー可愛がりな人。

口がついたもんは嫌いだと言うけど、おじいちゃんは間違いなく世話焼きだ。天邪鬼の私にもイライラしない。毎年、階段下で鈴虫を育てる。毎年、畑でピオーネを育てる。どいつもこいつも手のかかる奴らばかりなのに。
ー根気のある人。

ある日、畑にじゃがいも泥棒が入った。おじいちゃんが現行犯で捕まえて、玄関先で説教をする。知らない大人を滅多に見ない私はビビりまくって、隠れてこっそり様子を見る。説教していたはずなのに、話を聞くうちに同情して、じゃがいもはそのままくれてやり、向こうへ行けば商店があるし、お湯も貸してくれるから、カップ麺でも買いなさいと1,000円札を1枚渡す。家の中に戻って、にしても、ええじゃがいもじゃったなぁと呑気に泥棒のじゃがいもチョイスを褒める。
ー懐の深い人。

私はおばあちゃんと月に一度、電車で岡山まで出かけていた。おばあちゃんの妹さんのお見舞いに。中学校に上がる直前の春休み、今日は小学生(小人料金)なの?中学生(大人料金)なの?とおじいちゃんに聞くと、今日はエイプリルフールじゃけぇ小人でええ、だって。
ー誰も悪者にしないユーモアのある人。

中3の夏休みの宿題で描いた私の絵が県特選になる。しばらくして突然その絵に額縁がつく。おじいちゃんが作ったらしい。ひいおじいちゃんの写真の下に飾られている。たぶん、その絵が特選になったからではなくて、今は取り壊されて見ることができない学校の絵だから。おじいちゃんも、お父さんも、私も通った学校。おじいちゃんの唯一の母校。言葉を聞くことは少ないけど、おじいちゃんの喜怒哀楽は時々こうして浮上する。
ー案外分かりやすい人。

年をとると、深夜くらいの時間に目が覚めるようになるらしい。おばあさん、起きとるか?と聞いて、今日は月が綺麗じゃけぇ見に行こうと誘うんだって。庭のテーブルに二人で腰掛けて夜空を眺めつつお茶をするんだって。おばあちゃんの乙女心にブッ刺さっているのか、私が帰省する度にこの話をしてくれる。
ープレイボーイのお手本みたいな人。


大学生当時、帰省すると生理が止まるくらい親との関係はよろしくなかった。帰れない訳ではなかったけど、気分が進まないくて風邪をひいたと言って、初めてひとりで年を越した。

2月。大学は春休み。
珍しく母からLINEが入った。

おじいちゃんがクモ膜下出血で倒れてドクターヘリで運ばれた。 

私はその時メキシコの安宿にいた。
こんなにも物理距離を感じた日はない。

幸い、その時は一命を取り留めた。母から大丈夫だからと言われ、すぐには帰国せず予定通り過ごした。

次に帰省した時、おじいちゃんは首から下が麻痺で動かせず、食べることも、喋ることもできなくなっていた。そして細かった体はより細くなり、見るからに私より軽そうだった。

それから1年と数ヶ月、私は新社会人になり、GWの連休に帰省して何度目かのお見舞いに来ていた。おじいちゃんは喋れないから、私が一方的に喋った。帰り際、おじいちゃんが声にならない声で、あ゛あ゛と何かを言った。母が珍しいと驚いていた。やっぱり孫だと違うのねって。

それが最後になった。

お盆にまた来るねと言ったのに、またなんて来なかった。仕事中、母からおじいちゃんが亡くなったと連絡がきて、会社を早退して、最低限の荷物で帰省した。夕方に着くと、早かったねと迎えられた。びっくりするほど皆んな普通だった。お兄ちゃん達は夜に帰ってきた。

後悔まみれだ。
失ってから気づく、なんていう月並みな言葉が、この時ばかりは名文に感じた。

20歳の誕生日、いつかひ孫を抱かせてあげると手紙を書いたのに約束を守れなかった。

毎年欠かさず帰省していたのに、あの年末年始だけ、どうして帰らなかったのだろう。

あの時、どうして地球の反対側にいたのだろう。

お見舞いの日、私に何を言いたかったの?

言葉なんて存在しなければこんな事、考えないのに。言葉とはなんて罪深いのだろうか。

私に永遠に解けない問いを残す一方で、どこか遠くへフラフラ行ってしまいそうな私を日本に留めたんだ、という勝手な後付けのおかげで仕事ができている。後悔と自責を心臓に突き刺すのも言葉なら、それでも前を向かせ、奮い立たせるのも言葉だなんて。恨めしい。

もう、言葉のいらない世界には戻れない。

その夜は我儘を言って、おじいちゃんの隣で寝た。肌の色艶は綺麗なのに、硬くて冷たい。いっそ大雪の降る、蛇口が凍るような日なら、これも寒さのせいにできるのに。

何の変哲もない朝。今日は火葬の日。
私は雨女なのに、皮肉にも澄み渡る快晴。

いつものおっさん(お坊さんの事)が家に来てお経をあげる。いつもと違うのは、まだ7月だということ。晴天を切り裂くような出棺の知らせに、近所の人が玄関先で手を合わせて無言で見送ってくれる。その姿に私の鼓動が大きく跳ねる。

煩い。
五月蝿い。
うるさい。

自分で涙を止められる程度には大人になったつもりでいた。でも、つもりだった。

骨を拾っても拾っても永遠に感じる。

おじいちゃんの背中には親指くらいの黒いアザがある。ひとつ上のお兄ちゃんにも同じアザがある。小さい頃、大人たちが(中国)残留孤児になってもすぐ見つけられるなって、冗談半分で話していたのを思い出す。

今更ながら、そのアザが羨ましい。
私には頭の中の記憶しか残っていない。

あれから5年も過ぎた。

なのにまだ、
ちゃんとお線香をあげられない。
お墓参りに行けない。
コロナの所為にしてしまいたい。
たとえ、そうじゃないと分かってても。


今、I love you を訳すなら、


私はまだ、あなたを過去にできないでいるーー

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